95 / 163
94
「あっはははは!すごいすごい!こんなにアガるなんて、君は僕と相性がいいみたい!」
二人の争いは拮抗していた。恐ろしいほどの身体能力でアロンダートの鉤爪や火球を次々と避けていく。
持っていた試験管を放り投げ、それを羽で弾き返した瞬間、ジュウッという音と共にアロンダートの翼から煙が出た。
「どうよ、特別ブレンドだよ。」
「アロンダート!!」
慌ててレイガンがその羽の液体を水で流す。バシャリとかけられ、羽を水で滴らせながら膝をつくと、酷い痛みに思い切り地面を殴りつけてやり過ごす。
「ーーーーーっ!!!!」
「ちょっと濃かった、ごめんね」
皮膚が溶ける痛みだ。なんだこれは、レイガンはアロンダートのその羽が脆く崩れ、肉色の組織が露出しているのを確認した。
水で洗い流すのが間に合わなければ、おそらく使い物にならなくなっていただろう。最悪の事態は回避できたが、その液体のえげつなさに小さく息を詰めた。
むき出しの皮膚を抑え、グルルと底冷えのするような威嚇音を漏らしながら睨みつける。アロンダートの飾り羽に隠された耳が微かな音を拾った瞬間、セルケトの背後から勢いよく大百足が飛び出してきた。
「ほんと、その気配察知どうなってんの。」
「黙れ。」
ガシリと百足の顎を鷲掴むと、その腕に走る血管に血流を循環させ、いっきに引き裂くようにして大百足のその硬質な身体を文字通り2つに割ると、面白いくらいぶしゃぶしゃと体液を撒き散らして絶命する。
それを浴びても気にしない。アロンダートは今、目の前の敵しか見えていないからだ。一息の間飛び掛かると、邪魔をするように脇から出てきた蠍の魔物の鋏に石を噛ませる。
レイガンは焦っていた。理性をおさえぬアロンダートの突発的な殺意に。
バサリと漆黒の羽根がふわりと舞う。アロンダートは蠍を引き千切るようにして倒すと、目を見開いて楽しそうに笑ったセルケトの体に肉薄し、首を掴んで地面に縫い付けたところだった。
「くあ、っ!」
「アロンダート!!だめだ殺すな!!」
レイガンは、ありったけの声で叫ぶ。殺してしまえば、いよいよ制御が効かなくなるだろう。敵は消えるが魔物化は進んでしまうからだ。
あの状態は不味い、やはり言葉で縛らない限りはアロンダートは理性を取り戻すことはない。
「くそ、っ…」
レイガンが後ろを振り向く。身を投げだして意識を飛ばしたサジに、コックローチが襲いかかろうとしていた。
どうやら相手も徹底的に甚振るつもりらしい。レイガンが慌ててサジの体を抱きかかえると、ニアが水の膜でその巨体を押し返した。
「レイガン、よくない、よくないなー。ニアも大概悪食だけど、いまのでわかった。こいつら全員毒持ちだ。だからニアは丸呑みできないぞ。」
「コックローチに毒持ちなんていたか?」
「いないなあ。多分真上の趣味の悪そうな男が付与したんだろう。」
「付与…?」
ニアがドパリと水を出現させると、一気に水圧で押し流す。シュルシュルと鱗同士を擦らせながらレイガンを守るようにとぐろを巻くと、チロチロと舌を遊ばせて言う。
「虫の魔女。あれはセルケトだ。堕ちた魔女。教えに背いた背信者だ。」
「まじかよ…」
そんなん相手にしておいて、平然としているのか。
バキ、と音がした。慌ててレイガンが振り向くと、アロンダートの拳がセルケトの顔を殴打しているところだった。
「やはり殴られなれていないな。クソガキ。お前はいつも上に立つ側しか知らんのだなあ」
「ステゴロ、とかっ…アナログジジイ…!!」
「よく喋る口だ。サジはもっと痛かった。」
「ひぎ、ぁ、あーーー!!」
アロンダートの4本目の腕が、体重をかけてセルケトの肩を外した。関節を外したおかげで素直になった手のひらに、膝を載せて固定をすると、アロンダートはその美しい顔を近づけて優しく微笑んだ。
「お前、特別な力を持っているな。僕にはわかる。虫を操るからくりは、その毒のようなフェロモンか。」
「んで、っ…そこまで…!!」
「なら、その元を断ってしまえばいい。そうしたら、処理が楽だろう。」
睦言を囁くかのように言う。アロンダートはキレていた。
セルケトが目を見開くと、アロンダートの鋭い爪がずぷりと下腹部に刺さった。
「い、ーーーーーー!!」
「これだな。ああ、面白い。ここを取ればフェロモンはでなくなる。すごいなあ、お前は胎内にそんな器官をもっているのか。」
「ひぎ、あ、あや、やめ、やめろ…!!」
「大丈夫だ、すぐに治してやる。お前にこれは、不要なものだろう。」
じんわりとした優しい暖かさが、とてつもなく嫌だった。与えられたその器官がセルケトを人で無くしたのに、体に馴染んだその異物が優しい魔力で包まれていくたびに、セルケトのフェロモンが弱まっていく。フェロモンがなくなると、虫を操れない。
「僕は優しいから、傷口は消してやろう。ほうら終わった。おめでとう。これで君はもう、魔女ではない。」
じゅぽ、とアロンダートの血塗れの指先から高濃度の魔力が注がれる。じゅくじゅくと煙を吹き上げながら傷口を治癒させると、もうセルケトの虫を操る器官は完全に機能を停止していた。
レイガンはごくりと喉を鳴らした。魔女の魔女たる所以の神から与えられたその能力を、いともたやすく奪ってしまうアロンダートの歪んだ優しさに、レイガンは小さく身震いした。
「堕ちた魔女とはいえ、アロンダートは怖いなあ。」
「怒らせてはいけない相手だな…」
少しの衣擦れの音がして、アロンダートが立ちあがる。セルケトが真っ青な顔で起き上がると、あたりを見回して小さく身を震わした。
セルケトの放ったコックローチの瞳が、自身に注がれていたのだ。
「や、やめろくるな」
コックローチは頭がいい。虫の魔物の中では、強いものには決して襲いかからないのだ。
かさりとその巨体が進行方向を決めるかのように、セルケトの周りに集まってくる。
アロンダートはその魔物の背をぽんぽんと撫でて道を開けてもらうと、まるで散歩から帰ってきましたという顔でレイガンたちを見た。
その顔は猛禽のものでは無く、清々しい晴れやかな、いつものアロンダートの顔だった。
「ああああああああ!!!!」
レイガンがビクリと体を揺らす。断末魔の叫びと共に、まるで何かを貪るような音が背後から聞こえてきたのだ。怖すぎて、それがなにかは聞かないが。
「ああ、月が綺麗だなあ。」
「アロンダート…」
「魔物になどならんさ、サジが悲しむからな。」
魔女の尊厳を奪い、倒した後の風流を愛でる情緒はどうなっているのだろうか。
レイガンはそんなことを思いながら、サジの横に膝をつくアロンダートを見つめた。
そっと胸元に手を添えて治癒をかける。青白い頬には血色が戻り、ふるりとまつげを震わしたサジにが、薄く目を開いた。
「ぁ、ろ…ん、だー‥、と」
「サジ…」
「せ…るけ、…っ、」
陶器のようなまろい頬を撫でながら、そっと唇を重ねた。サジの口からあの男の名前が出るのが嫌だったのだ。
アロンダートは黙って微笑みながらサジを見つめると、何かを察したのか瞳を揺らしたサジが、優しく頭を撫でるかのようにアロンダートを抱き込んだ。
「僕はきちんとやれる。サジばかりが手を汚すことなど、ないのだからな。」
レイガンはその言葉に、なるほどと思った。
サジは、アロンダートの手を汚させたくなかったのだろう。元王族で、心優しい第二王子に人の血の味など、知ってほしくなかったのだ。この魔女は存外優しいということを、レイガンはこの旅路でなんとなくだがわかっていた。
アロンダートはサジの心の内側を、きちんと理解していた。サジが手を汚すことで、何れアロンダートが城に戻りたいと言ったとき、綺麗なままで戻れるよう気を回していたことを。
そんなもん、糞食らえだ。
アロンダートは、もうこの魔女の元にしか帰らない。だからこそ住処を奪われるのはいやだったし、サジを失うのも嫌だった。アロンダートは、サジのためなら何でもする。主で、恋人で、番の言うことだ。
守られてばかりいるのは嫌だった。だから、アロンダートは満足していた。これでいい。周りからどう見られようと、アロンダートの愛情はこれでいいのだ。
「サジ、月が綺麗だ。」
「すまない、アロンダート…」
「何を言う。僕はこんなに、喜びに打ち震えているというのに。」
「アロンダート…」
「手放すなよ、僕を手放すな、サジ。」
華奢な体をきつく抱きしめる。頬をすり合わせるかのように甘えるアロンダートのその顔は、心底嬉しそうな表情だった。
「歪んでいるな。」
「言うな、ニア」
そもそもこのパーティ自体、最初から歪なのだから今更だろう。そう呟いたレイガンの声は、ひどく疲れていた。
「う、グぁ…っ…」
「えるぅ…!」
とんでもない膂力だ。エルマーは鉈での物理攻撃をなんとか受け流したのち、女性特有のしなやかな動きで繰り出された恐ろしいほどのスピードの蹴りをまともに喰らい、受け身すら取れないまま瓦礫の山に突っ込んだ。
パラパラと細かな礫がエルマーの頭に降ってくる。どろりとした生暖かい血液が額を汚し、クラクラする頭をなんとか持ち上げて前を見据えた。
未だ、背後の大蟷螂は動かない。恐らく指示が決まっているのだろう。どちらにせよ大人しいことに越したことはないのだが、なんとなく気になって仕方がない。
「あー、ごめんなさい、ちょっときゅうけいよろしいかしら。」
「…どーぞ。」
メアリーはそういうと、ポケットから取り出した鏡で呑気に身だしなみを整える。ボサボサの髪には目もくれず、頰についた汚れをレースのハンカチで拭う。
エルマーは戦闘中だと言うのになんともマイペースな目の前の女に呆れた目を向けながら、インベントリから出したポーションを頭から被った。
「ええ、けいこうせっしゅじゃないのそれ。メアリー、ちょっとひいたわ。」
「別に周りの目なんか気にしちゃいねえさ。気にすんのは嫁の目だけ。」
「らぶらぶなのね。ますますほしくなっちゃうわ。」
感情のこもっていない瞳でナナシを見つめる。まるで眩しいものを見つめるかのように目を細めると、もう一度エルマーを見た。
「おにあいね。メアリーもまぜてほしいわ。」
「残念、年齢制限あるんだわ。」
ニヤリとエルマーが笑う。メアリーの目元がピクンと跳ねた。どうやら気に障ったらしい。メアリーは、なまいき。と拙く喋ると、勢いよくエルマーの元に飛び込んだ。
座り込んでいたエルマーは目を見開いた。あそこまで離れていた距離を、一気に詰められるとは思わなかったのだ。
「おんなだからってなめすぎ。」
「ーーーーっ、」
慌てて腰をずらして姿勢を低くすることで直撃は免れたが、エルマーの髪を数本散らして、その頭の上すれすれに鉈がめり込んだ。
メアリーの両手が逃さないとばかりにエルマーの壁の両脇につく。真っ赤な髪のメアリーが、その腕の中にエルマーを囲うと満足げに微笑んだ。
「あなた、こちらのほうがむいているみたい。」
「されるよりする方が好きなんだけどお。」
たわわな胸が顔の近くに寄せられる。この状況を楽しんでいるらしい。エルマーはメアリーの体から香る甘い香りに小さく笑うと、がしりと細腰に腕を回した。
「なにかしら。」
「誘われてんのかと思ってよ。」
エルマーの雰囲気が、大人の男のそれに変わる。そっとメアリーの腰を引き寄せ膝に跨らせると、よほど驚いたのかぎこちなくエルマーの膝に跨るように腰を下ろした。
「なあメアリー、痛いことはもう、やめにしようや。」
「わたしよりよわいおとことはねるつもりはないわ。」
「おやまあ、ならメアリーは、男を知っている?」
おかしい。メアリーはエルマーの目から視線を外せなくなっていた。キラキラと輝く不思議な金眼に囚われたかのように目が離せない。
「しらないわ。」
「なら、大人の男が雌を前にどうすんのか、教えてやろうか。」
そっとエルマーの手がメアリーの襟元に侵入する。ああ、この男、こうしてみると確かにいい男かもしれないと、メアリーの唇から吐息が漏れた瞬間だった。
「い、ぎぁ…っ…‼︎」
ぶつんと鈍い音を立てて、メアリーの首の後ろが弾けた。
突然の痛みだ。首の肉を散らして、衝撃にのけぞるメアリーを勢いよく押し倒すと、エルマーは四肢を押さえつけマウントを取った。
「ほらどうしたメアリー。プレイはお気に召さねえか?痛えことが趣味なんだろう?」
「お、まえ…なにじだ…ッ…」
エルマーの金眼が爛々と輝く。戦闘中に避けながら仕込んだ空魔石の簡易地雷によって、メアリーの体の柔らかい部分が鈍い音を立てて弾け飛ぶ。予測不可能な攻撃に、ビクビクと体を震わし、白いエプロンに次々と赤い花を散らしていく。
「い、ギぁ…ッ、ま、んティス…こわいいいい!!」
エルマーの下で、メアリーが金切声を上げた。ぴくんと反応した大蟷螂が、ギシギシと音を立てながら鎌首をもたげる。
「ナナシ。」
「える、あとでちょっとおはなししよう。」
エルマーに呼ばれたナナシは、大蟷螂が大振りに鎌を振り上げても動じずに、むしろ若干キレながらエルマーにそう言うと、指先一本で強い結界を展開する。
硬質な金属同士のぶつかり合いのような反響音を響かせると、鎌が衝撃に耐え切れずに歪む。
「よわ、くない…?」
全身を血まみれにしたメアリーが、ナナシの結界を見て目を見開く。
エルマーはナナシの先程の言葉に引き攣り笑みを浮かべつつ、メアリーを見下ろすと堂々といった。
「決めつけんな。俺の嫁が一番強えに決まってんだろう。」
「な、…」
「情けかけてほしい?なら出すもんだしな。」
「あ、…んたまじで、ッ…あくとうね…」
メアリーは震える手で土の入った瓶を取り出すと、エルマーは目を細めた。
なにが、とは言わなくてもわかっていると言うことは、刺客に違いはないからだ。
「鍛冶屋のジジイ殺したのは、お前かメアリー。」
「それがなによ。」
「いや別に、聞いただけ。」
ズシンと地鳴りのような音がして、メアリーは慌てて振り向いた。目の前に広がっていたのは、大蟷螂がその体を裏返しにしてのたうち回っている姿だったのだ。
「あたし、ここでおわれないわ…。」
瞬き一つぜずにそう言うと、メアリーはエルマーを突き飛ばして体を起こした。土を片手に走り出した姿をエルマーが止めずに見送ると、口を開けた大蟷螂の中に腕ごと土を突っ込んだ。
ーエルマー!なぜ止めないのですか⁉︎
「だって結局魔石にしなきゃなんねえしなあ。」
呑気に立ち上がり、ナナシの元に歩みよる。
大蟷螂はバリバリとメアリーを咀嚼するように口を動かして飲み込むと、その気味の悪い体の色を一気に紫色に変色させた。
「それに、魔物の方が気ぃ使わねえだろう。」
ーあああ、え、エルマー…なんか、ま、混ざっちゃいましたよう…!?
「でもよ、最初っからそのつもりで蟷螂使役したんだろう。なあ、メアリー?」
裏返った体を引き摺るように起きあがらせる。蟷螂と歪に融合した姿は、ただただ倫理に反した恐ろしいものだった。
ともだちにシェアしよう!