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「あ、あんたら…。」   ギルドから出てきたところに声をかけてきたのは、なんだか目に覚えのある親父だった。   「なんだ、ちょうど顰蹙買って出てきたところだあ。悪いけど、今日はもう絡まないでくんねえか、」 「エルマー、行こう。」 「ま、待ってくれよ!俺ぁそんなつもりじゃねえんだって!」   親父はボロボロの様子に少しだけたじろぎはしたが、警戒する四人に向けて敵意はない事を伝えると、気恥ずかしそうに頬を赤らめながら、被っていた帽子を脱いで胸元の位置で握りしめる。   「あ、あんた覚えてるか?前に、俺の馬車に乗せたこと…。」 「…あんた、確かあん時の」   はたと思い出した…そうだ、あの時破壊した馬車の修理代替わりに金貨と魔石を渡した親父だ。エルマーが警戒心を解くと、張り詰めていた空気も微かに和らいだ。 親父は思い出してもらえたことがよほど嬉しかったのか、愛嬌のある顔で笑うと、照れ臭そうに鼻を擦った。   「なあ、もしいくとこがねえんなら俺んとこに来ないか。あんたには恩を返さなきゃって思ってたんだあ。」 「そりゃ…渡に船だけどよ…いいんか。」 「何、構いやしねえよ。母ちゃんだって、あんたにゃ感謝してんだ。もてなせねえけど、宿代わりにしてくれや。」   親父の言葉に、ナナシの喉がきゅうんと鳴った。先程のやり取りでショックを受けていた分、親父のまっすぐな優しさが嬉しかったのだ。 じわりと涙を滲ませたナナシに驚きはしたが、エルマーが嬉し涙であることを言うと、面映そうにしていた。 親父の家は、奇跡的に襲撃された場所から離れていた事もあり、無傷だったという。町のもの達がギルドに集まっていた為、親父も向かったのだが、外で魔物と戦っているものがいることを知ると、いてもたってもいられなかったらしい。   「下の連中はダメだあ、守られるのが当たり前になっちまってる。俺も下に潜ってたんだけどよう、まあ愚痴が多いのなんのって、」 「人死にがでてンからなあ、まあ、拠り所がねえとああなっちめえな。」   エルマーは、垂れてくる鼻血をゴシリと擦ると、何の気なしに言う。弱い人間こそ、未曾有の事象に対して悪者を置きたがる。これは習性と言ってもいい。他人事として扱うことで現実から目を逸らす。人はこうして生きていくものだからだ。   「俺はよう、あんたがきてくれてよかったぜ。死ぬ前に恩人に借りを返せるんだからなあ。」 「…そうかよ。」   エルマーに肩を貸すレイガンが、小さく微笑む。髪に隠れて見えづらいが、エルマーが照れていることはなんとなくわかったからだ。   「皆、あなたのように聡明な人ならばいいのだが。」 「いやだよにいちゃん、聡明っつーのはお貴族さまに使う言葉だ。俺ぁ、難しいこと考える頭がねえだけよ。」   アロンダートは、親父の反応に小さく笑うと、小突くようにエルマーの腕のあたりを肩で揺らした。うざったそうにエルマーが手でそれを振り払うと、ケッと照れ隠しをする。   「ほら、あっこだ。町の奥だから無事だったんだあ。遠慮しねえでくつろいでくれや。母ちゃーん‼︎恩人連れてきたよーい‼︎」 「その紹介はやめろや!」   ブワワッと顔を赤くしたエルマーが吐き捨てる。普段の行いが悪すぎて、こうしていい人扱いをされると痒くて仕方がない。慣れなさすぎてどうしていいかわからないのだが、エルマーを除いた全員が、唯一可愛げがあるところだと思っている。言ったら烈火の如く怒り出すのが容易に想像できるので言わないが。   親父の家は質素ながらも温かみのあるログハウスのような作りをしていた。なんでも、エルマーからもらった口止め料で改装したらしい。口止め料など渡してはいないのだが、本人がそう言い切っているので訂正するのも面倒くさい。 親父の伴侶は、素朴な痩せぎすの女だった。 なんでも、産後の育児疲れで痩せたらしい。そんな忙しない中にお邪魔してしまったことを詫びると、女は気にするなと笑う。なんとも気持ちのいい家族だった。奥にいた老齢の女も、エルマーの話を聞いていたらしく、シワシワの細い手でエルマーの手を握りしめて感謝するものだから、いよいよエルマーのキャパシティが溢れかえった。   「いや、そのマジで、本当に気にしなくていいっす。まじに。」 「よほどテンパっているな。マジを2回言うとは。」 「おぁあ…」   妙な声を出しながら、アロンダートは親父の伴侶であるアリシアに案内されて、サジのために一室開けてもらった。同じ部屋でいいと言ったのだが、怪我人はゆっくり休ませるべきと諭されて、祖母であるマーチの隣の部屋を当てがわれた。 「祖母は治癒術師だったので、何かあっても対応できますから。ね、」 「すまない、ありがとう。」 「おやまあ、綺麗なお方。ゆっくり休んでいってくださいねえ。」   おっとりとした口調のマーチが、傷ついたサジの頬に触れ無粋な切り傷を治す。どうやらこれが挨拶がわりらしい。余程世話焼きなのだろう、アロンダートの顔についた細かな傷まで、触れるだけでたちまちに治してしまった。   「ばあちゃん、いい男が好きだから触りたいだけなんだぜ。」 「そうなの?」 「バカ息子、聞こえとるよ!」 「へーへースイマッセーン!」   親父はロンというらしい。生まれたての息子が余程可愛いらしく、やに下がった顔で紹介してくれた。   「ほーら。恩人しゃんでちゅよう、ご挨拶ちまちょうねえ」  「だからそれやめろって…、おいやめろガキが汚れる!」   エルマーに抱かせようとしてきたのを、慌てて手を後ろ手に隠して後退りする。気軽に抱けるほどエルマーの手は綺麗じゃない。こんな生まれたての純粋な生き物に触れる勇気など、エルマーは持ち合わせていなかった。   「ええ、んだよー、強いやつに抱っこしてもらおうと思ったのによう」 「んなやわこい生き物、つぶしちまいそうで無理だあ。」   げんなりしているエルマーとは対照的に、ナナシはキラキラと目を輝かせて息子を見つめた。なんだか甘い匂いがして、ふわふわでとっても可愛い、これが赤ちゃん。ナナシのお腹の中にも、この子と同じ赤ちゃんが入っているのかとしみじみしてしまい、ふさふさと尾を揺らしながらつい見入ってしまったのだ。   「なあ、エルマーさんよ、一個聞いてもいいか?」 「んあ?」 「あんたが後生大事に連れてた子って、この子か?」   ロンは記憶を振り返り、獣の耳が生えていたっけなあと疑問に思ったらしい。エルマーはナナシの頭を撫でると、おう、と頷く。   「ナナシも腹に俺の子がいるんだあ。」 「ええ⁉︎まっじかよ!あんた達結婚したのかあ!そりゃあめでてえ!!」 「いや、まあ、まだそういうのはしてねんだけどよ…。」 「けっこん?」   聞き慣れない言葉に、ナナシが首を傾げる。メデテエというのも聞いたことはない言葉だが、ニュアンスからして悪い言葉ではなさそうだと、そのまあるいお目目でエルマーを見上げた。 そんな顔で見られても、まともな説明をする自信がない。エルマーは早々に白旗を上げると、生き字引であるアロンダートに説明を放り投げた。    「結婚というのは、嫁御にあたるものと共に神に永遠を誓う儀式のようなものだ。まあ、正装をしてな。ナナシは立ち位置的に、ドレスを着るだろう。」   ナナシのウエディングドレス姿かあ。エルマーはグビリと出されたお茶を飲みながら、想像してみる。 ドレスはナナシの白い背中が見えるものがいい。ふわふわなよくわからないシルエットのものよりも、細くてシンプルなデザインのものが似合うだろう。華美じゃなくていい。頭に被る名前の知らない薄布は、レースがあしらわれたものが良さそうだ。きっと禁欲的な美しさに映えるに違いない。 大きな花を髪に挿して、そっと細い顎を掬い上げ、いつもよりも艶めく唇に…、というとこまで妄想して咳払いをした。   「…どっちにしても、産んでからだなあ。」 「赤ちゃん…かあいい…」   ナナシは自分のことなのに、アロンダートの折角の説明も話半分に、赤ちゃん観察に忙しい。ロンはそんなナナシの様子に嬉しそうに笑うと、そっとナナシの前に息子を差し出した。   「アランってんだ。俺とカミさんの名前からスペルを取ってつけた。可愛いだろう。」 「アラン、」   ロンの息子の名前に、ナナシが小さく息を飲んだ。アロンダートも僅かに反応をすると、そっとその金色の柔らかな髪を撫でるように梳く。   「いい名前だ。きっと、思慮深く聡明な男になるだろう。」 「んだあ、そんなに褒められちまって…、俺まで照れちまう。」   ナナシはアランの小さな体をロンから受け取ると、その暖かさに泣きそうになった。長い睫毛に囲まれた美しい薄青の瞳。ああ、一緒だとその頬を撫でた。   「アラン、」   ナナシがその名を呼ぶ。ふくふくした頬をもにりと動かしながらご機嫌に微笑むと、その小さな手でナナシの唇に触れた。  エルマーは黙ってそのやりとりを見つめた後、ものすごくいい辛そうにしながら口を動かした。   「あん?聞こえねえ、なんてったんだエルマーさん。」 「…だから、ひとっ風呂浴びたら、俺も抱く…。」   ロンは気恥ずかしそうに言い出したエルマーに勝ち誇った笑みを浮かべると、それはもう上機嫌に風呂に入れと急かした。 結局風呂上がり、恐る恐る抱いたエルマーの腕の中で眠りこけてしまったアランに、エルマーはずっとへっぴり腰で椅子に座って動けずにいたせいで、アリシアが風呂から上がるまでの間の30分だけで体が悲鳴を上げるハメになった。 別に構いやしないのだが、とんでも無く疲れた。途中から未来の我が子を抱くための実地試験だと思うことにしたのだが、祖母のマーチから気を使われるほど、アランを抱いている間のエルマーの顔は、険しいほど張り詰めていたという。 ちなみにナナシの方が抱くのはうまかった。やはり孕んでいると違うものなのか、としみじみ思った。   そんなナナシはというと、妊娠していることを知ったマーチによって渡された、お手製の腹巻きを巻いてご機嫌である。 いつもの生成りのチュニックに、薄茶のボトム、その上からマスタード色のそれを巻いているので、エルマーは風呂上がりにその格好のナナシを見て思わず二度見した。なんとも言えない面白さを感じてしまったのだ。本人は新たに増えた装備が余程嬉しかったらしい、忙しなく尾を振り回すので、エルマーの鼻先が擽られて仕方がなかった。   そしてそんなご機嫌なナナシはというと、あてがわれた部屋でエルマーに後ろから抱きすくめられながら、ふんふんと嬉しそうに腹を撫でていた。   「アラン、かわいかた。ナナシもはやくあいたい。まだかなあ、」 「んな焦んなくてもいいやな。じっくり腹ん中でおっきくなってくれ。」 エルマーは寝る前の日課となった空魔石に余剰分の魔力を染み込ませると、恐る恐るナナシの腹を撫でた。   「…どうだ?」 「ん…へいき。きもちわるくなんないよう。」 すりすりと甘えるようにエルマーにくっつくと、ちゅう、とエルマーの唇に甘く吸い付いた。今日はどうやら腹の子供が腹ペコらしい。エルマーはナナシが満足するまで甘ったるい口付けを繰り返すと、そっと背筋を撫でた。   「おいコラ。俺もいるのだぞ。」 ー私も、一応おりますので。    そうだった。怪我人のサジとアロンダートは同じ部屋だが、エルマー達はまとめて同じ部屋なのだ。ナナシは照れ臭そうに寝たふりを決め込んだが、バレている。 エルマーは小さくため息を吐くと、ギシリと音を立てて寝返りを打った。   「ヤりてえ。」 「うるさい、寝ろ。」   にべもない。 下からレイガンのいい加減にしろよお前。というオーラがビンビンに伝わってくる。こればっかりは致し方なし、ナナシも腹が暖かくて気持ちがいいらしい。うとうととしているのを見ると、無理強いも可哀想だ。 人として当たり前の思いやりを持てるようになったあたり、エルマーも少しは成長したらしい。   明日になれば、また一日が始まる。明日の予定は立ててはいないが、サジが回復するまではいてもいいと懐の深いことを言われていた。 なんにもない日が一番幸せだということは、痛いほどわかっている。だからこそ、エルマーは一日を大切にしたい。束の間の穏やかさだ、これからどれほどそれが有るかは分からないが、明日はロンの手伝いでもするかと決めて、寝こけているナナシの頸に擦り寄った。           

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