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「だめだめ!うちの船に魔獣は載せらんないんだよ!騎乗獣は貨物扱いになるからね、悪いんだけど下で手続きして、乗船は人だけ!貨物は下にあるコンテナにいれてきて!」 「ああ!?アロンダートが貨物だと!?どこをどう見ても貨物なんかではない!!立派な雄だろうが!!それにサジは今普通にできないんだ!おまえがサジの椅子にでもなるのかー!!」 カストールに向かうための船着き場、ドリアズから一日ほどでついた小さな町で、サジは騎乗していたアロンダートをそのままでは載せられないといわれて止められていた。 「オスの魔獣でも貨物は貨物だから!!お兄さんの椅子にはならないけど車椅子ならかせるよ!!ほら乗らないならさがってくれ、次の客がつかえてる!」 「ああ!?貴様、人が下でにっ」 「おうおう、おまえは下手には出てねえしちょっとヒートアップしすぎだからこっちなあ!」 がやがやと乗船するために集まってきた乗客が、なんだなんだと注目を集め始めるくらいにはヒートアップしていたらしい。 見かねたエルマーがアロンダートを支えに立っていたサジの口を抑えて騎乗させると、大慌てで列から出た。 海辺の町はニャアニャアと海鳥が鳴き、おだやかな潮騒が朝のひと時を飾る。そんななかにサジのブチ切れた声をねじ込むものだから、エルマーは顔から火が出るかと思ったのだ。 「おまえは!!なんでそんな元気ハツラツなんだああ!!だいたいアロンダートに転化解いてもらえばいいだろうが!朝っぱらから悪目立ちすんじゃねえってんだ!!」 「む、なるほど道理である。」 「道理である。じゃねええええ」 ああ、朝から一段と疲れた。エルマーは大きなため息を吐くと、もうあの男のところに戻って並び直すくらいなら、一本のがして次を待つかと考えた。 アロンダートはというと、しばらくキョロキョロしたかとともうと、バサリと飛び立った。数分後何事もなかったかのように元の姿に戻って帰ってきたので、周りに配慮したのだろう。 「僕が最初からこうしていればよかったな。」 「つーかサジが消えときゃよかったんじゃねえか。」 「あ。」 「あ。じゃねえ!!」 どうやら自身の能力を忘れていたらしい。サジはやっと思い至ったという顔をすると、試しにパッと姿を消した。やはり元気なゴーストは伊達ではない。エルマーは右手の刻印を開いて確認をすると、確かにそこにはサジがいた。 ーああ、なるほどサジは神使様なのですか。 ーそうだ。こうみえても名前持ちの魔女だったんだぞ。ふむ、なるほどこれは確かに歩かなくていいから楽だな。 「やめろ頭ん中で談義してんじゃねえ!」 これはこれでやかましい。エルマーはワシャワシャと乱すように赤髪を搔きむしると、疲れたようにベンチに座った。 レイガンがナナシとともに戻ってくる。二人の手に握られていたのはこの町の名物らしい椰子の実に木でできた吸口を指したもので、ナナシが興味を惹かれていたのでエルマーが買いに行ってこいとレイガンと送り出したのだ。 緑色のまあるい木の実を満足そうに両手で持ちながら、ちう、と一口吸ってはぱたぱたと尾を振る。今日もナナシはごきげんだった。 「俺はいい、ナナシが全部のめ。」 「はわ…」 レイガンが勧められるそれを断る。どうやらナナシの味覚をあまり信じていないらしい。目の前で道中素焼きの黒蜥蜴を齧っていればそうなるのも仕方がない。 エルマーはもう一度サジを呼び戻すと、船に乗るときだけ消えるように約束をさせた。 「なんだそれ!サジも飲む!よこせ!」 「いいよう、どーぞ。」 「んなカツアゲみてえなノリでいうなや…」 ふらふらのサジはアロンダートにベンチに座らされると、相変わらずの不遜な態度でものをねだる。 ギンイロはというと、海鳥をばくりと咥えたのでレイガンが頭を叩いて窘めていた。 「それにしても、なんかみんなピリピリしてないか。観光ってわけじゃなさそうだ。」 「ああ、まあ身なりを見る限り商人だろう。追い返されているものもいるな…」 ー盗み聞きする限りでは、カストール側の情勢が少し荒れている…ようですね。 「まじでか」 ルキーノが会話を拾ってくれたらしい。アロンダートもできるが、急に部分的に転化したらパニックになるだろう。 ーなんでも、皇国に対してあまり良い印象は…あ、ないですね。今シュマギナールの商人の一人が船員と口論になっています。 「大地ぬけてカストール寄らねえって手立てはあるけどよ、」 「それはいやだ。サジの腹の具合が悪いからな、できれば安全なルートで向かいたい。」 「だよなあ。」 アロンダートが木の実のドリンクをごくごく飲んでいるサジの頭を撫でながら言う。ナナシはあわあわとその様子をみているので、やめてほしいのだろう。 「んぐ、なあ。ニアはだめなのか。ニアは水の神だろう、海は渡れぬのか。」 飲み干したそれをナナシに返すと、ひん…っと顔をくしゃりとさせた。いくら振っても水の音一つしない。ナナシのおっきなお耳はしょんもりと下がり、レイガンがべしりとサジの頭を叩く。 「いじめっ子め。無理だ。前にニアに聞いたが、だめだと言っていた。」 「みんな勘違いをしているなー。ニアは水の神、海には海の神がいる。不躾にその領域を侵害してしまえば、ニアは海の神に怒られる。そうすると、多分乾燥する。塩だし。」 しらんけど。と続けたニアは、チロチロと舌を遊ばせながら、しばらく黙りこくる。エルマーが最悪ギンイロとアロンダートに騎乗して渡るかという話を出そうとした瞬間、ニアは迷うようにぐるぐるとレイガンの体の上を這い回ると、ようやくレイガンの首元に落ち着いた。 「すごく嫌だけど、すごくすごく嫌だけど、海の神にお願いすることはできる。」 「海の神に?」 「まあ、同じ水回り関連のよしみで。」 「水回り関連…」 エルマーがなんとも言えない顔でニアを見ると、熱視線スキ。とチロチロと舌を出された。 「海の神には、まず酒だろー。それと、美しいものの贄がいるなー。」 「却下。人死が出るならやらなくていい。」 「でないぞ。ただ、海を渡っている最中は侍っていればいいだけだ。」 「侍り専門ならサジだなあ。」 「エルマー、ちょっと僕と話そうか。」 なら贄はサジかといった瞬間に笑顔のアロンダートに肩を掴まれた。解せぬ。 ニアは、おいまだ話は終わってないぞー。と相変わらずの間延びをした声で続けると、チロチロと舌を遊ばせながらその体を伸ばしてエルマーを見た。 「海の神と酒の飲み比べをして、勝ったら願いを叶えてくれるってのも、あるぞー。」 「乗った。」 ニアの言葉にエルマーが是と答える。酒の飲み比べなら負ける気がしない。その海の神とやらがどれほどの酒豪なのかはしらないが、身体強化をつかえるエルマーに酒精などないも同然。 ものすごくいい顔で受けて立つと言うと、ニアはその身を揺らして楽しそうに笑う。 「なら、よびだすかー。ここじゃ狭いから、広いところだなー。」 「狭い?」 ここは港で、船着き場なのである程度広さはある。エルマーは怪訝そうな顔で聞き返すと、ニアはキョトンとした顔で言った。 「そりゃあ、せまいよ。船よりもでかいからなー。」 でかいでかいと言われて、仕方なく人気のいないところまで移動した。近くには大きな洞穴があり、小型の魔物がすみかにしているらしく、糞のような匂いもする。 塩の満ち引きで岩場の隙間に溜まってしまった小さな海の水溜りには、カニやら小魚やらが停泊するように泳いでいる。 遠くに見えるのは先程の船着き場だ。カストールまではこのまま真っ直ぐに突き進むだけなのにとんだ手間である。 エルマーがどかりと購入した酒樽は、乗船を断られた商人から買い取ったものである。 無駄になるよりはいいと快く売ってくれたそれは、なかなかに上等なものだった。 「呼ぶぞエルマー。まあ、どっちを選ぶかは海の神しだいだからなー。」 「俺はもう何が来ても驚かねえぜ。」 「おー、じゃあがんばれー。いくぞ、」 エルマーとニアを残し、残りは数メートル後ろに、下がっていた。ニアいわく、陽気なやつらしいが、なにせ登場が派手だから水飛沫にかかりたくないやつはさがってろとのことだった。そしたらこれである。構わないのだが、腑には落ちない。 ニアが紫の瞳を輝かせる。鎌首をもたげ、波間に向かってシュー、シュー、と空気の抜けるような声を数度出したときだった。 「どわ、っ!」 突然水しぶきがかかり、エルマーがそれに気を取られた瞬間、足もとの岩場が撓む。なんだと思う頃には、エルマーは後ろにしりもちをつくかのように転がった。 「いつつつつつ…ったく、な…」 んだっていうんだ。とは続かなかった。 エルマーが呆気に取られているように、サジもアロンダートも、ナナシもレイガンも、みんながみんな馬鹿みたいに呆けてそれを見上げていた。 横長の大きな目玉が2つ。ぎょろりとエルマーを見つめてはぷよぷよとした丸い頭を水に浮かせていた。 まるでカウンターに腕を付くように吸盤のついた触手を岩場にのせ、ポットの注ぎ口のような口をシュコシュコと動かしながら顔をのぞかせたその姿は、正しく巨大な蛸だった。 「我が名はガニメデ!!酒をよこせ!麗人を捧げろ!さもなくばルルイエに連れていくぞ!!ぐわははは!!!」 「ルルイエ…?」 「ガニメデの海底神殿だなー。実家のようなものだ。」 「え、これクラーケンじゃねえの?」 「種族違いだ!!イカのクソ野郎と俺様を一緒にするな!!!」 「うわうるせえ。」 クワァ!!と薄灰色のその肌を一気に赤く染め上げる。ガニメデと言う名の海の神は、にゅるにゅると触手を滑らせ酒樽を掴むと、そのまま体の内側にしまい込む。しばらくして空樽を投げ捨てるようにペイッと吐き出すと、ううむ。酸味が足りぬ。などとイチャモンをつけながらその体を陸に上げた。 「バカ、でけえんだから全部乗りきんねえだろう!」 「人間、デケえという言葉は美しくない。申すなら偉大である。」 ガニメデは器用に体の半分までを載せたかと思うと、吐き出した樽の中に足を突っ込んだかと思えば、シュルシュルと恐ろしいほどの収納力で中に収まった。 「ば…、お、おわあ…」 なんというか言葉も出ない。狭い樽の中に収まると、四肢を出すように側面と底に足を突き出した。なんとも不格好だが、ガニメデが陸に上がるときはだいたいこうらしい。いわく、郷に入っては郷に従え。なるほど素肌を見せないための配慮である。 エルマーは魔物のような神を前にして、ますます混乱した。 「威厳はあ!?」 「ガニメデは陽気だからなー。」 「はわ…すごい…かこいい…」 興味津々な様子のナナシが、尻尾を振りながら近づいてくる。樽の中から金の瞳孔を輝かせると、ガニメデが目玉だけ大きくしてナナシをみた。 「そこの麗人、貴様の足はいくつだ。」 「あし?あんよはにほんで、おててもにほんだよう」 「4本か。フン、話にならんな!顔が良くても足が足りぬ!足だ!!多足の麗人を連れてこい!!」 「え、なんだこれ。」 「ガニメデのおねだりだなー。叶えてくれれば乗せてくれるとおもうぞー。」 チェンジで、と言われたナナシはキョトンとしたまま自分の腕を見る。なんてことない普通の腕だ。よくわかっていないナナシの頭を撫でると、エルマーはくるりと振り向いた。 「アロンダート。」 「なんだ。」 「腕だけ増やせるよな?」 「増やせるというか、まあだすだけだからな。」 アロンダートはやはり来たかといった顔で笑った。この仲間で多足なんてアロンダートしかいない。麗人扱いするのなら魔獣の姿はダメである。 サジは、仕方ないといった具合に歩み出たアロンダートに信じられないといった顔をしたが、止めることはなかった。 「ガニメデ殿。僕はどうだろう。」 「む?」 アロンダートが両手を広げると、その脇からさらに腕を出現させた。部分転化で魔獣の部分を自在に操れるようになったので、いまエルマーのパーティの中で一番フットワークが軽い男である。 「なんと!!!!6つ!!!!!」 「うわっ」 ガニメデは大層興奮したようにアロンダートの細越に腕を巻き付けたかと思うと、バキリと音を立てて樽を突き破って海に飛び込んだ。まったく、とんでもない早業である。アロンダートは消して濡れないように持ち上げられたまま、ガニメデが元の大きさで海面から顔を出す。 「よい!!これだ!!これぞ俺の求めていた至高の雌!!このガニメデのつが、」 「誰が糞タコの番にさせるかあああ!!」 「あーあーあー‥」 絶対こうなると思った。という顔でレイガンがげんなりとする。言わずもがな、サジである。恐ろしい位の早業で鎌鼬を繰り出すと、スパンと音を立ててとガニメデの触手を切り落とす。アロンダートは腹に触手を巻き付けたまま海に落ちるところを、ガニメデの頭部のやわらかな肉質がそれを防いだ。 「貴様ァ!!このガニメデの偉大なる六本目の腕を切断するなど言語道断だぞ!!母なる海の神、ガニメデがそのような不敬を許すとでも思っているのかァ!!」 「笑わせるでないわ!!サジは生命の大樹の神使であるぞ!!その神使の番を寝取ろうなどと、お館様が許してもサジが許さぬ!!」 「寝取ろうとはされていないな。」 アロンダートの冷静な一言だけが虚しく響いた。サジの言葉にその目を大きく開いたガニメデは、ぬちゃぬちゃとした粘着質な分泌液を滴らせながら唸りだした。 ニアいわく、汗らしい。 「生命の大樹…貴様、セフィラストスの秘蔵っ子か!!!」 「誰だそれ。」 「サジが傅く神様だなー。まあ、ニアたちの間では特段ひねくれもので、扱いづらい神様だー。」 相変わらずの間延びした声でニアは言う。ひねくれて扱いづらいとは、まんまサジだなあと思った。 ガニメデの狼狽えっぷりに、エルマーは神様に嫌がられる神様ってなんた。とか思いながら見ていると、勝ち誇ったような顔でビシリと今度はナナシを指さした。 「馬鹿なタコめ!!それにここには御使いもいるのだぞ!!このすっとぼけがお前らなんかよりもずーーーっとえらいのだ!!一介の神ごときが御使いに叶うかァ!!」 「あ?御使いってそんなやべえの?」 ーエルマー、ええとですね。御使いというのは始祖に傅くもので、その始祖の一部がニア様やガニメデ様になったのです。まあ、えらいです。 「偉いのか。」 ナナシは指を刺されても気にせず、ふりふりと尾を振り回しながらレイガンの指先に摘まれた蟹をみてご機嫌である。 ルキーノいわく、始祖が己の魂を分け与えた物が御使いで、御使いは同じく始祖から分け与えられた力を使い、大地を統率する神を指名したという。 神が王様なら御使いは宰相、そして指名された神は地方領主のようなものだと言っていた。 「まあなんだっていいやな。おいナナシ!ガニメデにカストールまで乗せろってお願いしてくんねえ?」 「うん、いいよう。」 ちいさなヤドカリをつまんでいたナナシが、エルマーの声にいい子のお返事をすると、とてとてと海の神であるガニメデの元へと向かう。ガニメデはその真横の瞳孔でナナシを注視すると、ようやくサジの言い分を信じた。 「あのね、かすとーるまでつれてってほしいのう。えるがね、がにめでにおねがいっていってるよう。」 「御意に。」 「わはは、目上だと思った途端にかー。ガニメデはあいかわらずだなー。」 ガニメデはいそいそとその身を海の底深くまで潜らせること数十分。まさかすっぽかされたりしていないだろうな、とエルマーが本気でソワソワし始めたタイミングで、海面が大きな丸を描くように盛り上がった。 「通称ガニメデの寝床!!沈没船に乗せてやろう!!」 その瞬間、ふんぞり返った態度でガニメデが再び姿を表す。まるで水面の膜を突き破るかのように、帆船のようなそれがざぱりと水を吐き出して姿を表したのだった。

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