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「ううむ、我が眷属共の話だとカストールの者たちは疑心に駆られているとのことだぞ。まあ、カストールの漁師共はこのへんまで来るしなあ、老齢な人間共の愚痴というのは世情を知るには丁度よい。」  「やはりそうか。大方同盟締結後にジルガスタントに仕掛けるという話になったから、それが理由だろう。」 「それにしても、人間は領土だの権力だの、いろんなことに気を散らさねばならんとはなあ。実に忙しいものだ。どうだ、貴様も我が元の魔女にならぬか。丁度探しておったところだ。」 「あいにく水魔法とは相性がわるくてな。」 口から火は出せるのだが。アロンダートはそう続ける。突き出した口の上に腰を掛け、眉間のあたりを背もたれにしているその様子は、なんとも快適そうだった。潮風が気持ちいいのだろう、長い髪をなびかせている様子は絵になる。 「うおえええ…」 「うわきたな。」 上からエルマーのえずく声が聞こえる。どうやらガニメデに牽引されるように進む帆船のスピードのせいで乗り物酔いをしたらしい。レイガンが引いていた。 ガニメデの寝床と呼ばれる海底に沈んだままだった帆船は、そこら中にフジツボやらサンゴの死骸、そして舵に絡まった海藻やら小魚、まあとにかく海から引き上げてきましたと言わんばかりのあれそれがまとわりついたゴーストシップだ。 ガニメデの特性上、早くは進めない。しかし、海上を揺れも少なく滑るようにして進むその姿は異常であった。 時折すれ違う漁師の船やらは、あっけにとられたようにそのおどろおどろしい船を見上げては動きを止めていた。 「まさかガニメデがサジのアロンダートを気に入るとは…くそう、誤算である。なんでこんなことに…」 「なあ、愛し子になるのってどうやんだ。サジはセフィラストスの愛し子なんだろ?」 「む、直接呼ばれるぞ。夢渡や、こんなふうにひょんな事から呼び寄せられる。無論、偶然を装ってな。」 「よく考えてみりゃ、ここにいる奴ら神さんに気に入られてるやつばかりじゃねえか。」 「神は暇じゃない。だからこそ芯の通った魔力の高いものを指名し侍らせる。サジたち魔女はそれを誇りに思って役目をまっとうしなくてはならない。まあ、サジはよく怒られるが。」 セフィラストスのことを思い出したのか、ぷるりと身を震わせた。怒られているところなど見たことはないが、夢渡とやらでどやされているのかと適当に考える。 ガニメデの愛し子は現在は居ないらしい。番というのも、おそらく愛し子のことだろうと言っていた。そもそも多足のものなんて早々にいない。なんでそんなもの探すのだと思いたいが、性癖だろうか。神に性欲があるかは別として。 「ガニメデの愛し子はなー、欠損してたり、おおかったりのほうがいいんだー。」 「あ?なんで。」 「だって、そういうもののほうが芯はつよいし、視野が広いだろー。ガニメデは、そういう人間の生き様を美しいと思うんだー。」 違った視点から物事を図れる、そして己の起点で現状を変えていける力のあるものを愛するという。 エルマーはそのニアの話を聞いて、なるほどと思った。 愛し子は長生きだ。だからこそ人に寄り添う気持ちを持ち続けなくてはいけない。サジは気が狂っているが、こいつは確かに決めたことは曲げない。我が強いところが気に入られたのかもしれない。 「む、おい貴様ら。前方がなにか来るぞ。」 「あ?」 ガニメデの言葉に、エルマーが反応する。確かに水しぶきを上げながら近づいてくるそれは、人には出せないスピードだった。 アロンダートが出ようかと立ち上がろうとしたとき、ガニメデの触手がその身を拘束して留めた。 「ガニメデ、なにをする。」 「お前は出るな。俺の背に乗せてやったのだ。ここはニア、貴様がでろ。」 「ええ、やっぱりかー。ニアは海の魔物、得意じゃないんだけどなー。」 エルマーもナナシもサジも、ぎょっとした顔でレイガンを見る。ニアはたしかに巨大化できるが、温厚な水の神が戦えるのかわからなかったからだ。 レイガンは心底疲れたという顔をすると、なぜか自身のインベントリからポーションをとりだした。体力回復よりも、魔力を補充するものだ。それをエルマーに渡すと言った。 「俺は倒れる。終わったらそれをぶっかけてくれ。まあ、なんだか嫌な予感はしていた。」 「倒れる…?」 「おー、すまないなー。まだニアが下手くそなばっかりにー。」 「気にするな。そう何度も取るわけではないだろう。」 ニアはレイガンの体に巻き付くと、ペロペロと唇を舐める。頬は良くあったが、唇は見たことがなくて、エルマーはいつもと違う様子に眉間にシワを寄せた。 「おお、とんだイカ野郎だ。このガニメデに挑んでくる不届き者め、なあに弱い雑魚だ。やってやれニア。」 物凄い勢いで突っ込んできたのは、海の怪物だった。エルマーが想像していたよりも大きく、クラーケンと呼ばれるその伝説の魔物は、度々こうして姿を表したガニメデに襲いかかるという。 本来は鯨などの大型の海洋生物を主食とするらしいが、その魔力に引き寄せられてやってくるらしい。 「ニルマイア·ニルカムイ」 レイガンの紫の瞳が輝いた。言霊のようなそれを告げた瞬間、ニアは急にガブリとレイガンの首筋に噛み付いた。 するとみるみるうちに体が光りだしたかと思うと、その身をくねらせて海へ向かって飛び込んだ。 レイガンはというと、そのままふらふらと後へとぶっ倒れてしまったので、エルマーは大慌てで瓶の中のポーションをぶっかけた。 「おい!!なんだってんだ急に!」 「いいから、黙ってみてろ…」 棘だらけの触腕を水面から飛び出させる。クラーケンの鋭い一打は簡単に払われた。ガニメデが幼子の手をはたき落とすようにして防いだからである。 なんだ、ガニメデだけでもいなせるじゃないかとエルマーが肩の力を抜いたと同時に、真っ白い人の手が小鳥を掴むかのように簡単にクラーケンの体を持ち上げた。 突然、水面から巨大な手だ。サジもエルマーもナナシも、驚きのあまりにビシリと固まってしまった。 そのまま大きな津波のような波を海に作りながら顔を出したのは、真っ白な顔と髪をした女性の顔だ。 そのままぬっと肩まで身体を持ち上げると、バクリと頭からクラーケンに噛み付いた。 「な、な、な、」 ごきゅ、ぷち、ばきょっと中々の咀嚼音を響かせながらもぐもぐと魔物を食らう口は、大口を開けたせいか耳のあたりまでグパリと開いた。閉じるとその境目は消えるが、美しい顔をしながら魔物を食いちぎるその様子は見ていて恐ろしい。 ぶちぶちと繊維を引き千切り、美味しそうに最後の一口まで口に詰め込むと、海水で手を洗って満足そうな顔をした。 「おまえ、ニアか…?」 引きつり笑みを浮かべながら、エルマーが問いかける。突然現れた現実離れをした存在が、顔に浮き出た蛇の鱗を艶めかせながら微笑む。 「そーだ。」 「まじか…」 「ニアはあれが本性だ。神はそれぞれ仮初の姿を持つ、このガニメデも本性はもっとすごいぞ!」 ぐわははは!と笑いながら触手を振り回すガニメデは、久しぶりにみたニアの本性に満足したらしい。 神の中でも特にニアは獣じみているからなあと笑っているが、そんなのんきなものではなさそうだ。 「ニアたち神は、この姿では戦いには参加しないなあ。本性で参加してたら均衡が崩れるだろう。だからニアたちは仮初の姿でしか助けられない。この姿も、まあたまにするくらいか。あまりしたら、レイガンが魔力枯渇で死ぬしなあ。」 「おい、レイガン。なら断ればよかっただろ。」 「ニアならともかく、他の神からの指名だぞ。簡単に断ればこちら側に咎が来る。ガニメデがどういう言いがかりをつけてくるかはわからないが、俺たちは自分の傅く神以外は断ってはいけない。それは自分の神の信頼に関わってくるからな。」 過去に他の神からの命令に背いた愛し子がいたらしい。その神は愛し子が傅く神に、お前の愛し子は俺よりも偉いのかと言われ、それ以降愛し子が傅く神はその格を大きく落としてしまったという。 「神格が落ちるのは、信仰が落ちるということだ。それは出せる力に関わってくる。ニアは、俺の先祖によって神格を大きく落とされた。だからこうして数十年に一度しか本性を現せない。」 「その数十年に一度を、今使ったのか。」 「ううん、じつにすっきりした。でももう戻らなきゃ、レイガンがまた倒れる。」 そういうと、ニアは肩をすくませて体を光に包んだ。ぽちゃんと音がして、ガニメデによって掬い上げられた小さな体で鎌首をもたげる。いつもの蛇の姿に戻ると、いつもより鱗の艶が増しているような気がした。 けぽりと口を大きく開き、その細い体を捻じりながら大きな魔石を一つ吐き出す。クラーケンの魔石はサファイアのような輝きを放っていた。 「これはレイガンにやる。まあ詫びというものだ。」 「別にいらないが、もらっておく。」 小さく頷くと、レイガンがそれをインペントリにしまい込む。ニアは律儀な神様だった。この姿を出すと負担になることを知っていた。だが、出さねばガニメデが収まらない。なのでお詫びといったニアの心も、レイガンはきちんと理解しているからそれを受けとった。 「ガニメデ、あんまりわがままいうのだめだよう。」 「御意。」 「ナナシには素直なんだよなあ。」 「まあ、逆らえんしな。」 シュルシュルとレイガンの体に巻き付き落ち着くと。ニアは疲れたから寝ると言って服の中に消えていく。エルマーはくすぐったくないのかと毎回思うが、レイガンいわく、服の内側にニアの睡眠用のポーチを下げているらしい。 「お疲れ。ありがとうニア。」 服の中から、なんのなんのー。という声がする。サジは緊張がとけたのか詰めていた息を吐きだすと、どしゃりと船の上に寝転んだ。その頭上を慌てながら小蟹が逃げる。 「おーい、お前らそろそろだぞ。ここから先は飛んでいけ。俺はそろそろ潜るからな、アロンダート。いい時間だった。俺は満足だ。」 「座っていただけだがな。ガニメデも、早く愛し子と出会えるように祈っている。」 「信仰してくれるのか。やはり惜しい人材だ、まあ何かあったら一度くらいは助けてやろう。達者でな。」 ガニメデはごきげんな声のトーンでそういうと、徐々に体を透かしていく。エルマーが慌ててギンイロに転化するように言うと、本性の姿に捕まった。 「レイガン、おまえは僕たちと一緒だ。」 「ああ、わるいな。」 定員オーバーとやかましかったギンイロが、素直にナナシとエルマーを乗せる。ドリアズでの一件で、どうやらなにか変わったらしい。我儘も言わずに大人しく言うことを聞く姿に、エルマーはすこしだけ成長を感じた。 転化したアロンダートにサジとレイガンが慌てて騎乗した瞬間、ガニメデは寝床に足を回して海の奥深くに潜っていった。 全く、実に濃い時間だった。レイガンはちびちびと魔力補充のポーションを飲みながら、エルマーはナナシの腹に腕を回しながらカストールに向かう。 船着き場が見えたところで、認識阻害をかけてから人気のないところに降り立った。 「っと、ほら」 「うん、」 先にギンイロから降りたエルマーの手によってナナシが降ろされる。ぴくんと大きなお耳を反応させ、くんくんと空気の匂いを追うようにきょろつくと、いつも元気な尻尾が地面を撫でるように小さく揺れる。 「どうした。」 「ここ、ナナシのちのにおいがする」 不安そうな顔をして言うナナシのよこに、レイガンが降り立つ。警戒をするようにあたりを見回したが異変等は感じられない。ナナシだけが分かる何かがあるのだ。 「聖石はいま城のとドリアズで処理したやつの合わせて3つ、匂いがわかるってんなら随分とでけえもんに食わせたってことか?」 「ううん…んとね…まざってる…?」 「まざってる?」 「うううう…んー‥、」 うまく言い表せないらしい。ひとまず上陸には成功したので、あとはこちらがシュマギナールから来たということがバレないようにするだけだ。 半日ほどでついたカストールには、もう早いもので日が沈もうとしている。 ナナシも首を傾げて曖昧なその糸を探るようにして嗅覚を駆使するが、まだその緒はつかめないようだった。 「カストールかあ…」 エルマーが、行儀よく階段のように整列する白い町並みを見上げながら呟く。何となくその声色が気になってナナシが首を傾げると、なんでもねえよと誤魔化された。

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