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娼館近くの高級な宿屋に部屋を借りた。どれだけ滞在するかはわからないので、とりあえず前払いで纏めて一週間分。金払いがいい客は特に優遇される。 カストールでは、金を持つものこそが信頼を勝ち得るのだから。 入ってきたときから、皆が注目していた。まさかこちらに来るとは思わなかったのだろう、若いカウンターの男は、まさか白磁の美青年が白魚のような手でそっと大金貨を出してきたのを見て、その空気を緊張感のあるものに変えたのだ。 恐ろしく美しい顔の中性的な青年は、このホテルを度々利用する貴族のように、まるで見せつけるように支払うのではなく、ポシェットからコトリと、まるでなんの痛手もありませんといった具合で大金貨をトレイに乗せていったのだ。 「これで、とまれる?」 「も、もちろんでございます…!」 「釣りはいらぬ、良いように使え。」 美丈夫が微笑む。まさか、お釣りで金貨が来るほどだぞと驚きはしたが、さすが我が国カストール。古き良きを美徳とする貴き人は、このようなサービス業にまで奉仕をしてくれるとはと感動した。 支配人が慌てて飛び出してくる。高級宿として長くあるが、このような麗人で、かつ恐ろしく金払いの良い客など今まで来なかった。 支配人は大慌てで一番良い部屋を用意させると言うと、四人がけのソファーに案内した。 宿の窓際、通りから見えるその席はエグゼクティブなものしか座ることを許されない。大通りに面したそこに座るものは、そのまま店の評価に繋がるからだ。 「このような場所に隷属者を連れてきてすまぬな。何分、あまり市井にでないもので。」 「とんでもございません。こちらのホテルは身分別け隔てなくサービスを提供してございます。お連れの方々にもごゆるりとお過ごし頂けるよう、スタッフ一同誠心誠意、尽くしてまいりたいと思っております。」 口髭を蓄えた男はそういうと、丁寧に頭を下げる。 アロンダートは微笑みながら満足したように頷く。 ナナシが嬉しそうに支配人を見上げると、ゆるゆると尾を揺らす。 きっと、この美しい獣人は愛人なのだろう。支配人はそう思っていたのだが、本当はその向かいに座るエルマーの嫁である。まさか隷属者だと思っているものと番関係にあるとは終ぞ思わない。 だから、移動の際にエルマーがナナシを抱き上げたのを見て、この隷属者は主から信頼されているのだなあと関心までしていた。 「える、おはなししてくれないのう?」 「あとでな。」 「はぁい。」 睦言のように、囁くような声のトーンでやり取りをする。耳元にそっと唇を触れるようにささやくと、ぎゅうと抱きつく腕の力が強まった。 支配人によって通された部屋は、見事なスイートルームである。アロンダートは顔にこそ出さないが、最近の宿はまるで王族の主寝室のようなのだなあと感心したように頷くと、支配人は安堵した顔をする。 余程緊張していたらしい。エルマーがナナシにチップを渡すように囁く。こうすれば、こちらが滞在中は身元も疑われない。 カストールは、金払いの良い客は上客としてプライバシーを保護される。 ナナシがエルマーから降りると、とてとてと支配人に近づく。キョトンとした顔で見下されると、その働き者の手をそっと開かせるようにして広げた。 「お客様?」 「んとね、これ。きらきらの、ナナシがすきないろのあげるね」 「え、あ、よ、よ…」 えるとおなじおいろ。そう言いながら金色の魔石を渡す。エルマーが余剰分の魔力を移したそれは、珍しい金の魔石だ。 ナナシやエルマーからしてみれば、余ったものを移しただけだが、普通はけして出回らないそれは価値のつけられないものだった。 まさか金貨ではなく小粒とはいえそっちを渡すとは。 エルマーは苦笑いを浮かべたが、まあ使い道も決まっていない。数センチ程度のそれならいいかと頷くと、支配人はぶるぶると手を震わせながらその石を握りしめた。 それはそうだろう、普通の魔石にはないものだ。 しかし、エルマーやナナシが魔力を流さないと使えないということも実証済みだ。 よって、普通のものには使えないただの高い魔石である。 「あげるねえ」 「よよ、よろしい、のですか…こ、こんな高価な…」 「えるが、いいって。」 「主が受け取れと言っている。好きに使え。」 えるが…、と言われて慌ててエルマーが訂正する。後でナナシには、エルマーからの許可はいらないと教えなくてはと若干顔を引き攣らせると、レイガンに可哀想なものを見る目で見られた。 「ありがとうございます…」 「よい、外に出るときはフロントに鍵を預ける。頼むぞ。」 「御意に、」 おおよそ価値の付けられないようなものを受けとった支配人は、冷や汗をかきながらそれを懐に納めると静々と退出していった。 ナナシはのんきにどんぐりのほうが良かったかなあと思っていたのだが、それはナナシの大切なコレクションなので上げるのはいやだったらしい。 パタンとドアが閉じられ、ホテル側からミステリアス過ぎる客人でありながら、最高のもてなしをされる側となったエルマー達は、その威厳のある表情を崩すとべしゃりと床に転がった。 「あー‥つっかれた。まじ、アロンダートが威厳があってよかったぜ。」 「エルマー、金を使って大丈夫だったのか?結構な額だろう。」 「ん?それよりナナシがくれてやったクズ魔石のほうが高いから大丈夫。いや、大丈夫ではねえんだけど…まあ、あれ売ればいいから気にすんな。」 尾を振り回しながら寝転んだエルマーに重なるように抱きついてくる。甘えてくるナナシに好きなようにさせながら、くありと大口を開けてあくびをした。もう眠すぎてだめだった。 「サジ、もうでてきていいぞ。」 「くあーー!何だこの部屋!アロンダートの部屋よりも広い!」 「僕もそう思っていた。ほらいくぞ。」 「あ、ちょっまて、わああ」 なんともコメントのしづらい事を言いながら大はしゃぎをしたサジは、アロンダートに担がれて汚れを落とすためにシャワールームに連れて行かれる。 そうだ、あいつ漏らしたんだったなあ。と見送ると、腹筋を使っておきあがった。 ナナシにきちんと言い聞かせるためだ。 レイガンは、珍しくエルマーが真面目な顔をしているのに気がついて、面白そうな雰囲気を嗅ぎ取ったらしい。装備を外しながら聞き耳を立てる。 「ナナシぃ、この国でお前に求めるのは、我儘になれ。もうとにかく、たくさん俺にしてほしいことを言え。往来でも構わねえ、貴族のように我儘におねだりをしろ。いいな?」 胡座をかいたエルマーの膝に抱きつきながら、いいこにエルマーの言葉に耳を傾ける。 ひっつめのエルマーの髪型が好きなナナシは、頬を染めながら無邪気にお話を聞く。 「おうらいってなあに?」 「人がたくさんいるところだあ。」 「はわ…ひとがたくさんいても、だっこしたり、おててつないだり、ナナシがおはなつみたいときもついてきてくれるのう?」 「おう、お花でもどんぐりでも、なんだって一緒に探してやらあ。レイガンも付き合ってくれるぞ。」 「え、俺もか。」 「ふおお…」 それって、なんて素敵なことなんだろう。ナナシが目を輝かせると、ブォンブォンと振り回される尾にばしばしとレイガンが叩かれる。 構わないのだが、地味に痛い。 ナナシの素直な反応にエルマーが悶る。真面目な顔をしていたくせに、もうボロが出たらしい。嫁の可愛さにノックアウトされるのは仕方がないとは思っているが、慌てて真面目な顔を取り繕う。 「ただし、次にやるなら金魔石はだめだ。あれ一個だけにしろ。次渡すなら金な、そんで金額は高くても銀貨一枚、いいな?」 「きんいろ、きれいなのに?」 「ナナシが良くても、そんなほいほい金貨だしてたら悪いやつに絡まれるかもしれねえ。ナナシが攫われてみろ、俺はそいつを殺すかもしんねえ。な?」 「な?というかんじで同意を求めるな馬鹿者。」 さも当たり前のように言うエルマーの後頭部をレイガンがひっ叩く。スパァンといい音がなったが、想像力豊かなナナシにはとてもわかり易かったらしく、エルマーが困るということがわかるとコクコクと頷いた。 全く素直で大変いいのだが、その絵面は技を仕込む犬と飼い主のように見えてしまうからおもしろい。 「お前たちもさっさとシャワーを浴びてきたらどうだ。もう一つ浴室があったぞ。」 「まじでか。」 従者用の部屋まで完備されているとは流石である。 エルマーはこの宿の宿泊設備の充実具合に若干物怖じした。クローゼット収納にきれいにかけられたガウンやら、ふかふかの室内履き。そして恐る恐るめくったベッドシーツの下には防水シートまで張ってある。行為からなにからすべからくバッチコイというらしい。 引き出しの中には避妊具とローション、そしてベッドの下には、アレな玩具箱。 ナナシが楽しそうに首に巻いていたアナルパールも、レイガンが血相を変えて取り上げていた。 無駄に水晶のような石を使うから、ナナシがネックレスだと思ったらしい。 「室内設備のエグゼクティブって、こっち方面かあ。」 「エルマー、カストールは娯楽の街だろう。つまりそういうことだ。」 「俺の住んでるときも奔放だったものなあ。」 「える、これおしゃぶり?」 「それは尻用のおしゃぶりだあ。」 金箔入りの水晶のアナルプラグなど、もはや芸術過ぎて使う気にもなれない。 ギンイロなガジガジと噛み付いている御影石のディルドも言わずもがなである。 「シャワー、浴びて寝よう。今日はもう何も考えるなエルマー」 「だなあ。アイツラおせえな…」 なかなか戻ってこないサジとアロンダートを気にかけると、レイガンはなにか察したらしい。野暮はやめろと呼びに行くのを止められると、エルマーも渋い顔をした。 なるほどたしかに野暮かもしれん。 室内がコレなら浴室はアレだろう。 「エルマー、お前は俺と入るぞ。ナナシはギンイロと入れ。」 「ななしもえるとがいい!」 「ギンイロハナナシトガイイ」 「盛らねえ自信ねえなあ。」 「だから俺とだって言ってるんだ。」 がしりとレイガンがエルマーの服を掴んでナナシから引き剥がす。ギンイロはぶわりと転化すると、ぱくりとナナシの襟元を咥えて尾を振りながら浴室の方へ消えていく。 エルマーはぽかんとしながらそれを見送ると、一番強かなのはギンイロかもしれねえとしみじみ思った。 翌朝である。 コンコン、というノックの音がして、エルマーが飛び起きた。隣に寝ていたナナシがびっくりして体を起こすと、先に起きてシャワーを浴びていたレイガンが扉に向かう。 「わああまてまて!ナナシ裸だからまだ扉開けるな!」 「お前も早く服をきろ!」 しっかりとガウンを着込んだレイガンはシャワーも済ませていたらしい。 エルマーは下着一枚のまま適当にガウンを掴むと、寝ぼけているナナシにそれを纏わせる。 エルマーの寝癖がぷよぷよと揺れる様子をボケっと見ながら、ナナシがエルマーの首に腕を回したのと、レイガンが扉を開けたのはほぼ同時だった。 「朝食をおもちいた、」 「すまない、…?」 カララ、とカートに朝食を乗せてきた支配人が、ビシリと固まる。レイガンが不自然に止まった支配人の目の先を追うと、寝ぼけたナナシがエルマーの頭を引き寄せて口付けをしているところだった。 「ん、んー‥」 どうやら腹の子がエルマーの魔力を求めていたらしい、くちゅりと水音をたてて唇の隙間から赤い舌がちらりと除く。 朝っぱらから隷属者に、主からのご褒美だ。エルマーはまさかナナシがそんなことをするとは思わなかったらしい、ポカーンとした顔でなすがままにされている。 「な、あ、あ、あのも、もうしわけっ」 「ああ、いい。いつもああなんだ。彼は主からの寵愛がなんというか、まあわかるだろう。」 もう面倒くさすぎてレイガンは説明を放棄する。支配人も恐ろしく高価なものを頂いた手前、このことは他言無用ということだけはしっかりと理解していた。顔色をいろんな色に染め上げながらもしっかりとした手際で手早く朝食を並べる姿はさすがプロだ。 「む、朝餉か。」 「ひえ、っ」 カチャン、と主寝室の扉を開けて現れたのは、全裸の美しい男だ。枯葉色の髪を垂らしたまま、その白い肌に大きな手形や所有印を刻む。腹に包帯を巻いていたが、そこに巻くなら胸元や下肢も隠してほしかったし、宿泊表には5人目はいなかったはずだ。 支配人は目のやり場に困るように慌てて天井を見上げると、ぶわりと冷や汗をかいた。 天井に、銀色の毛玉の塊がぎょろりとした緑色の単眼で支配人を見つめていたのである。 支配人は、心が綺麗だった。だからこそ精霊であるギンイロの姿を見ることができたのだが、その見た目はあまりにも魔物じみていた。 「ナニミテル」 「いえっ、あ、あの」 「ミエル?ミエルノカ。オマエ、」 「はひい…」 な、なんだこれは。支配人が硬直する様子にレイガンは頭を抱える。いわく、この自由人たちの中に取り残されるようにしてそこに立っている支配人があまりにも可哀想だったのだ。 「すまない、皆俺たちの仲間だ。このことは内密に、いいな?」 「たとえ殺されようとも口は開きません!!」 「いや、まあ…その気概だけは受け取っておこう…」 入室時とは違うかくかくとした動きでぎこちなく支度を済ませると、ゴユックリなどとギンイロのようなイントネーションで一言言って去っていく。 「ギンイロ、なんでそんなところにいる…」 「アソンデタ」 しゅたっとレイガンの真横に降り立つと、短い後ろ足でぼりぼりと頭を掻く。寝ぼけたアロンダートがようやく起きてくると、全裸のサジにガウンを着せて抱き上げた。 「誰か来ていたのか。」 「支配人が朝食をもってきた。お前の番の露出癖、いい加減に直せ。」 「むしろ目の保養だと思うが。」 寝ぼけた思考のアロンダートは、しばらくは使い物にならない。サジはぶちゅりと頬に口付けると、さあ運べ!とごきげんに朝食が並べられたテーブルを指さした。 なんだか朝から一番疲れたのは俺かもしれない。レイガンはげんなりとした顔でエルマーたちの方へ振り向くと、盛ったエルマーが朝っぱらからナナシを押し倒している最中だった。 「お前も!!いい加減にしろ馬鹿めが!!」 「いっでえ!!!」 バコンといういい音を立ててレイガンがエルマーを殴った道具が、昨日ギンイロが齧っていたディルドだと気がつくまで、後数秒。

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