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「エルマー、おまえ闘技場に出ろよ。一匹変な魔物が混じってるんだ。今年の参加者は、みんなその魔物にやられてる。」
「変な魔物?」
ユミルが真剣な顔で頷く。どうやら闘技場では、より強いものに国に残ってもらうためにふるい分けをされるらしく、人同士で争ったあとは魔物とやり合うらしい。
今までの参加者はワームやオーガ種など、攻撃の癖が強く厄介なものが多かったらしいが、今年に限ってはそうではないらしい。
「ギルドが魔女に掛け合って、特別に用意してもらった魔物って言ってた。なんでも、土を食わせたとかいっててさ。」
「エルマー。」
「ビンゴだな。」
サジが厳しい顔をする。ギルドが魔女に掛け合うというのも妙な話だ。普通は、魔女協会にかけあって、が正しいからだ。しかしユミルを見る限り言い間違いをしている様子もない。
土を食わせたその魔物が幽鬼なら、もしかしたら一人は死人が出ているかもしれない。
「ちなみに、今回の魔物は?」
「…デュラハンっていってる」
「アンデット種か…テイムはねえな、…デュラハンか」
「でゅらはん?」
「首無し騎士。戦ったことねえから、弱点はわかんねえな…」
デュラハン、それはアンデット種の中でも上位に来る魔物だ。始まりの大地の廃墟に出るとは聞いていたが、まさかそこからつれてきたのだろうか。
エルマーはアンデット種は総じて首を刈り取って倒してきた。しかし、ないものに関してはどうしょうもない。どこかに首があれば話は別だが。
「なあ、戦ったやついるのか?話を聞きてえ。」
「いるけど…みんな諦めてもう国を出てってるよ。デュラハンに勝てば報酬は破格だけど、大衆の目の前でやり合うんだよ?プライドがあるやつしか闘技場にこないんだから、負けたらわかるだろ。」
「なるほどなあ。」
ユミルはため息を吐くと背もたれによりかかる。
どうやらヤれなくてご不満らしい。
若干なげやりにやりながら足を組み直すと、エルマーを睨みつける。
「この僕の持て余した火照り、どうしてくれんだよバカエルマー。」
「お前なら穴の乾く暇がなさそうだけど?」
「そりゃあね!!だけど食いでのある男は、みーんな国を出てったの!デュラハンに負けてね!」
「おまえ闘技場に出るやつも食ってたのか…」
どうやら隷属者以外でも、腕試しでギルド経由で出場する参加者もいるらしい。ユミルはそこまで食指を伸ばしているようで、なるほど顔が広いわけである。
「僕がシュマギナール人がいるぞーっていったら、エルマー達は国外追放だねえ。どうする?」
にっこりと意地の悪い顔をして微笑む。そのままナナシを見つめると、ユミルはぐいっと顔を近づけてその頬を両手で包み込んだ。
ナナシはキョトンとした顔で、手で圧迫されたせいで突き出した唇をそのままにユミルを見上げる。
ユミルが何をしたいのかはわからないが、なんとなく大人しくしていたら、にゅっとエルマーの手のひらが二人の顔の間に伸ばされた。
「人の嫁に手ェだしたらぶっ飛ばすぞ。」
そのままユミルの手をナナシの顔から離させると、真顔のエルマーが眉間にシワを寄せながらユミルを見つめた。
その鋭い金色の輝きに、きゅうっと唇を噤む。ユミルの薄緑の瞳はじわじわと水分を纏い、つるりとその目から溢れる。
エルマーの強い瞳に、ユミルの擦れた心が傷ついたのだ。
「っ、全部、全部お前が期待させたくせに!エルマーの馬鹿野郎!僕がいくらビッチだからって、っ…初恋、だったのに…!」
ぼたぼたと涙を溢しながら思わず叫んだ。本当は、ユミルがエルマーの嫁になりたかったのに。
「なんで…僕じゃだめなんだよ…っ、僕が、僕が先にエルマーを見つけたのに…!!」
「ユミル、」
「うるさい!!人のもんとったお前が、僕の名前を呼ぶな馬鹿!!」
「ひぅ、っ」
思わず泣き出したユミルに、慌てたナナシが声をかけた。しかし、その優しさはユミルの心を荒れさせるだけであった。
初恋だった、エルマーはユミルの甘酸っぱい恋愛そのものだったのに、そんな好いた相手からの刺々しい瞳をもらいたくはなかった。
ナナシの心配そうな顔も、余裕からくるものだと思ったのだ。思わず伸ばされた手を振り払う。
「こら、ユミル!!」
ぱしんと音がして振り払われた手を握るナナシは、自分がユミルを泣かせてしまったのだと思った。
頭上から、エルマーの声が聞こえる。ユミルはキッと睨みつけると、自分の家だというのに椅子を引き倒して玄関へと走ろうとした。のだが、
「ユミル、落ち着け。」
「離せや!!」
「ユミル!」
がしりと引き留めるように、レイガンがユミルの手を握る。嫌だ。こんな惨めに恋が終わったのに、放っておいて欲しかった。
こいつもどうせ、エルマーたちの味方なのだと思うと、余計に心の行き場がない。
レイガンは肩を震わして涙を零すユミルに小さく溜息を吐くと、その細い体を引き寄せた。
「エルマー。ユミルの思いを知ってたんなら、今回のそれは悪手だった。これはお前がユミルに謝るべきだ。」
「…わかってるよ」
レイガンの言葉に、頭を掻きながらエルマーが俯く。流石にここまで拗れるとは思わなかったらしい。ユミルの恋心に気づいていた分、それを利用してしまった自身に否があることは理解しているようで、珍しくバツが悪そうな顔をしていた。
「いやだ、聞きたくない!聞いたら許さなきゃいけないべや、ゆ、許したくない…!」
「ユミル、お前が嫌なら仕方がない。だけどエルマーが改心するきっかけを与えるのは、お前にしかできない。ここは大人になるべきだ。」
「っ…、レイガン、いやだ…。」
「そうか、ならば男ならエルマーを殴れ。一発お見舞いして終わりにしろ。」
「はえ…」
真剣な顔をしたレイガンが、急に粗野な提案をしてきた。大人になれと言われて、妥協しろとせっつかれているようで腹が立ったのは確かだが、まさか青春よろしく拳で語りあえという、なんとも両極端なことを言われれば流石に驚いてしまう。
エルマーはクシャッとした顔でしばらく悩んでいたが、漸く腹を括ったらしい。部屋を隔てる机を勝手に端に追いやってスペースを広く取ると、部屋のど真ん中に立った。
「今回は俺が悪かった、もうしねえ!」
「ほら、一発キメてこい。気持ちいいぞ、スッキリする。」
「ええ…」
まるで麻薬のディーラーのような言葉でユミルを応援すると、無理やり引きずりながらエルマーの前に立たせる。ユミルはずびりと鼻を啜ると、その小柄な身長でエルマーを見上げた。むすりとした顔でエルマーを睨みつけて言う。
「んとに…齒ァ食いしばるべや!」
「おし、こい!!」
「こンの、糞男おおお!!」
数歩下がったユミルが助走をつけたかと思うと、短い距離を勢いよく突っ込んだ。エルマーはユミルが殴りやすいように少しだけ前かがみになると、それにカチンときたらしい。
周りのものが見守る中、何故かエルマーの後ろに回り急停止したかと思うと、思い切りその足の間を蹴り上げた。
「これでも喰らえ!!!」
「ーーーーーーーーー!!!!」
サジもアロンダートも、ナナシもレイガンも息を呑むほどに、それは見事な蹴りがエルマーの股関に決まった。エルマーはしばらく停止していたかと思うと、べしゃりと床に崩れて声なき悲鳴をあげながら蹲る。
「おえっ…」
行けといったレイガンが、痛みを想像したのか口元を抑えて微かにえずく。なんというか、もう本当に容赦がなさ過ぎて恐ろしい。エルマーはぴくぴくと白目をむきながら痙攣しており暫くは再起不能だろう。ナナシが大慌てで股間に治癒をかけているのがなんともシュールであった。
「おま、おま、おまえにじ、慈悲はないのか!?!?流石のサジでもそこまでしないぞ!?!?」
「僕も少し気分が悪くなってきた…」
うっぷ、と顔を青ざめさせたアロンダートも机を支えにしている。ここにいる男全員が恐れていると言っても過言ではないその鈍く重い痛みを、しかも後ろからいきなり食らわせるなど完全にアウトである。
「この下半身だらしない男はこんくらいしないと反省しないべや!」
「まて、エルマーはナナシだけだぞ。」
「嘘こけこんな手練なハニトラ、慣れてなきゃできんだろーが!!!」
ぷんぷんと怒っているユミルに、レイガンがエルマーの日頃の行いの賜物だなあと思う。しかし、サジも随分と前からナナシしか見ていないのは知っている。しかし、ハニトラはナナシが嫌がるのでこれをきっかけに完全に懲りるだろう。
そんなことを考えていると、呻くような声が下から聞こえた。
「はわ…える!」
「ま…………じで、…じ…じゅ、…つ、つか、…てる、だ……け……うっ、」
「あー‥、ユミル。エルマーは精神系の術で誤魔化してただけだぞ。こいつ、無属性だから。」
「ええ?」
ナナシの手で腰を撫でられながら、掠れた声で言い切ったエルマーは、もはや体裁とかどうでもいいと言わんばかりにナナシの腰に抱きつくと、痛みから来る腰痛に今度は呻く羽目になった。股間の衝撃からくる痛みはこうも上に上がるのか。知りたくはなかった。
「とにかく、今日はこれで手打ちにしてくれ。それと闘技場に土があるとわかった以上は俺たちは参加一択だ。ユミル、この情けないエルマーで溜飲はさがったろう。参加する旨はギルドに申請をすればいいか?」
「いや、申請するくらいなら話しておいてやるけどさ。まじでやんの?いまんとこ誰も勝ててないよ?対人戦はなんとかなったとしてもデュラハンは厳しいべ。」
「一番勝算が高いやつがこれだからな…まあ、なんとかする。」
「闘技は一番早くても明後日だよ?予選からやるなら明日だけど、融通きかせようか。その、僕もちょっとやり過ぎたし。」
ちょっとじゃねえ。とか細い講義はナナシのお腹に顔を埋めているせいでくぐもったものとなった。
「いや、予選からでいいだろう。なんかすまなかったな。騒がせた。」
「レイガン、あんたも苦労するね。」
「言うな、これは運命と割り切っている。」
ユミルは苦労症のレイガンを見る。この男もエルマーに振り回されているのだろう。エルマーの横腹を突っついているサジという男も、その恋人だろうアロンダートという男も、なんだかこのエルマーのパーティはちぐはぐだ。皆がなにかを抱えているような達観した雰囲気を持っている。
それに、この白い青年はユミルがしたことを怒らなかった。恋人なら怒ってもいいようなことをしたというのに。
「ナナシだっけ、あんたなんで僕がエルマー蹴ったこと怒んなかったのさ。」
ユミルの言葉を聞いて、ナナシが顔を上げる。視線に棘はなく、エルマーの頭を撫でながら少し考えるような素振りを見せると、困ったように耳を下げた。
「ユミルなかせたのえるだよう、ナナシも、えるにはんせいしてもらうの。ごめんなさいユミル」
しょんもりしながらそういうと、再びエルマーの腰のあたりに治癒をかける。この青年は語彙が少ないけれど、きちんと誤魔化さずに言うのだなとユミルは思った。
自分なら絶対に、好きな男がこんな目にあったら怒るからである。
ナナシは、きちんと誰がいけないかをしっかり見ていた、その上でユミルに謝ったのだ。
頭の悪い喋り方でも、ずっと敏い。ナナシは別け隔てなく接するのだと感心したのである。
「おう、…もういーよ。」
「ユミル、ナナシはユミルとなかよししたい、やだ?」
「やだ、じゃないけど…」
「なかよしするひと、なってほしい。」
きゅうっとユミルの胸が甘く疼く。こんな真っ直ぐに友達になって欲しいと言われたのは、何年ぶりだろうか。
容貌の美しさで苦労をしてそうなこの獣人は、とてもきれいな瞳でユミルを見るのだ。その顔で、友達になってくれるかなあという不安の色を滲ませながら、勇気を振り絞ってユミルに聞いたのだろう。エルマーの服を握りしめながら、緊張からかほのかに頬が赤い。
「…いいよ。それと、仲良しする人じゃなくて、こういうのは友達っていうんだ。」
「ともだち、ナナシのともだち、なってくれるのう?」
「うん、友達になる。僕らエルマーに苦労した者同士、仲良くしてよ。」
戸惑いがちにユミルが握手をするつもりで手を出すと、ナナシの頬が真っ赤に染まり嬉しそうに目を輝かせる。ぱたぱたと尾を振り回しながら、きゅうっと喉を鳴らしてへニャリと笑うと、肩をすくませるようにして頭を差し出した。
ユミルがキョトンとしたままナナシの不思議な行動を見つめると、吹き出したレイガンがフォローするように言った。
「ナナシの場合、握手じゃなくて頭を撫でてやればいい。」
「犬猫かよ…」
なんだそれ。と笑うと、その毛艶のいい髪をわしゃわしゃと撫で付ける。ふかふかのお耳も巻き込んで撫でてやると、余程嬉しかったのかフローリングを尾でばしばしと叩く。
な、なんだこの素直な生き物。こんなのが本当にエルマーの元にいていいのだろうか。
ユミルは自分の手のひらに擦り寄るようにして喜ぶナナシにきゅんきゅんすると、エルマーに泣かされたら僕が守ってやらなきゃと心に決めるのであった。
「ナナシ、エルマーにやなことされたら僕に言って。また股間蹴り上げてやるから。」
「う?」
なんだか頼もしいユミルにナナシはキョトンとしたが、はぁいといいお返事をすると、膝の上に頭を載せたエルマーが身震いした。
こんな恐ろしいタッグがあってたまるか。レイガンがあとから聞くと、そう心の中で悲鳴を上げていたらしい。
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