125 / 163
124
笑えることに、城はダラスの目論見通りに大わらわらしい。
全く、この男の容姿は大層幼く見えるが、中身はとんだ化け物だ。ジクボルトは乗ってきた馬車を火にくべたダラスを見て、そんなことを思った。
城を出て、もう一週間だ。ダラスは実に思い切りがよく、真新しくした体をさっそく活用して人を取り込んだ。
随伴者であった近衛数名。慰撫という形で手懐けた後は、ジクボルトが誘引した魔物に襲わせた。生き延びた近衛は一名のみ。そいつが城に届けた一報は、皇国を巻き込んでの大騒ぎへと発展したのである。
この謀りに気づいたであろうグレイシスを引きずり下ろす。そして、ジルバと引き剥がすことで城の守りを脆弱にさせた。
「本当に貴方は怖いお人だ。流れている血の色が青いのかもしれない。」
引きずり倒した丸太に腰掛けて、ダラスは長い髪を風に遊ばせる。その目は酷く凪いでいて、まるでその穏やかな顔はしがらみから解放されたかのような様子である。
長い睫毛が、ゆっくりと瞬く。血色の良くなった顔色は、生前のルキーノの容貌を見事に保っていた。
「…あなたの弟は、とてもお美しかったんですねえ。」
「ああ、ルキーノはとても、…」
ダラスの手が、そっと袖をまくる。ジクボルトによって修復された腕は凹凸もなく滑らかだ。
嫋やかな手が、その素肌をそっと撫でる。
「ジクボルト、手筈は。」
まるで切り替えるかのように淡々と語る。始まりの大地へと赴いた二人は、最後の準備をするためにここに来た。
「ジルガスタント側に忍ばせておいた魔女が、皇国の御旗を背負って動き出した。内側から皇国の手のものが辺境を脅かしたと知れば、ギルド経由で国が動き出す。後はダラス様、貴方の合図次第ですよ。」
「スタンピートを起こす。ジルガスタント側に向かってけしかければ、否応無しに駐在している力のある者たちも出ざる負えないだろう。」
「時間稼ぎに使うってのかい?貴方は本当に慎重派だなあ。」
旅のものが皇国の謀に巻き込まれれば、間違いなく醜聞は広がる。人の口に戸を立てることはできない。そうすればいよいよ若き王は絞首台へと運ばれるだろう。ジルバに唆されたせいで死期を早めることになった哀れな王。シュマギナールの愚かな一族は残してはいけない。
ダラスの淡々と語る口調とは裏腹に、ジクボルトは酷く楽しそうに笑う。もう既に辺境へはジクボルトがけしかけた病魔系の魔物が向かっている。人が恐れるものはいつだって変わらない。ダラスによって好きにしろと言われているからか、ネクロフィリアの偏った拘りにより、吸血の特性を持つ魔物が趣味のための下準備を手伝ってくれるだろう。
「ねえ、彼らはいくつ取り込んだかなあ。ダラス様の願いが叶えらえるくらい、蓄えてくれていたらいいのですがね。」
「ルキーノを蘇らせたって、そこに金眼がなければ意味がない。見通す力のある神の目がなければ…。」
パチリと木が弾ける音がする。轟々と燃え盛っていた火炎が収束し、その馬車の残骸からは黒く焦げた身代わりが二体。ジクボルトは心底面倒臭そうな顔をすると、やれやれと言いながら近づいた。
「いやだなあ。生身ならよかったけど、体の体積をいじるにしてもここまでこんがりとしてちゃやりづらいったらないよ。」
「彼らが俺の身がわりになるのだ。丁寧に処理をしろ。それがせめてもの敬意だ。」
「はいはい、ああいやだ。触るのも火傷しそう。」
ジクボルトはインベントリの中から小道具類を取り出すと、しゃがみこんで作業をし始めた。お得意の作業だ。いやだいやだと言っている割にはなんだか楽しげに術を施す。
「金眼は、エルマーから奪えばいい。」
「何…?」
かちゃかちゃと手術を行いながら、ジクボルトは何気ない風にいった。
「僕のミュクシルがきちんと仕事をしてくれたんですよ。かわいい手駒ちゃん、ほらカストールのギルド長。」
「…続けろ。」
「ミュクシルちゃん、あそこでナナシちゃん攫ってエルマーを誘き寄せてくれたから、うまく捉えることができれば金眼は戻ってきますよ。」
「待て、お前は以前あいつの金眼を抉ればいいと言っていたな…。まさか、」
「まさかだから、その提案をしたんじゃないですか。」
気づいてなかったの?とでもいうように笑うジクボルトに、少しだけ腹が立つ。まさか、灯台下暗しとはこのことだ。あの時のこいつの言葉の意味をしっかりと汲み取っておけば、こんな無駄な時間を過ごすことはなかったというのに。
エルマー。あの赤毛が…。ダラスは眉間に皺を寄せる。邂逅は幾度となくしていた。しかし特に害は感じてはいなかった。なぜあの男の手のうちに金眼があるのかはわからない。しかしダラスの記憶違いでなければ、確かあいつは左目に義眼を嵌め込んでいたはずである。
もしかしたら、それが…と思い至る。ダラスが心の底から求めていた能力を引き継いだのは、あの粗野な男だというのも心底許し難かった。
「全く、奇妙なことは起こりうるんですねえ、ダラス様。同じ魔力は引き寄せ合う。あなたが毛嫌いしているナナシちゃんは、今やエルマーの横にいるのは必然なのですなあ。」
「ジクボルト、お前仕組んではいないだろうな。」
「おや濡れ衣、うふふ、しかしそうだとしたら、確かにそれは愉快ですねえ。」
くつくつと笑うジクボルトの手によって、見事に遺体はダラスと己に見間違う仕上がりとなった。素材が足りないため、出来栄えとしてはあまり納得はしていないが、まあいいだろう。結局、最初のインパクトが強ければ強いほど、人の脳はそれが真実だと自己暗示に欠ける。
「どけ。」
「おやあ、あなたもここ数十年で随分と律儀におなりだ。」
ダラスが慣れた手つきで祈りを済ます。ルキーノの声で言う祈りの言葉が好きだった。しかしそれも今は手段の一つとして、自身が汚してしまっていた。弟を殺してその皮を被るという、人としての禁忌を犯したダラスに祈ってくれるような奴なんていない。この祈りの言葉は、もしかしたら己のためにしているのかもしれない。そう思うとなんだか笑えてきた。
「あれま、もうご機嫌になったのですか可愛いお方。」
「黙れ、変えの馬車を用意しろ。」
「ああ、それとミュクシルちゃんからもうひとつ、」
「なんだ、お前いい加減に、」
「妊娠しているそうです。ナナシちゃん。」
は、と吐息のような声がもれた。ジクボルトはにこりと笑うと、亜空間魔法に収納していた移動式住居扱いしている馬車を引き摺り出した。
「龍眼を持つエルマーとの子だそうです。ミュクシルちゃん、実に働き者ですねえ。死んじゃいましたけど。」
「は、…異能は健在か。全く、人を選ぶとは失礼な化け物め。」
「龍の子ですか。何やら金眼よりも凄そうですねえ。」
からかいまじりに宣うジクボルトの相手はせず、ダラスは歪に唇を歪ませる。なるほど、孕んでいるのか。
あの時、ナナシを拘束した際に、なぜか二人分の魔力の気配がしたという。だとしたらそれこそ対価には十分である。
「さて、ならば龍眼を迎えに行こう、ジクボルト。俺からもお祝いを渡さなくてはならんだろう。」
「あれまあ、お優しい。面倒なのが足止めを食らってる間に、一仕事すると言うわけですなあ。」
ダラスの言葉をきちんと受け止めたジクボルトは、使役しているバイコーンを呼び寄せると、その体にしっかりと馬車を固定する。
さて、どうやら芽吹く準備ができたようである。合図は、実に単純だ。皇国経由で広まるであろうダラスの死。この情報の開示が動き出す火蓋となる。
「楽しいなあ、楽しい…。ねえダラス様、」
うふ、うふふ。そう気持ち悪く笑いながら、ジクボルトはダラスを乗せた馬車の手綱を握りしめた。夜闇は徐々にその色を薄めていく。日の出が近い証拠だった。
「だあああああやばいやばい!もう水がそこまできているぞ!!レイガンなんとかしろ!」
「やかましい!今なんとかしようとしている!」
カストールの祭祀から得た情報で、やっとのことでたどり着いた水路だったが、まあなんというか、恐ろしく暗い。ルキーノが言うにはゴーストの気配はないが、あまり良くないものがいるらしい。
しかし、そうは言われてもである。船でその水路の入り口に入ったまではいいが、アロンダートがやらかしたのだ。
「いやあ、まさかあんなすばらしいギミックが隠されているとは。古い時代のカラクリは、時として先の技術を勝るのだなあ。うん、僕は実に感動した。」
「こんなときにまで趣味に興じなくて良かろうが!!」
「うん、それは少し反省している。」
「大いに反省してくれ!!ニア!!」
レイガンが迫り来る水流から身を守るようにニアを放つ。美しい白蛇はすぐさまその身に魔力を行き渡らせると、水の膜で一気にサジたちを包み込んだ。
「はわ、っ!マイコ!」
サジが繁殖特性のマイコの胞子で水流を堰き止めようとしたのだが、もくろみは見事に敗れ、マイコはその体をぷよぷよと水面に身を任せたのを、慌ててナナシが引き寄せた。
とぷんとマイコも膜の内側に入ると、ニアの作り出した結界は水の中を緩やかに漂う。通路の入り口付近はまだ広いからいいが、これからジルガスタント側に行くにつれてどんどんと道幅は狭くなっていく。駆け上がる方が早かった通路が水で満たされてしまい、サジたちは水の膜の内側で、しばらくの間水の流れに呑気に身を任せる羽目となった。
結界が、天井まで押し上げられる。後数メートル先に水のない場所が見えていると言うのに、今動けば全員満たされた水の中に放り出されてしまう。なんとも歯痒い状況だった。
「まさかこの近くにも水門があったとは。」
「ああ、上は治水庫のようなものがあったからな。アロンダートがいじった壁のギミックは、入り口を閉じる代わりに水位を上げるものだったらしい。ったく、なんの意味があるんだこれ。」
ー昔の人は、水位の上げ下げで上に荷物を運んでましたから。恐らくそれでしょうねえ。
「そんなこと、ニアだって理解しているぞ。やーい、レイガンの物知らず。」
「うるさいぞニア。そんなもの一般的ではないに決まってる。」
ルキーノを絡めたニアとレイガンがやりとりをする横で、ナナシとサジはというと、マイコの水気を拭ってやりながら、感心したように膜越しの水の中の景色を眺めていた。
非常に透明度が高い。石が積まれたような水路の壁からは、細く細かい気泡がぷくぷくと漏れ出ている。時折浮いているだけのナナシたちの目の前を揶揄うように小魚が通り過ぎるたび、ナナシは目を輝かせながら見送る。
「サジ、風魔法で水流を作ることはできないのか。」
「できなくはないだろうが…ふむ、しかし天井に擦れて割れそうだなあ。」
サジが不安そうに見上げると、ナナシはすっと手を伸ばして膜と天井の間に結界を重ねた。これで幾分かはマシになるだろう。アロンダートは褒めるようにナナシの頭を撫でると、照れたのか尾を振りながらマイコに抱きついた。
「ナナシが一番偉い。今回のばかはアロンダートである。」
「はわあ…ナナシほめらりたのう…あわわ…」
ーと、とにかく先を急ぐ旅でしたら、サジ様お願いします!
「うう、騎獣の不始末は飼い主の務めというわけか…。」
「そこは恋人と言ってくれ。」
どうでもいいわ!とむすくれたサジが、手のひらの上に旋風を起こす。それを両手で潰すように手を閉じたのち、そっと膜の外側に手を突き出して開いた。
ボコり、大きな泡がサジの手のひらの上で踊るようにして水中で弾ける。まるでそこだけ沸騰したかのようにボコボコと夥しいほどの気泡を繰り出すと、開いた両手を両側の壁に向ける形で広げると、サジのもくろみ通り、水でできた結界は少しずつ前に進み始めた。
「フハハハハ!見たか愚民どもサジの力を!!」
「すぐ調子に乗るところは直した方がいい。」
「そうか?むしろ僕は可愛いと思うが…。」
ニコニコ顔のアロンダートとは、つくづく恋人に対する接し方の価値観が合わないらしい。レイガンは自分はこうはならないようにしようと思っているのだが、本人もアレな部分があるということを自覚しないままでいる。
球状の水の結界は、ナナシの助けもあってかぐんぐんと水路を進んでいく。光が揺らぐ水面へと、ザパリと音をたてて浮かび上がると、あとはコロコロと転がすようにして足場まで移動した。
「うむ、なんだかなかなかに楽しかった。」
「収納可能な船のようなものも、作れば売れそうだなあ。」
サジとアロンダートのマイペースは、相変わらずに健在なようで、一足先に降りたレイガンがナナシを抱き上げて降ろしてやると、なぜか我もとマイコまで手をあげて待っていた。
「んん…」
くん、とナナシの鼻がエルマーの魔力の残滓を捉える。ここにいたのだろう。なんだか幽鬼臭い匂いもすることから、戦闘になったのだろうかと不安が過ぎる。
ナナシの様子を見ていたらしいマイコが手を握ると、キュッと握りしめ返してふにゃリと笑った。みんながいるのだ、ナナシばかり不安な顔で怯えて足を引っ張るわけにはいかない。その思いからの笑みだったのだが、なぜかマイコにはバレていたらしい、ぶんぶんと勇気つけるようにナナシの手を揺らして励ました。
「ナナシ、」
ぺちゃ、とヌメつく何かが張り付くような音がした。レイガンがその音の先に構えを取るよりも早く、ナナシはくるりと振り向いて手をかざした。
「やだなの。」
キィンとした鋭い結界は、ナナシのおっとりといた声とは裏腹の強度で襲いかかってきた水魔を弾き潰す。結界の外側に纏わせた聖属性の魔力は、魔物にとっては状態異常を引き起こす結果になったらしい。痺れたように痙攣をして転がる半透明のスライムのような体をレイガンが叩き潰すと、パシャリとあたりが水浸しになって、薄い色の魔石が残った。
レイガンは少し意外に思いながらもナナシを見た。いつもなら守られていることが多いので、レイガンも反射的に行動に移そうとしたのだが、ひどく落ち着いた様子で淡々と処理をしたのだ。
エルマーと離れたことで、ナナシは何が必要で、何が大切かを選択が出来る様になったらしい。ナナシの背後にいたマイコを見て、ああ、守ったのか。と納得した。
「さてまだ先は長いぞナナシ。お前もあまり無駄に魔力は使わぬようにな。」
「うん、こっち…」
ふんふんと鼻をきかせながら、ナナシが指を刺す。自発的な行動ができるようになったとエルマーが知ったらショックを受けそうだなと思う。いや、それよりもエルマーの知らない一面を知ってしまったという方が面倒くさそうである。どちらにしろ、バレないことに越したことはない。なんであいつがいない時までこうも気を使わにゃならんのだとムカっ腹が立ってきた。
レイガンの眉間の皺が増えている理由が、まさか自分とエルマーについてだとはついぞ思わない。ナナシはただ不思議そうに、レイガンのお顔がちょっぴり怖いなあと、そんなことを思った。
ともだちにシェアしよう!