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それは、突然の知らせであった。 「申し上げます!!」 グレイシスの執務室の扉を開き、勢いよく飛び込んできたのは、ダラスの不在の間を取り仕切る大聖堂の祭祀であった。 ただならぬ様子で息を切らして入ってきたかと思うと、まるで力が抜けたかのようにずるずると膝をつく。 その不躾な行いにグレイシスが不機嫌に顔を歪めると、男はくしゃりと顔に悲痛の色を乗せながら宣った。 「祭祀を…!ダラス祭祀を載せた馬車が、っ…」 続く言葉に、グレイシスの目は見開かれた。 男は、慟哭をするように身を崩しながら宣った。 「まて、まさかそのまま大地を渡ったのか…!」 「貴方は…!!貴方が、おっしゃったからでしょう!?」 「貴様、なにを…!!」 グレイシスは、驚愕の色を隠せなかった。ダラスの謀りごとについては、ジルバを通して耳に入っていた。身を持って体験した、恐ろしいまでに周到な男の画策を、牽制する意味も含めて出したのはジルガスタントへの大使である。 それを受けざるを得なかったとはいえ、少しのボロさえ出そうものなら、すぐにでも糸に絡めて吊るし上げるつもりでいたのだ。 それなのにだ。 「貴方は…あのか弱きお方に無茶な指示を出されたのです!!火急の件とは言え…あの大地を横断させるなど、貴様は不要と申し立てているのと同じではありませんか!!」 「この、…!!」 ガタン!重厚な机に人の体が打つかる。ダラスにつかえていたこの男は、最後まで彼奴を向かわせるのに良しとは言わなかった。 まるで信仰をしていたのはダラスだと言わんばかりに酷く取り乱した男が、体裁をかなぐり捨ててグレイシスの身に手を伸ばしたのだ。 「私は!!この身が死しても構いませぬ!!貴方は理解すればいい!!御自分がどれ程までに冷酷なことをなさったのかを!!」 振り払うべくあげようとした手を強く掴まれる。 まるで恫喝をするような男の行動を良しとしなかったのはジルバである。 「触れるな。」 「ーーーーっぁあ…!?」 グレイシスの背後から、ぶわりと膨らんだ怒気を孕んだ影が、グレイシスの身を背後から引き寄せると同時に男の体を影でしばりつけた。 影で形成された黒い指先が、まるで誘うかのようにして釣り上げられた男に向けて差し出される。 中指と人差し指を、くいと曲げる。瞬間、黒い蜘蛛の巣によって天井に張り付けられるかのようにして体が固定された。 「殺せばいい!!死して、あの方のもとに侍ることができるのであれば、それが私の本望です!!」 「本当に宗教だなあ。まったく、あいつの教育は実に行き届いている。」 「殺すなジルバ。後々面倒だ、」 ジルバの腕を外すと、グレイシスはひどく苛立った様子で男を見上げる。唇を噛み締め、しずしずと泣いていた。こいつは、たしかダラスが土下座をして許しを請うた男であった。 何が起きている。グレイシスは小さく舌打ちをする。ジルバはくつりと笑うと、その灰の目を輝かせる。影によって拘束された男は、神に祈るような素振りを見せたので、暗闇に飲み込ませるようにして執務室から追い出した。殺してはいない、そのままお帰り願った。それだけである。 「あの狡猾な男が、ついになりふり構わなくなったということだ。グレイシス…、ああ、楽しいなあ。ついにことが動き出すときが来たようだぞ。」 「随行者は、ジクボルトか。なるほど、あいつもなかなかに腹の中が読めない。」 ジルバの蜘蛛毒で、その玉座をすげ替えた。その王の死因について、葬儀屋であるジクボルトは何も言わずに淡々と処理をした。そして宣ったのだ。 ー女性なので、皇后の体は柔らかいままにしておいてくださいね。 口元を抑え、深く息を吸う。ジルバがグレイシスのその身を抱き寄せると、その耳に唇を寄せながら甘く囁いた。 「餌をやって終わりとはいかんだろう。グレイシス、ジクボルトは間違いなくダラスに深く関わっている。なにせ、俺に進言してきたくらいだからな。」 「ジルバ。」 「柔らかいままにしてやったさ、きちんと、丁寧に処理してやった。あいつの望みを叶えたんだから、今度は俺が叶えてもらう番だ。」 グレイシスは、身動ぎできないくらいに強く抱きしめられる。この悪魔のような男は未だ掴みかねるときがある。こんなにも胸のざわつきが収まらないというのに、ジルバは気にも止めずに宣うのだ。 「城には居ないほうがいい。グレイシス、もはやダラスの巻いた種はそこらで芽吹いている。実に信仰というのは怖いものだなあ。」 「……、」 ジルバの言う通り、長きに渡り育んできたダラスによる緩やかな支配に盲従する信徒は、この事態を良しとしないだろう。 もはや、この国にダラスの名を知らぬものは居ない。若き祭祀は慈愛を持って国民を導いてきたのだ。信仰は、果たして本当にこの国の神に対してのものだったのか。今となってはそれすらもわからない。空想上の生き物よりも、眼の前の縋れる生きた神として君臨し続けてきたダラス。 まるで、毒のようだとジルバが例えるくらいには、それは言葉による巧みな支配であった。 「余は逃げぬ。城から王が離れるなどと、そのような愚かなことがあっていいわけがない。民が道を間違えたなら、導くことが王の努めだ。」 「グレイシス、いいのか。ダラスの手中に収まることと同義だぞ。」 ダラスの一報は、グレイシスよりも先に市井に広まったであろう。若き王と民に寄り添ってきたダラスとでは、その信頼に大きな開きがあった。 苛烈な若き王と、民によって選ばれ続けたダラス。思えばこの国の祭祀が指名制になったのも、あの厄災の後だったか。 「また同じことが繰り返された。あの時代を生き伸びた貴族が、まずは動き出すだろう。心優しき祭祀は2度死ぬ。民を煽るには実に良いストーリーだ。」 「笑えてくる。2度どころではないだろうに、化け物め…」 ざわつく廊下の気配に頭が痛くなってくる。血相を変えて現れたのは、城の主要を担う貴族たちであった。 グレイシスは城で戦う。そう決めた。化け物による支配で視野が狭くなった者共をふるい分けるいいチャンスだった。 冷たい目線で、そっと扉を開け放った面々を見据える。これは俺の戦いだ。 「お前らがここまで毒されているとは思わなかった。」 「それはこちらのセリフです、陛下。もう国民は我慢なりません。貴方が座してから、我々の国は脅かされるばかりです。ダラス様の御身を、無碍にはいたしません。かの方のこの国を思う尊き思いの灯は、我々の導きの灯として受け継ぎます。」 「灯火…?腐ったイデオロギーに侵食された馬鹿共めが。誘蛾灯の間違いだろうが…!!余は逃げぬ。好きにするが良い!」 獰猛な笑みだった。ジルバは目を細めると、とぷりと影になって消えた。時間稼ぎは、王であるグレイシス自らが行うということを、正しく理解したからだ。 手を広げ、まるで堂々とした風体でその身を拘束してみろと煽る。グレイシスの王としての矜持は、決して揺らいでは行けない。 これが時間稼ぎになるのなら、喜んでこの身を投じる。 人であるなら、常に個であれ。 誇り高きは、その身で作った道で示せ。 この躯が導となるならば、喜んで投じる王となれ。 「この国の礎は、誰がなんと言おうともこのグレイシス以外は許されぬのだから!!」 ジルバは笑った。自分の嫁はやはり美しい。 グレイシスが礎となるなら、ジルバはその場所を綺麗に整えてやらねばなるまい。 「さあて、やるか。」 俺は俺の、グレイシスと言う名の誇り高き王の為に。 ミュクシルは、実に己の信仰する者に対して従順だったようだ。死したあとにエルマーが幽鬼にさせたのは、単純に嫌がらせも含めていたのだが、禁術によってエルマーに傅く羽目になった哀れな元ミュクシル産の幽鬼は、実に使い勝手が良かった。 「あは、」 幽鬼の恐ろしい身体能力は、エルマーの純粋な魔力の恩恵だ。船から陸地までは距離があったのだが、ミュクシルはなんなく跳躍すると、口を開けるようにして夜闇の水面からぽかりと浮かび上がった水路入口に降り立った。 「久々に昂ってきた。ミュクシル、お前が俺の言うことをどれだけ聞けるか、試させてもらうぜえ。」 ミュクシルは、その身を歪な形に変形させていた。その黒く変色させた体に、長く鎌のように折れ曲がった腕。そして瞬発力を補うかの様に筋肉のついた体躯は、人であった頃よりも屈強になっていた。 エルマーの耳が、かすかな羽音を捉えた。古めかしい水路だ。どれほど長く使われているかはわからないが、満潮になる前に出口までは行きたい。エルマーは足に強化の術をかけると、一気に羽音のする方へと駆け上がっていく。 付随するようによつん這いで駆けてくる。ミュクシルの躾も問題ないようであった。 「目の前にフェルメラくんぞ、やってみな。」 エルマーの声に一気に加速をした。同じ魔力を流している分、指示は口のみなのがなんとも楽である。エルマーはミュクシルが羽の生えた水黽のような魔物に飛び掛かると、その脇を抜けて飛び出してきた水魔を一気に足で蹴り上げた。 こうして共闘をする分にはどうやら問題が無さそうだ。ミュクシルの攻撃が手で掴んで食べるという独特なものだったのは笑えたが。 「お前、属性魔法つかえるか。魔女上がりなら出来るだろう。」 口から羽をはみ出させたミュクシルが、真っ黒な顔をぐぐりと歪に歪ませる。3本筋が入り、ぐぱりと縦にそれらが割れると、エルマーとおなじ金色の目玉がぎょろりと現れた。 「ああ、それでもいいや。戦闘だるいから来る奴らそれで痺れさせてな。スピード挙げられんなら、一気に駆け抜けろ。出来るだろうミュクシル」 エルマーが四つん這いになったミュクシルに跨がる。ぎょろりと動き続けていた金眼が一箇所に集中すると、ミュクシルはぐぱりと唾液を垂らしながら擂粉木状の歯を見せつけた。 ぐけ、げげ、と奇妙な鳴き声を出すと、その身をグイグイと縮ますように蹲る。エルマーがその首にロープを巻きつける。即席の手綱は、早速仕事をした。恐ろしい程の瞬発力で水路の道を駆け抜ける。幽鬼の乗り心地は意外に悪くはない。エルマーは姿勢を低く保ったまま風を受けて狭い水路を進んでいく。平坦な道に傾斜がついた。出口が近いらしい。 ミュクシルの目がぐわりと光った瞬間、入口付近に潜んでいた別の幽鬼硬直したようにドサリと崩れだ。 「それでいい。お前、死ぬ前より仕事ができるんじゃねえのか。」 ミュクシルが見えてきた出口に向かって一気に跳躍した。周りを木々で囲まれたそこは、どうやらジルガスタントまでほど近い距離にある始まりの大地のようだった。 もう直ぐ日が昇る。エルマーはミュクシルから飛び降りると、面倒くさそうな顔であたりを見回した。 あの水路からここまで、結構な距離があったのにも関わらず、日の出前についたのだ。そのスピードはギンイロとほぼ同じくらいであった。 エルマーの今の悩みは、このままミュクシルを殺すかテイムするかであった。 何も知らぬ従順なミュクシルは、首から縄をぶら下げたまま、長い舌を垂らし3つの金眼をぎょろぎょろとめちゃくちゃな方向へと動かしている。 恐らく、テイムの際に与える対価は必要は無いだろう。エルマーの魔力で満たした魔物は、ただ逆らわぬまま四足で犬のように座り込んでいる。 「お前、終わるまでちっとつきあってくれや。」 悩むこと数分、エルマーは真っ黒な幽鬼を使役する事にしたらしい。この幽鬼はある意味エルマーが呼び出したものだ。となれば姿を消すことができれば、すでに魔力を対価に使役は済んでいるということだ。 「ミュクシル、消えろ。」 エルマーが声に魔力を乗せて言う。するとボロリと体が崩れていくように土へと還っていった。消え方が独特すぎて、使役できてるのかすらわからなかった。試しに来いと言うと、ぼこりと土から顔を出したので出来ているようだったが、まさか自分が幽鬼を使役する日が来るとは思わなかった。 「マ、いーや。」 足ができたなら御の字だ。あまりにも使う魔力が多かったので、あの禁術はもう使わないだろうが。 エルマーは日が昇るのを確認すると、ふむ、と進行方向を決めた。ミュクシルには、連れて行けといったのだ。おそらくこの周辺にダラスに関わる何かが潜んでいる事だろう。 相変わらず、この大地は魔素が強い。エルマーはインベントリからポーションを出すとグビリと飲んだ。内臓の悲鳴は落ち着いてきているが、騎乗をした際に少しだけ引き攣れたのだ。 飲まなくても行けるが、万全を期するのは死ねない理由があるからだ。 「親父がすげえんだってこと、教えてやんねえとカッコつかねえしなあ。」 大鎌を肩で支えてストレッチをする。先程からざわざわとした気配が様子をうかがうようにこちらをみている。 数は数えなくてもいいだろう、どうせわからなくなるのだから。 エルマーは小さく息を吐くと、その金眼を爛々と輝かす。誰もいないこの場で、楽しくやらせてもらおう。こんな機会は、早々あってほしくはないが。

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