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「ふわあ…」 ナナシの口から、感嘆とした声が漏れた。ひいひい言いながら駆け上がった水路の出口、みな湿気で肌をベタつかせながら、ようやく見えた光に心底ホッとする。我先にと出て言ったサジたちの後、ナナシだけ呑気に湿気でご機嫌なマイコニドのマイコとともに手をつなぎながらのろのろと出てきた。 「第一声がそれかあ…」 「き、たくさん…つおい」 レイガンがげんなりとした顔でしゃがみこんでいる。わかる、アロンダートもそうおもう。 水路は上に上がるに連れて、どんどんと狭くなっていた。アロンダートやレイガンの身長からして、若干前かがみになりながらの坂道はきつい以外の何物でもなかった。身長が低いナナシは特に問題はなかったようだが。 「最悪である!!!うわあ!!サジの髪が!!」 そして髪の長いサジとアロンダートの毛先はびちゃっと濡れそぼり、細かな苔のようなものも絡んでいた。 ナナシはというと、尻尾が同じようなことになっていたが、本人は特に気にしては居ないようだった。癖でよく尻尾を甘噛みしているので、あとはレイガンが口に入れないように気を配るくらいか。それにしてもだ。 「ここで大暴れしたんだろうな。」 水路周りは大きく木がなぎ倒され、そこらへんにキラキラとした魔石が散らばっていた。 汚すだけ汚して、片付けないで行ったらしい。ぽひゅんと出てきたギンイロが、地面に鼻をこすりつけるようにしてフンフンと嗅ぎ回る。 「オエー、ユウキクサイ。エルマーノニオイスルユウキ、キモチワルイ、」 うげろ。そんな効果音が付きそうなくらい顔を歪めて舌を出す。ギンイロはべろりと鼻を舐めて匂いを消すと、ぶるぶるとその身を振って怖気を飛ばす。 犬のようにかしかしと後ろ足で頭を掻いている姿に、サジがふむ。と逡巡する。 「なるほどわからん。というかミュクシル仕留めにいったエルマーが幽鬼臭いとなると、転化したのを仕留めたのだろうか。いや、それだとしたらもはや水路で魔石が落ちててもいいようなものだしなあ。」 「まあ、ジルガスタントに向かったのは確かだろう。エルマーを待つ奴がいるとか言っていたしな。なあナナシ。」 マイコと手を繋いだまま、くんくんと鼻を効かせるナナシは、なんでだろうとこてりと首を傾げる。なんだか、少し違う気がするのだ。エルマーがジルガスタントの方に向かって走っていくとしたら、サジの指を指した方向に向かって一直線に向かうはずだ。正規のルートを辿るわけがない。切羽詰まっているなら城壁をワイルドに登るくらいはしてそうである。 ナナシは先程とは逆にこてりと首を傾げながら、足りない頭ではそれ以上の不思議は解決しないと、うんうんと頭を悩ました。結果、 「うぅ、わかんない…」 「うわっ、泣いた」 ひん…っ、と顔をクシャリとさせる。サジが甲斐甲斐しくハンカチを出して鼻を拭ったりしている様子は紛れもないママであった。 アロンダートはよしよしとナナシの頭を耳ごと撫でると、なにがわからないのか組み立てられるように聴いた。 「どうした、変だと思うことでもあったか。」 「んと…あっちいくと、じるがすたんとでしょう?」 「ああ、」 ジルガスタントが言いにくいのか、慎重に口にすると、サジの服を握りしめながらゆるゆると手を上げて、エルマーのかけていったであろう道筋を指さした。 「でもえる、あっちじゃなくて、こっちいったのう…」 「ああ、まあでも…入り口がそちらだからで、」 「アロンダート、エルマーだぞ。」 「ああ…あー‥、なるほど理解した。」 サジがすかさずにフォローする。 エルマーのことを理解しているナナシが、小さなことでも変だと思うのは信じるべきだ。 レイガンが未だよくわからないといった顔をしているのに気がついて、ナナシが辿々しく言う。 「えるなら、かべのぼるよう…ちかみちする…のはず…」 「…やるな。あいつならやりかねん…」 「ということは、国には向かわなかったのか…?いや、でも招かれたならいくよな…ううん、エルマーは本能で動くからなあ、理性的なサジにはわからん。」 理性的とは…と胡乱げにレイガンが見やるがどこ吹く風である。ナナシは困ったなあという具合にマイコの手をニギニギいじっていると、懐のルキーノから一つの提案を受けた。 ーあの、一組はジルガスタントに入り、もう一組はこの周辺を探索、ではだめでしょうか… おお。四人固まってもその意見が出なかったことに、ルキーノは不思議に思いながら口にする。 全員が全員、この大地を探索する気満々であったガチ勢だったようで、ルキーノは脳筋の集まりに少しだけ戰いた。 「じゃあ、アロンダートとサジは入国、俺とナナシはエルマーを探索でどうだ。」 「異論はない。行きだけまたギンイロに働いてもらうか。」 「イイヨ。テイインオーバージャナイカラネ」 へっへっへと笑うように言うと、ナナシはもにもにとギンイロの顔を褒めるようにマッサージした。 「レイガン、ナナシがんばるね」 「ああ、俺もエルマーの為にお前を守ろう。ギンイロ、終わったら戻ってこいよ。」 「アイヨ」 とりあえずは人が賑わう昼ごろまでは待機することになった。ギンイロは下見に行くと言って姿を消す。まったく人懐っこい精霊はなかなかどうして仕事ができる。ナナシたちはなるべく離れないようにと一箇所で結界に認識阻害の術をかけて野営をすることになった。 ふう、と息を吐いたナナシが、ぺたんと足を崩して腰掛ける。ここまでやっとこれたのだ。サジとアロンダートはよほど湿気で濡れたからだが気持ち悪かったのだろう、ニアに水をぶっかけてもらい体の汚れを落とした後、風魔法で急速乾燥させていた。 「ナナシ、こんなもんしかないが食っておくか?」 腹を撫でるナナシの横に腰掛けると、レイガンはポーチから携行食である分厚いタンパク質のバーを取り出した。 見たことのないそれは、お菓子のようだ。ナナシはレイガンから差し出されたそれをぱくりとかじりつくと、もむもむと口を動かした。 「ほら、無精しないで持って食え。」 「はあい…おいし」 「ならよかった」 ナナシの隣でマイコが興味津々だ。もぐもぐと口を動かすナナシの腕にちまこい手をのせてガン見であった。どうやらサジが親なおかげで遠慮がないらしい。ぱきんと折った半分をマイコに与えると、ぐぱりと大口を開いてナナシの手ごと口に入れたので、レイガンは冷や汗を吹き出した。 「げっ…」 「んん?」 ぬちゃ、としたマイコの唾液に塗れた手を気にせずもぐもぐと食べるナナシは、なんというか懐が深すぎる。どうやらレイガンの携行食はマイコの口には合わなかったらしい。オゲッとぐちを開いて舌を出したので、大概に失礼な魔物だなと少しだけイラッとした。 レイガンはナナシの手を布で拭ってやると、ぴくりと大きなお耳が物音を聞きつける。 「…なんか、へんなおとするよう…」 「変な音?」 ブブ、という細かな振動音が空気を震わせて近づいてくる。なんだ、とレイガンが立ち上がったとき、駆け出したアロンダートが一気に転化して、サジと共に空へと舞い上がった。 見上げた空は、まるで遠くの方から灰色の砂嵐のようなものがこちらに向かってきていた。 レイガンの目が見開かれる。なんだあれ。 おびただしい数のイフェメラや、イビルアイ、ラルヴァなどの人面を有する蠅の魔物などの小型な飛行種が、まるで地上に影を落とすかのようにしてこちらに向かってくる。 「風魔法で火炎の範囲を広げる、アロンダート。準備はいいな。」 アロンダートはサジの指示とともにぐぱりとその嘴を大きく広げると、炎のような魔力をその口の周りに纏わりつかせ、一気に火炎を吐き出した。 サジが大きく両手を広げ、展開した風魔法による緩やかな風が火炎の威力を強める。 「ああ気持ち悪い!!ナナシ、結界を張っておけ!」 「はぁい!」 サジの指示通りに慌てて結界を展開すると、サジとアロンダートのあわせ技で巨大な炎の津波のようになった火炎が一気に飲み込むようにして小型の飛行種の魔物を飲み込んだ。しゅわり、と膨れ上がった空気が抜けるような音とともに魔素になって消えて行く大量の魔物たちの魔石が、展開したナナシの結界の上を大雨のように降り注いだ。 アロンダートに跨ったままのサジが鳥肌を立てながら舞い降りてくる。羽をバサリと羽ばたかせ、細かな屑魔石を風圧で片付けると、そっと降り立った。 「やはり何かが起きてるな。シュマギナール方面から一気に小型の魔物が移動してくるなんて、」 「とにかく、第二波が来るかもしれん。こうなれば戦力を分かつのは好ましくない…、上空から来られたら、対応できるのはギンイロくらいだろう。」 転化をといたアロンダートが、ごしごしと口を擦りながらもどって来る。サジは相変わらず虫の魔物が駄目なようで、ぞわぞわとした感覚の残る肌を宥めるかのようにすりすりと擦った。 四人が一様に悩むなか、ざわりと木々が葉ずれの音をたてる。大木の影が突如として伸び、そのかすかな気配を感じ取ったレイガンが、守るように慌ててナナシの前に出るた時だった。 「ご機嫌よう。どうやら行き詰まっているようだな。」 レイガンの目の前で、ぴたりと影が止まる。にゅうんと伸びたかと思うと、体を形成するようにして現れたのは、皇国にいるはずのジルバだった。 「お前、なんでここに。」 「おや、エルマーは居ないのか。ふむ、あまりよろしくはないな」 ジルバはくるりと見回し、気配を探る。 少しだけ変化したナナシに気が就くと、ゆるく微笑みながら近づいた。 「息災か、うん。腹の子の具合も宜しいようで何より。」 「ちょっと、ふくられた!ふへ」 「膨れた、だな。父親があの男というのが頂けないが、子が生まれたら俺にも見せてくれ。」 ぱたぱたと尾を振るナナシの横に、レイガンが立つ。その顔は些か不満そうである。 「あんた、ナナシの妊娠いつ知った。」 「わかるさ、妊娠したものは匂いが変わる。あとは魔力の質だな。」 半魔のものを舐めるなよと意地悪く微笑むと、空気を切り替えるようにモノクルを外す。砂埃で汚れたのが我慢ならなかったのだ。 「さて、本題だが…ダラスが動き出したおかげで国は大荒れだ。奴は王の采配としてジルガスタントの大使に命じられ、道中魔物に襲われて死んだ。ということになっている。」 「…ダラスはもしかして、ここにいるのか。」 「無論、そういったつもりだが伝わらなかったか?」 「あんたいちいち鼻につくな…」  引きつり笑みを浮かべるレイガンの肩に、アロンダートの手が置かれた。少しだけ緊張した面持ちでジルバを見る。 「あなたがいるから、僕は国を出た。グレイシス兄上の側近である貴方がここにいるという事は…兄上はまさか…」 「聡いな、アロンダート。お前の推察通り、グレイシスが時間稼ぎをしてくれているおかげで、オレはこちらに出向く事ができた。時間はあまりない。さっさとダラスの目論見を阻止せねば、国民はグレイシスを玉座から引きずり下ろすだろう。」 ジルバは隠さなかった。グレイシスが玉座から降ろされれば、国民は弾劾裁判にかけるだろう。 そうすれば良くて幽閉、悪くて晒し首だ。 ジルバはそれを阻止するためにここに来た。何が何でもさっさとかたをつけてもらわねばいけなかったからである。 「いいか、恐らくダラスの目論見はグレイシスの名で皇国が進行してきたという事実を作ることだ。若き苛烈な王が、国の領土を取り返すためにという名目でな。」 「そもそもダラスがそんなことをして何になるというのだ…、そんな、国を巻き込んで手間のかかる事を…」 「あいつは、間違いを正そうとしている。」 ジルバの真剣な眼差しに、レイガンの口がつぐむ。間違い、間違いとは何だ。ゴクリと喉を鳴らしたのは誰なのだろう。 その一言は捉え方によっては、何を馬鹿なと一蹴することだってできる。しかし、それが出来なかったのはルキーノがいたからだ。 ー愚かな兄です、己の思い込みを信じてる…本当に、なんて愚かな… 「ルキーノ…」 声が、魂が震えている。ルキーノのいつもの晴れやかな声とは違う、ひどく静かに泣いているような、聞いている方が喉に詰まるような、そんな切ない声色だった。   「ルキーノ、」   ナナシはなんて声をかけたらいいかわからなかった。死んだ後のことだからと言って、素知らぬふりをするほどナナシは器用じゃない。ここまできたのも、全部みんなのおかげだ。途中で別れ道が来ても、自由意志でみんなが寄り添ってくれた。その中に、ルキーノだっている。   「ルキーノ、ナナシはさいごまでいっしょ。ルキーノがひとりやだなの。いっしょいて」  ーでも、僕の兄は… 「ナナシ、おにいちゃんいないから、うらやまし…」  ーそんないいものでも、ないかもしれませんが… 「ううん、ルキーノ、おにいちゃんのために、うーんてなやむ…。すきだからだよう、ナナシもえるでよくなやむもん。」  ーナナシ様、   自分の肉体を奪ってまで成し得たかったこととはなんなのだろうか。今まで、ダラスのしてきたことに怯えや後ろめたさしか感じていなかったルキーノが、ナナシの言葉を聞いて、理由をしりたくなった。   くつりとジルバが笑う。気づけばサジやアロンダートもやれやれと言った顔をしていた。   「ナナシ。お前はマイペースなのが一番だな。」   呆れつつも、レイガンがそんなことを言いながらナナシの頭を撫でた。 殺されるかもしれないというのに、ナナシはダラスを知り合いのお兄ちゃん扱いだ。呑気というかなんというか。周りが国を絡めた大事だと思っているのに、ナナシにとっては違うらしい。そこまで思い至ってないだけかもしれないが、なんというか、本当に前しか見てない。 ナナシは心の底から、ルキーノとダラスが仲直りしてほしい。それしか考えていないようだった。

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