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雲行きが怪しくなってきた。エルマーは、巨大な人面に肉食動物の体をもつひどく醜悪な魔物の真上にあぐらをかきながら、つかの間の休息を取っていた。 「おかしいなあ…まだ中腹までいってねえのに、なんでこいつがここにいんだあ。」 ミュクシルがエルマーの後ろでガツガツとその魔物の肉を食いちぎっている。悪食なのはわかったが、燃費が悪いだけかもしれない。 エルマーの倒したこれは、普通ならもっと大地の真ん中あたりに出る中位の魔物だ。たしかにコウモリのような羽が生えているのだが、この、マンティコアという魔物は、飛ぶのが苦手だったはずだ。 エルマーが討伐部位である尻の尾がわりの蛇を切り取るかと振り向くと、それはすでにミュクシルによって齧られていた。 「あ!?てめっ、一番いいとこ齧りやがって!まじかよ、俺の金貨二百枚…」 あぎゃぎゃ、と何かを言うかのように引きちぎり食べている。まったくご機嫌なようで何よりなのだが、カストールで身分を誤魔化すために大盤振る舞いし過ぎたせいで、そろそろ金策をしないといけなかった。 エルマーは渋い顔をすると、ぴくりと微かな足音に反応した。 「やっぱ、へんだって。」 何かを引きずるような音もし始めた。エルマーは目を煌めかせると、全身に強化魔法を施した。 徐々に地響きとともにゆっくりと大地を踏みしめながら姿を表したのは、全身を青の皮膚で覆った1つ目の巨人であった。 「だから城壁に向かって進んでくんなっつの。こっちは時間がねえんだから。」 大木を引きずりながら、濁った大きな単眼でエルマーを見下ろす。やはりここには普通に来ないはずの魔物だ。生息区域を無視してここまでくると言うことは、やはりこの先に原因があるのだろう。 エルマーの左側、遠くの空がカッと赤くなった。まるで津波のような炎が上空を滑って消える。 遠いため詳しい探知はできないが、あんな芸当を行う魔物は知らない。まるで背後にある城壁を守るかのようにして繰り出された火炎の波に、エルマーは目を細めた。 「なるほどなあ。お前は壊せと言われてるのか。」 サイクロプスがその手に持つ大木を持ち上げる。エルマーの後ろから飛び出したミュクシルの金眼がぎょろりと見開かれ、単眼の化け物の全身を痺れさせる状態異常を引き起こした。 エルマーは、その隙を見逃しはしなかった。一気に正面に向けて走り出すと、その振り上げられた大木を持つ腕を一息に両断する。青色の体液を拭き上げながらよろめく体に飛び乗ると、その討伐部位でもある大きな1つ目の嵌まり込んだ頭を、大鎌で刈り取るようにして切断した。 「でけえ割に動きが鈍いから、あんま金になんねえんだよなあ。」 ベビー用品なんて相場がわからない。エルマーはごろりと転がる頭からテコの原理で目玉だけ取り出すと、神経を引きちぎるようにしてインベントリに収納する。 なるほど、どうやらカストールに向かって魔物たちが押し寄せているらしいことはわかった。まったく面倒くさいことこの上ない。手間ではあるが、やはり一度ジルガスタントに入ってスタンピートの予兆を報告したほうがいいだろう。 恐らく、ダラスたちもこちらに向かうのだろう。ならばこの危機を一刻も早くジルガスタント側に伝えるなら、一度大きな衝撃を見せつければいいだろう。 高い城壁を仰ぎ見る。高見台だろうか、エルマーの強化された視力が衛兵だろう監視者の姿を取らえる。やはりなにか違和感は感じているようだ。 しっかりと確認を怠らなければ、先程の戦闘も目視で確認できたに違いない。やれやれと呆れ気味にエルマーがため息を吐くと、もうひとりの衛兵が駆け寄ってきた。 「さっきの火炎は、見られてたみてえだなあ…」 指を指して何かを言い合っている様子から、そう推測する。どうやら二人まとめてそちらに向かうらしい、エルマーはまじかよと少し慌てると、ミュクシルに跨がると一気に駆け出した。 「持ち場離れんのなんて、一番やっちゃいけねえだろう!!新人かあいつは!!」 恐ろしいほどのスピードで駆け抜けると、ミュクシルはエルマーの指示に従って思い切り跳躍した。 まるで城壁を駆け上がるかのようにぐんぐんと登っていくと、異常に気づいた衛兵が真っ青な顔をして叫ぶ。 「な、なんだあれ!?昼に幽鬼!?!?」 「おい!上長に連絡するぞ!!奇襲だ!!」 「お、俺を一人にしないでくれええ!!」 ミュクシルと共に城壁の上にたどり着くと、その身に太陽を背負いながらエルマーが空中に躍り出る。半回転に身をひねりながら衛兵の間の木で組まれた物見台目掛けて足を振り上げる。 バキィ、という木の割れるような音と共に、その破片が宙を舞う。その木っ端に頬を傷つけられた若い衛兵が、目を丸くしたままどしゃりと尻餅をついた。 「お前、仕事できねえだろう。さっきから何度も露払いしてやってんのになーんも手助けしてくんねえでよぉ。上で見てたんなら城門開いて、さっさと手練の一人や二人を連れてきてくんねえと。」 「お、お、お、おま、おまえだ、だれだっ!」 「観光者に見えんのか?」 「じ、ジェイクから離れろ!!さもなくば、っ!!」 エルマーに向けた剣先を、ばくりとミュクシルが銜える。ぎょろりと3つの金眼で見つめると、衛兵の一人は小さく悲鳴を上げながら失禁する。 「若えな、なあまじで頼むわ。スタンピート起こるぜ、あっこ見てみな。こまいやつから中位位までの魔物が向かってくる。お前にはあの土煙が見えねえの?」 「あ、ああ、あ!!や、やばい!!し、城に報告…!!」 「てめえは漏らしてねえで、さっさとギルドにいきな。お飾りみてえな兵士よりも、ギルドに駐在する手練のほうが余程つかえらあ。」 「あ、あんたはどうすんだ…!」 どうやら指を指した方向から迫りくる異常事態が、信憑性を高めてくれたらしい。 エルマーは少しだけ逡巡すると、バリボリと剣を噛み砕くミュクシルに腕を回した。 「わりいけど手伝えねえ。俺は言ったからな。あとはよろしく。」 「え、ま、まってくれっ!」 「顔がいい集団が来たら、無条件で通してやってくれ。エルマーに言われたって言えばわかるからよ。」 「まで、そいつらは何をする気だ!」 「やりてえようにやるだろう。大丈夫だ、悪い奴らじゃねえから!」 そういうと、砕いた木の破片を城壁の上から放り投げる。空から降ってくる破片をみて慌てた衛兵が、上で手をふる不審者然りとしたエルマーの姿を見て目を丸くした。 「んじゃ、きいつけてな。」 「へ!?落ち…!!あ、」 慌てて覗き込むと、落ちたのではなく降りたのだと言うことがわかった。ふらりと背中から城壁の下へと降りたエルマーは、すかさずミュクシルが腹を抱えて、まるで当たり前かのようにして壁を駆け抜けながら地上へと向かって行く。 これって不法侵入になるのだろうか、若い衛兵はその考えが頭をよぎったが、慌てて我に返る。そんなことを考えている暇はない。 とにかく、あの面のいい不審者によって火急の事態を把握することができたのだ。 下の方で悲鳴が上がる、まるで、これは戦争のようだなと思った。 開かれた城門からは、呼び出されたのだろう、ジルガスタントが有する兵士たちに混じって、ギルドに詰めていたのだろう、粗野な男たちも混じっていた。 赤毛の男は、もうあんなにも遠い。恐ろしい程の、早さで魔物の群れへと突っ込んでいったのだ。 「これは人死が出るかもしれませんねえ。」 「ああ…、って…あんただれだ!ここは関係者以外立入禁止である!」 「ああ、すみません。下がうるさくて上に避難してきたんですよ。それにしても…、まるでけしかけられたようですねえ。」 「けしかけられた?」 シルクハットの男は、おやあという顔で口元を隠すと肩をすくませた。まるで、口が滑ったとでも言うように。 「なにをばかな…領地を守る為に、辺境伯がいる。けしかけられたとて、かならずや我が国の兵と共に打ち勝ってくださるさ!!」 「あら、そうですか。ならいいんですけれどもね。」 クツクツ笑いながら、いやあ、誠に勉強不足ですみませんと言うと、シルクハットを被り直すようにして髪をなでつける。 「国境付近にお住まいですから。こんなに魔物が近づいてきているのに、無事なのかしらと心配しておりました。まあ、誇り高きジルガスタントの兵士様がそうおっしゃるなら、問題はないようですね。」 「あ、たりまえだろっ!!」 「ジェイク!!」 ジェイクと呼ばれた男の胸に、一抹の不安がよぎった。まるで空気を変えるかのように声を荒らげて名前を読んだのは、先程大慌てで上長に報告をしに行った兵士であった。 「なにぼさっとしてんだ!!早く俺たちも向かうぞ!!ジュクス辺境伯の土地にも魔物が侵入したらしい!私設軍が応戦しているらしいが、状況は芳しく無いそうだ!!」 「な、…っ、おまえ!!え?」 ジェイクはその言葉を聞いて弾かれたようにシルクハットの男に振り向いた。まるで予言をするかのようなことを宣った不審者を、逃すわけには行かないと想ったからである。それなのに 「ジェイク、なにしてんだ!そこには誰もいないだろう!はやくいくぞ!!」 「え、な、なんで…」 たしかに、先程までここにいたのに。 ジェイクは目を見開いた。ゴクリと喉を鳴らし、言いようのない不安が明確に輪郭を持つ。何だ、何が起きている。けしかけるようだ、と男はのたまっていた。 ジルガスタントにけしかける、なんで?と考えて、ジェイクははっとした。 「スタンピートにまぎれて、なにかするつもりかもしれん。お前が会った粗野な赤毛が首謀者だろう!」 「な、なんだってこんなときに…!」 「こんなときもなにも、どうせシュマギナールが停戦条約破ったんだろうよ!皇国の魔女が捕まったの覚えているだろう!」 ああ、確かにそんなことがあった。ジルガスタント側に紛れこんだのは、死霊を扱う魔女だ。奴隷制度を廃止したジルガスタント王家に対して、いずれ来る再戦に備えてグールやゾンビを使ってのファランクス戦術を提案したのだ。渋る王の目の前で、わざわざジルガスタントでは廃止された元騎士の奴隷を数人持込んで、召喚した重騎兵武装をしたアンデッドと共に闘わせたのだ。 それはもう、酷いものだった。戦術としては確かに優れていたが、魔物の欲のままに嬲り殺されるようにして弄ばれた奴隷騎士の血なまぐさい姿に、温厚な王は激怒した。 その者は王のお目を汚したと言う事ですぐに取り押さえられたのだが、後日牢屋の中で突然幽鬼に転化した為処理をした。 シュマギナールの者は、幽鬼に転化する。そんなありえない現象に、それが市井に紛れ込んでいたらと考えた王によって、より他国からきたものの管理は厳しくなった。 大慌てで持ち場を離れ、城壁を他のものにまかした二人は指示された辺境伯のもとに向かおうとした。 しかし、恐れていたことが起こったのだ。 「うそだ、なんで…!!」 ジェイク達の目に飛び込んできたものは、小型の魔物が国の中にすでに侵入している光景だった。雑魚だ、ジェイクたちでも余裕で倒せる。しかし、手練のものはすべて城門側に出払った今、この夥しい数をどうにかするには骨が折れる。 逃げ惑う市民の中には闇雲に棒を振り回すものもいた。いけない、このままでは市井のパニックは士気に影響する。片手剣を握りしめ、意を決して駆け出したときだった。 「邪魔である。」 白いワンピースのようなものを着た細身の男が、黒い騎獣と共に現れた。指先を一閃するようにしてぶわりと広まった風が小型の魔物を押し返す。市民を傷つけず、人が立っていられるくらいの風圧を調整した見事な魔力コントロールは、爽やかな風の薫をまといながら蹴散らす様にして吹き飛ばす。 「あ、」 なんて美しい人なのだろう。その場決意を固めた兵たちは、その枯葉色の長髪を靡かせながら騎獣から降り立つ。白磁の肌に、艶をまとったほのかに赤みのある唇。長身でありながら、どこか女性的な青年は、長いまつ毛に縁取られたラブラドライトの瞳で、兵たちを見た。 「散れ馬鹿共!!何をこんなところでぼんやりしておる!ぼんくらなどこの場にはいらぬのだ!!このサジの邪魔をするというのなら、貴様らの玉袋引き千切って魔物の餌にしてくれるわ!!!だーっはっはっは!!」 「ひぇっ」 ぎゃはぎゃはと豪快に笑うと、酷く傲慢さのうかがえる態度で腕を組みながら見下す。 とんでもない発言をした眼の前の麗人は、ぱちんと指を弾くとおびただしい数の蔦を足元から吹き出すようにして召喚する。 「来い!シンディ!!飯の時間だぞ!!」 「き、吸血花!?」 サジが両手を広げた瞬間、まるでその背後から同じ様にして葉を震わせながら美しい花が一輪咲いた。巨大なその花に呆気に取られるまもなく、誰かが呟いた一言に、まるで蜘蛛の子を散らすようにして人が逃げ出す。 吸血花、それは植物の魔物の中でもフォルンに次ぐ上位種だ。その根や蔦に絡まれたらひとたまりもない、みな干からびるまで根こそぎ吸われる。 吸血花が根付く場所は、龍でも通らない。火炎属性があれば話は別だが。 「ふむ、頭のいいやつが混じっているな。」 ブゥン、という音がする。慌てて振り向くと、火炎をまとったファイアビーと呼ばれる蜂の魔物が束になって襲いかかってきた。 サジはその唇を赤い舌で舐めずると、もたれ掛かるようにしてシンディを抱きしめた。 「なあに、恐れるな。お前の母がそばにいておろう。できるさ可愛い子。サジとともに練習しただろう。」 細かく葉ずれの音を震わせながら、美しい花がサジの顔を覗き込む。その花弁を撫でると、大きな葉で守るようにしてサジを包み込んだ。 「溶かしてやりなさい。」 くすりとサジが笑った瞬間、ぼこりと茎の一部が膨らんだ。騎獣が駆け出すと、その異形の6本足を駆使してその場にいた兵をつまみ上げる。市井の者はすでに屋内へと逃げ込んでいた為、つまみ上げられた兵達は顔を青ざめさせながら地から離れた己の足に悲鳴を上げる。 「う、うわあ!!お、おろせばけもの!!」 「ま、まて!!」 「えええええ!!!」 先程自分たちが立っていたところを含めて、シンディが放出した溶解液が容赦なく魔物を溶かしていく。その液の一部が鎧に触れた瞬間、しゅう、という音とともに溶けたのを見て、もしかしたら助けてくれたのかとぎょっとした。 「アロンダート!そんなもんに構うな!さっさとサジのもとに帰ってこい!」 「げっ、」 枯葉色の麗人が手を挙げる。瞬間、数メートル上から捨てるように離されると、無様にその場に折り重なった。騎獣は、アロンダートというらしい。地に前足をつけたかと思うと、黒い影のようなものを身に纏う。その影からするりと手を伸ばしたのは、褐色の肌に黒髪の美しい男だった。 「シンディ、実に見事だった。あとでお前の好きな果実を送らせてくれ。」 サジの腰に手を回したアロンダートが、その花に手を添える。頬に口づける様にしてあの吸血花に感謝のキスを送る姿を見て、あの魔物を手懐けている二人が何者なのか、折り重なったままの兵は顔を青ざめさせた。 「何をしている、早く散れ。死にたくなければ国を守れバカども。」 サジの傲慢さはおいておくとしても、おちおち寝転がってはいられない。ガチャガチャと鎧をすり合わせるような音を立てながら慌てて立ち上がると、何も言えないままに持ち場へと向かう。 そうだ、これは戦争のようなものなのだ。自分たちが何に巻き込まれたのかはわからない、しかし、皇国の仄暗い何かが関わっていることは、確かだった。

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