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素直になるのは嫁の前だけ。(結婚編)エルマー×ナナシ

「ハイオーガつったってさ、アイツラ鈍足だから追いかけられても怖くねえわけよ。」 「そうだな。」 「厳ついのは顔面だけって具合でよ、攻撃手段もあの棍棒なわけだろう。」 「そうだな。」 「なのになんであんな悲鳴あげて逃げ回ってんだろうなあ。」 「…とりあえず助けに行ってやったほうがいいんじゃないか?」 ほぎゃあ!という情けない悲鳴が聞こえた気がして、エルマーとレイガンは森を進んでいた足を止めた。 そろそろ出る頃だろうと思っていたのだが、どうやら近場のゴブリン討伐中に攻撃を受けて逃げたらしいグループが、なんともまあフットワーク軽くこちらまで来たらしい。 ゴブリンによって追いかけられていた少年たちが突然現れたハイオーガに悲鳴を上げて、先程から目の前の広い広場をぐるぐると駆けずり回っていたのだ。 恐らく術を行使しようとしているのだろうが、うまくいっていない。狙いを定めるのも下手らしく、さっきから避けるのに手一杯らしかった。 「エルマー、お前そういえば武器は?」 「あー、ナナシの虫取り網になった。」 「なにやってんだおまえ…」 手ぶらのエルマーを訝しげに見たレイガンは、のんきにインベントリから取り出した元大鎌の柄にお手製の網が取り付けられたそれを見てげんなりとした。 「棒術できるのかお前…」 「ステゴロでいくぜ。」 「ヒュドラ相手にか。」 「うんにゃ、ハイオーガ。」 がさりと音を立てて、エルマーが飛び出した。丁度エルマーたちのいる方向に逃げてきた少年たちが、突然現れた見知らぬ大人に腰を抜かすと、エルマーはゴブリンが振り上げた棍棒を鷲掴みにしてハイオーガにぶん投げた。 レイガンは、相変わらず雑な奴だと呆れた目を向けたが、少年たちからしてみたら、棍棒ごとゴブリンを持ち上げてハイオーガにぶん投げるなどという意味のわからない攻撃方法にぽかんとしてしまった。そもそも片手でゴブリンなんて持ち上げようとも思わない。 放り投げられた哀れなゴブリンは、口を開けて待っていたハイオーガによってがぶりと喰らいつかれ、ぎゅぷ、という不快な音を立てながらむちゃむちゃと目の前で食われていく。 敵に敵を食わせるというありえない戦闘方法に顔を青褪めさせたグループのよこからレイガンがのそりと出てくると、ストレッチをしているエルマーの後頭部をぶっ叩いた。 「グロい。」 「いってえ!」 ばこんといい音を立てて殴られた。信じられないくらい痛い。恐らくガントレットの方で殴ったのだろう、エルマーが頭を抑えながら振り向くと、一塊になって怯えてる若い少年たちをみて片眉をあげた。 「クソガキ。ゴブリン如きに逃げ回るくらいの戦力なら、スライムでなれてから挑め。邪魔くせえ。」 「お前は!フォローしろと言ってるのがわからんのか!」 「いってええ!!」 エルマーの突き放すような言葉にぐすんと鼻を鳴らすのを見ると、レイガンが無神経な物言いに叱りつける。こんなんで父親になる気かと言う具合だ。 「お前も父親になるなら、子供のフォロー位覚えておけ。」 「俺自分の力量過信して依頼受ける奴嫌いなんだあ。」 がしりと逃げ出そうとした少年の首根っこを掴むと、レイガンに押し付けた。 少年のいた場所にハイオーガの棍棒が振り下ろされたのだ。 「ひっ、」 「まあ。口は絶望的だが腕は確かだから、見ていけばいい。」 振り下ろされた棍棒の威力に小さく悲鳴を上げると、少年をささえていたレイガンが頭の痛そうな顔で言う。 そっと纏まっている仲間のもとまで運んでやると、ハイオーガの棍棒を蹴り上げたエルマーが意地悪な声で叫ぶ。 「一人一本ポーション置いてけ。守ってやるんだからそれくらいはよこしなァ!」 「エルマー!」 「へーへーすんまっせんっしたぁ!」 空中に放り投げられた棍棒を、エルマーがナナシの虫取り網で叩きつけるようにして地面に落とす。レイガンは、あ。それ使うんだ。という顔でみていると、落ちた棍棒をエルマーが手に取った。 「あ、あのお兄ちゃんなんで棍棒なんか…」 「あいつ、虫取り網しか武器持ってなかったからな。」 「それで、棍棒…」 レイガンの一言に信じられないといった顔をする。 一人一本、全部で4本分のポーションを用意してレイガンに渡すと、いらないと断られた。 「ハイオーガの齒ァ全部叩き折ってやらぁ。」 「治安の悪い…。いいか、お前らはあんな大人になるなよ。」 「わ、わかった…」 うわははは!と楽しそうなエルマーの笑い声と共に、ハイオーガの顔面にフルスイングした棍棒が叩きつけられる。 ゴチャ、という何かが潰れたような不快音と共に、顔を潰されたことによる恐ろしい絶叫が響く。 顔を抱えるように抑えたハイオーガの肘の関節を叩き折る。容赦もない一方的な攻撃に、相手が悪すぎると悟ったのか、よろめきながらエルマーから背を向けて走り出した。 「レイガン、」 気が狂ったように走り出したハイオーガを追いかけず、何故かレイガンと呼ばれた紫眼の美丈夫に場所を譲ったエルマーに、少年たちがキョトンとした顔をする。 レイガンは小さくため息を吐くと、少年たちが理性的な後ろ姿を見つめる視線を背に感じながら、スッと手のひらをハイオーガに向けたときだった。 「ニア、飲み込め。」 「へ、」 突然、ハイオーガが白い柱に押し上げられるようにして空へ飛んだ。 一体何が起きたのか。あっけにとられたように見上げた少年たちが目にしたのは、白い巨大な蛇がバクンとハイオーガを丸呑みにした瞬間だ。 あんなでかい魔物を使役しているなんて、なんてことだ。恐ろしく美しい白蛇はその体躯をシュルシュルと縮めると、するりとレイガンの腕に絡まった。 「ニア、魔石。」 ごぽ、と蛇の喉元が膨らんだかと思うと、ころりとしたハイオーガの魔石が手のひらに転がった。 この二人は、一体何者なんだろう。そんな具合に目を丸くして固まった少年たちに向き直ると、エルマーと呼ばれた赤毛の男がレイガンの肩を叩く。 まるでよくやったと言わんばかりの男同士のかっこいい挨拶だ。 この二人は、かっこいい。背格好も鍛え抜かれ、軽装なのに傷も受けずに簡単に魔物を倒してしまった。 エルマーと呼ばれた赤毛は、ハイオーガの棍棒を自身の本日の武器にすることに決めたらしい。それを軽々担ぐと、レイガンにまとわりついていた白蛇がシュルシュルとエルマーに絡みついた。 「若い雄が雁首揃えて一塊。うふ、美味しそうだなあ。かわいい、食べてしまいたい。」 「おー、こいつらの童貞もらってやりゃあ良いんじゃねえの?」 「ニア、エルマー。質が悪いぞ、誂うな。」 白蛇は楽しそうに笑うと、しゅるりと地面に降りてきて鎌首をもたげる。味方だということはわかるが、ゾッとするような美しさだ。 ニアと呼ばれた白蛇は人語を介していた。チロチロと舌を震わしながら、紫色の澄んだ瞳で見つめてくる。全員が息を殺して固まっていると、値踏みは終わったらしい。エルマーの足からその身を絡ませ上がっていくと、その白い尾でこしょりと撫でるように頬に触れた。 「雄が4匹、若いなあ。エルマー、少年性愛はナナシだけか?レイガンとおまえに、左後ろの雄が発情している匂いがするぞー。」 びくんと身を震わしたのは、少年たちの中では年上のものだった。切りそろえられた黒髪にそばかすが可愛い。どうやらレイガンとエルマーに対して胸をときめかせたらしい。 指摘をされ、気恥ずかしく思っただろう。うろ、と視線を彷徨わせる少年に、エルマーは目を細めた。 「お前がこのグループのトップか?」 「え、あ、はい…」 声をかけられ、しゃがみこんだエルマーの整った顔に真っ直ぐと見つめられて頬を染める。 顔の使い方をわかっているからこそ、エルマーはまるで綻ぶように微笑みかけると、その柔らかな微笑みのままいった。 「頭張ってるならてめえが指針になんなきゃいけねえだろう。俺らがいなかったらお前がコイツら殺してるってことだなァ。」 「エルマー、おまえは言葉を柔らかくしろと言っているだろう。」 「やる気だけはあったって実力がなきゃチームなんてまとめらんねえよ。力量試すならソロでやれ。ほか巻き込んで無駄死に晒したくねえなら、力つけてからチーム組みな坊や。」 ぺちぺちと巫山戯るように頬をたたくと、すくっと立ち上がる。がしりとレイガンの首に腕を回して引き寄せると、にっこりと笑う。 「あと俺ら嫁さんいるから色目使うなら魅力も磨いてこなれた穴になってから出直してこいな。じゃ。」 「エルマー!!」 あまりの言様にあっけにとられたように見上げると、じわじわと顔を染め上げわあっと泣いた。泣かすつもりはなかったわけではないが、駆け出しのもの特有の過信を感じて腹が立ったのである。 言い過ぎだとやかましくせっつくレイガンの首に腕を回したまま、手をゆらゆらと振りながら目的地に向かう。 「エルマー、お前意地が悪いぞ。ナナシの前だけでいいこちゃんか。」 「ちげえ、ああいう誰かが助けてくれんだろうっていうスタンスが嫌なんだあ。実力ねえのに纏まったら的にしかなんねえだろう。若い奴らが怪我して帰ってきて、トラウマになるよか余程マシだァな。」 「お前、意外と考えているのか。」 「あと乳臭えガキに落とせると思われたのが癪だった。」 「そっちが本音か…」 スンとした顔で宣う。あのぶりっこの匂いだけでもう食指が動かない。というか、途中から値踏みするような目線を向けられたのだ。貴様は何様だと苛立ってしょうがなかった。 渋い顔をするレイガンを見る。ばちりと目が合うと、エルマーは目を細めた。 「マジな話。理性的なレイガン君はどう思った。」 「…お前に流せばいいかと思っていた。」 「てめえ…」 ひきつり笑みを浮かべたエルマーを宥めるように肩を叩く。 「さ、赤い実のなる道が見えた。あの先にヒュドラはでるらしい。いくぞエルマー。」 「話変えやがったなテメー。」 「ヒュドラかあ。ニアは共食いしないからなあ。」 「食わんでいいから状態異常無効の膜張ってくれや。」 棍棒を担ぎながらエルマーが言う。 ヒュドラ一匹、大きさにもよるのだが報酬は最低でも一体につき金貨5枚。何匹いるかはわからないが、2匹くらいはいてほしい。 一匹でも大いに手こずる力の強い魔物に、そんな欲を出しながら道なき道を辿っていく。 目的の魔物に近づくにつれて、茂っていた草木が少しずつ変色し、腐っていく。 ヒュドラが繰り出す毒の蛭のようなものが数匹はい回っているのを確認すると、思わずレイガンと顔を見合わせた。 「いくか。」 「無論。」 エルマーはレイガンから解毒用のポーションを受け取ると、その底に手を添えて一気に魔力を流す。 ボコボコと泡立ち始めたそれを握りながら、一息に森を駆け抜けると、木々の合間から鎌首をもたげた三首のヒュドラめがけて振り抜いた。 「レイガン!大金貨はくだらねえ!!」 「そりゃあ助かる。」 エルマーがヒュドラに向かって投げたのは、解毒の効果をより活性化させたものだ。ヒュドラの赤い鱗に当たって割れたそれが、解毒の作用を正しく示し、ジュワリと音を立てて猛毒を孕む首もとの鱗を溶かした。 首の根元の毒腺を駄目にしてしまえば、後は何も怖くない。2発目をエルマーが放り投げたと同時に飛び出したレイガンが、即座に両手で円を作るとヒュドラを内側に写し込む。 レイガンの周りの魔力が冷気を纏い、キラキラと氷の粒が反射した。 「氷鏡、氷結。」 ヒュドラの周りを、大きな水の渦が囲んだかと思うと、小さな破裂音とともに一気にそのまわりを凍らせていく。身を縮ませながら逃げようとするヒュドラの溶けた鱗の部分、剥き出しになった皮膚をエルマーの術が弾かせるようにして肉を吹き飛ばす。 かまくびをもたげ、毒霧を噴き出そうとしていたが、毒腺を弾き飛ばされたままの攻撃は意味をなさない。 レイガンによって行使された氷結術がヒュドラの身を覆っていく。毒沼をも見事に氷の彫像と化したその術の最後は、まるで幻想的に美しく砕け散るのみだ。 「おーおー、相変わらずすげえ綺麗だなあお前の術は。」 「褒めても何も出ないぞ。」 パリンという薄玻璃が割れる音を立てながらヒュドラが砕け落ちる。氷の残滓を霜柱でも踏むかのようにサクリと音を立てながらレイガンに歩み寄ると、球体状の魔石を手に取った。 「繊細な氷魔法使うやつがムキムキってぇのが解釈ちがいだけど。」 「やかましいわ。」 きっわどい衣装のむちむちネーちゃんならわかる。などと付け加えると、エルマーが魔石を投げてよこす。背後の毒沼が泡立ったのを見ると、解毒の術を濃く充填した空魔石を振りまくようにしてエルマーが投げた。 「毒性のある魔物に解毒の術をかけるお前は、なんというかやり方が鬼畜だな。」 「俺人の長所叩き壊すの好きなんだあ。」 性格の悪いことを言いながら、エルマーが撒いたなんてことのない空魔石に触れた二匹目のヒュドラが、顔を出した瞬間に煙を上げながら鱗を溶かしていく。 のたうち回る体を眺めながら、剥き出しになった皮膚の色を見て蚯蚓みてえだなあとしみじみ眺めるこの男は、やはり少し、いやかなり人間的な部分が欠如しているような気がする。 「ナナシが見たら泣くぞ。える、ひどいことするなってな。」 「虫取り網と棍棒しかねえもの。どうやったって首はとれねーべや。」 レイガンの一言に、ナナシの泣きそうな顔がよぎったらしい。言い訳じみたことを言うと、ごめんなあー、といいながら虫の息のヒュドラの頭を下級のハイオーガの棍棒で叩き潰した。 そういうとこだぞエルマー。レイガンの目が無言でそう語るのだが、エルマーはナナシの前だけしかいい子になれないのだから仕方ないだろう。

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