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level.13

 柚莉愛は次回のイベントに当選したファンの名前を特製ポストカードに当日サインすべく、当選者氏名が載った一覧表に目を通していた。  相手の名前を間違えてはならないので、前もってメンバーたちはその当日やってくるファンの名前をスムーズに書けるよう練習する。  そして、柚莉愛はある名前で視線を止めた。 「(みね)……凛人(りんと)……。──」  聞いたことのある響きの姓──。  桐谷の話していたあの同級生で、自分のファンだという人物と同じだろうかと柚莉愛はその名前をじっと眺めた。  初めて桐谷の口から峯の話を聞いた時から、柚莉愛はずっとその存在が気になっていた──。  普段ほぼ自分の話をしないあの桐谷が珍しく自分の学校の話をした。たまたまそれが柚莉愛の熱烈なファンだったからかもしれないが、薄らと何か特別な感情をその内側に感じていた──。  あの桐谷が他人に興味を持つことなんてあるのかと内心面白がっていたが、ひょっとして彼が桐谷を変えたのかもしれないと柚莉愛は思い始める。 「──純情で、綺麗な心の同級生……」 ──ヤベェ、エロいことしかよぎらねぇわ。と柚莉愛は出かかったヨダレをこっそり拭った。  イベント当日。柚莉愛は"峯"に会えるのを心待ちにしていた。  彼はどんな姿をしているのか、どんな言葉を自分へ語りかけるのか、まるで逆に自分が憧れのアイドルと会うような感覚だった。  今日も気合の入ったナチュラルに見せかけた優等生メイクはバッチリで、エロ同人作家の煩悩を微塵も見せずに柚莉愛は華麗に猫の皮をきっちり被った。  デビュー直後を思い出すかのように、今日のイベントはゲーム専門店の最上階にあるイベントフロアで開催される狭いキャパでのものだった。  そのため何日かに分割して行われはするものの、今日は柚莉愛が待ち焦がれていた峯が当選したイベントの日で、柚莉愛の朝から妙なヤル気にメンバーは若干胡散臭さを感じていた。  イベントの前半はミニライブとトークイベントだった。湧き上がる歓声の中6人は登壇し、新曲を披露する。狭いステージはなんだか新人の頃を思い出せて、妙に6人のテンションも高くなった。  その中でやけにお通夜な男がチラチラと柚莉愛の視界に入ってきた。──どこにでもいるんだ、こーいう人。一人はいる、絶対に。そう頭の片隅で思いながらも柚莉愛は完璧なスマイルで最後まで踊り、歌い切った。  トークコーナーに突入してもお通夜の男は相変わらずだった。そこそこ前の席に当選したというのに昨日飼っていた金魚かハムスターになにか不幸でもあったのか、とツッコミたくなるようなくらいとにかく暗い。  下積み時代で培われた彼女たちのトークは司会を交えながら終始盛り上がり、あっという間に時間は流れ、最後のサイン会へと突入した。  一人のファンの持ち時間はサインを書き始めるところから最後、握手して渡し終わるその瞬間まで。その間ファンは何をどれだけ話しても構わない。  柚莉愛は参加者の表と本人が口頭で伝える名前を確認してから丁寧にサインを書き始める。  そして、いよいよ柚莉愛の中だけで噂の"峯 "の番が来て、柚莉愛はいつもの完成された笑顔で待ち人を意気揚々と迎えた。 ──が、登場したのはあのお通夜男だった。  内心唖然とした柚莉愛ではあったが、同じ名前の単なる他人だったのかもしれないと、平然を装い挨拶を交わし、名前を書き始める。 「いつもありがとうございます! ライブにも来てくれましたか?」 「はい、行きました……。すごく楽しかったです……。ゆりりん、めちゃ可愛かった……です」  か細い声で弱々しく褒められて、柚莉愛は若干複雑な面持ちだった。 「なんだか元気ない? 友達と喧嘩した? 失恋しちゃったとか?」  珍しくツッコんだことをわざと柚莉愛は言ってみた。すると、お通夜男の纏う空気が一瞬変わった気がした。 「──どっちも正解。すごい、ゆりりん。占い師みたい」  薄ら儚く笑う"峯"に柚莉愛はなぜかドキリとした。  今日初めて見せる笑顔が今ここで、それなのか? と柚莉愛はうっかり動揺してしまう。 「はい書けました! 早くお友達と仲直り出来るといいですね。もし恋人なら……本当に好きなら諦めちゃダメですよ」 「…………ダメです。俺とは遊びだったんで……」  スタッフが次のファンに順番を回すため、峯の肩へ退くよう合図する。素直に峯が歩き出すのを柚莉愛はなぜかその手首を掴んで引き止めた。  柚莉愛の予想だにしない突然の行動に思わずスタッフも他のメンバーもギョッとする。 「自分の心まで騙すことない!」 「…………ゆりりん……」 「一言ガツンと言ってやってっ、相手はきっと意気地がないの! 自分自身どうして良いかわかんないのっ、単にひよってるだけ!」  峯は突然のこと過ぎて一瞬何が起こっているのか理解できないらしく、目を丸くして固まり、言葉を無くしていたが、掴まれた手首から柚莉愛の顔へと視線をゆっくり移すと、ようやく強張っていた口元を緩めた。 「──ありがとう……柚莉愛ちゃん……。なんだかますますファンになりました」  峯は頬を緩めて柔かく微笑み会釈すると、出口へとゆっくり姿を消して行った。  柚莉愛は慌てて走り寄って来た事務所スタッフに小声で注意を受けるが、全く耳に入れようとしていない。 ──あの時、あいつの傍にいたのはキミだったんだね。   ──くん。  柚莉愛から携帯へメッセージが届き、画面を見た桐谷は目を見開き固まった。 "峯くんに会ったよ。イベントに来てた。今にも死にそうな顔して笑うの、エモいの域超えてた。 アンタ、あの子と付き合ってたんだね" 「なんで……そんなこと……」  桐谷は字を打つのが面倒で直接柚莉愛に電話を掛ける。 「──オイオイ、お前から電話掛けてくるとか、ガチ重症だな」  柚莉愛の第一声はなかなかに鋭かった。 「なんで、峯本人だって……わかる」 「サインしたの。峯 凛人って名前書いた。アンタの知ってるあの峯くんと同じなんでしょ?」 「────ああ」 「相手は遊びだったって死にそうな顔して笑ってたよ。お前すごいね、あんなに惚れて貰って逃げるとか頭おかしいだろ」 「──うるせぇな。あいつはお前の熱狂的なファンなんだぞ。お前とのことをどう説明しろって言うんだよ……」 「へぇ、じゃあさ。あの子、アンタの代わりにしてもいい?」 「はぁ?!」 「アンタの代わり──好きな時にセックスして、モデルになってもらって、売り子にもなってもらう──ちょうど良いじゃん。アンタあの子を捨てたんでしょ?」 「ふざけんなよっ! アイツはっ!」 「──アイツは、なに? アンタの何? あの子はアンタに遊ばれたって泣いてたんだよ? アンタはあの子のなんだったの?」  完全に黙ってしまった桐谷にとうとう柚莉愛は電話越しに爆笑し始めた。 「ホントっに、アンタって、馬鹿だよね。あの子のこととなるとこんなダメダメになるんだもん。別人もいいとこ、マジでおかしっ……箱入り娘もびっくりだわ」 「うるせぇな……」 「ねぇ、あたしはさ、もちろんアンタのこと気に入ってたよ。多分お互いに便利だったんだと思う。アンタといると素でいられたし、愚痴れたし、とにかく楽だった。多分一番気の合う悪友って感じかな? でもそれって本当に大切な人が出来た時、後悔する存在になるってのはあたしも思ってたよ──特にアンタにとってね」 「……………………」 「あたしは多分変わらない。変われない。でもアンタは違った。あの子に会って、本当に好きになって、大切過ぎてあたしのこと話せなかったんだよね? 大切なアイドル像を壊してあの子を傷付けたくなかったから──そうなんでしょ?」 「……そんな綺麗な理由じゃねぇよ……」 「本当は自分がこれ以上嫌われるのが怖かった? でもさ、あんなにアンタを好きだったんだから嫌いになる時はもうこれ以上ないくらい嫌いになるだろうし、そんな心配いらないって」 「オイ」 「泣いてるってことはアンタに未練があるってこと、アンタを嫌いになれないから泣いてんの。アンタだってはっきり嫌いだって言われるのが怖くて自分から逃げたくちでしょ?」 「──お前……」 「ね? 伊達に一年つるんでないでしょ?」  柚莉愛はからりと笑ってもう一度桐谷に念を押した。 「諦めんなよ。手放したら後悔するって自分が一番わかってるんでしょ?」 「柚莉愛……」 「謝罪ならもういらない。お礼なら幾らでも、現金及び物品にて絶賛受付中」 「ぷっ……ホントに可愛くねぇ女──」 ──だから、俺はお前に救われた。

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