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第2話

 次の客は初めて指名された客だった。馴染みの客の方がやりやすいが仕方がない。これも仕事だ。  指定されたホテルはさっきのホテルよりランクが高いホテルである。  はじめての客の場合、気に入ってもらえたら今後に繋がる。なによりいい客でありますように。普段は信じもしない神にそう祈りながらホテルのエントランスに足を踏み入れた。  指定された部屋番号の前で立ち止まりチャイムを鳴らすとドアの奥から鍵を回す音が聞こえる。  ドアの丁番が小さく軋む音と共にドアが開くと、ミネットは呆然とした。 「よお、ミネットちゃん」  エンドムーン街のミネットらを含む娼夫連中を取りまとめているイドリーがバスローブを着た姿で出てきたのだ。 「あれれぇ。イドリーさん……俺、部屋を間違えちゃいましたかね?」 「いいや、間違っちゃいないさ。この時間の客は俺だからな」 「でも、名前……」 「誰だって春をひさぐ時にゃ偽名は使う。そうだろう?」  強い力で部屋の中に引きずり込まれるとミネットは着ていた服をむしるように脱がされる。 「シャワーが、まだ、なんですけど」 「前の客とヤッたあとに浴びてんだろうが」  拒否権はない。そして相手がイドリーであれば無償奉仕になるのは目に見えている。 『商売あがったりだな』  うつ伏せにベッドへ叩きつけられ、ボトムスとパンツを一緒くたにずるりと引きずり下ろされながらミネットは抵抗をやめた。  もう失敗はしない。これまでに何度かイドリーに犯されたとき暴れて痛い目をみたことをミネットは忘れていなかった。なんとも惨めな気持ちになったことをミネットは思い出す。それからイドリーがこうして気まぐれを起こした時は従順にすることを心がけていた。  ミネットはその記憶を振り切るようにくるりとイドリーの方を向き、ベッドサイドに用意されていたローションボトルを手に取る。ミネットが楽になるように、ではなくイドリー自身が楽に挿入するために用意したローションだろう。  ミネットは心の中で激しく舌打ちをすると、わざと厭らしく見えるように高い位置から自身のまだ勃ち上がっていない中心から伝わせるようにその中身を垂らしていく。  ひんやりとした粘り気のあるローションがミネットの窄まった所に垂れたところで、自身の指をその後孔に差し入れた。  自分から受け入れる体勢を作る方が楽だとすでに学んでいる。  ひと仕事終えたあとでよかったとミネットは思っていた。ミネットは素早く、そしてしっかりと自身の後孔をほぐしてイドリーの受け入れる態勢を整えると両足を開いてその先を促す。 「お前は賢いなあ、ミネット」  そんなミネットの胸の内を知ってか知らずかイドリーはそう言って笑っている。心の中で何度か目の舌打ちをするミネットの体にイドリーの体の重さがのし掛かった。 『早く終われ。終われ……!』  そう心の中でミネットは呟きつつ、イドリーを受け入れた。  アラームの音が鳴り響く。驚いて目が覚めると部屋にイドリーはいない。気怠く重たい体を起こしてホテルの備え付けのデジタル時計をみると深夜一時を回っていた。  ベッドのサイドテーブルには『子猫ちゃんへ』と汚く殴り書かれたメモ用紙とともに今日受けとる日銭だけが残っている。もちろん一回分の稼ぎしか残されていない。カバンの中に入れていた今日受け取った稼ぎは無くなっていた。事務所には寄らずこのまま帰っていいというイドリーの『お心遣い』だろう。  体は至るところに乾いた精液がこびりついている。当然のように尻も痛い。そして尻の穴からは時間が経って水のようになったイドリーの残骸が垂れて太股に伝う。  不愉快だ。  柔らかな枕を思い切り殴り、ミネットはシャワールームに向かった。  シャワーのカランを捻ると勢いよくお湯が流れてくる。シーツで皮膚が擦れたのかシャワーヘッドから降り注ぐ熱い湯が染みて痛い。 こういうことも慣れてしまった。昔は悲しさや悔しさが顔を出していたが、今は悲しさより先に苛立ちがくる。 「クソッ!」  カランを乱雑に捻って湯を止めると、ミネットはシャワールームを出た。  まともに髪も乾かさずさっさと服を着てホテルをあとにする。 『あの絶倫クソ野郎。さんざん抱き潰しやがって』  じりじりと痛む尻をさすりながらミネットはゆっくりとホテル街を歩いていた。  そのまままっすぐ家には帰らホテル街から少し離れた裏通りの小さなテナントビルの二階を目指す。周りのテナントとは違う小綺麗な入口の前にミネットは立ち止まると、ずかずかとその中に入っていった。  小さな病院だ。診療時間はとっくに過ぎて受付の電気は消えている。それでもミネットは奥へと進み、うっすらと光の漏れている診療室とプレートのついたドアを無遠慮に開けた。 「やあトラップ先生」 「ああ、ミネットか」  銀縁のメガネをかけた男がひとり座っている。ミネットにトラップ先生と呼ばれたその男はメガネを外して椅子ごと振り返った。 「ジュンの喘息の薬と、ビタミン剤。あと……痛み止めの軟膏もくれる?」 「いいよ。ちょっと待って」  そう言うとトラップは薬戸棚から薬をいくつか選び取り紙袋に放り込んでいく。 「はいミネット」 「ん、ありがと」 「ジュンは元気?」 「おかげさまで。最近は発作もほとんど起きないよ」 「それはよかった。もう何年になるっけ?」 「俺が十一歳くらいだったから……六年前?」 「ふふ、早いね。あのときはまだあんなに小さかったのに」  当時のミネットの身長を思い出すようにトラップは自分の胸下あたりに手をもってくる。ミネットはそんなに小さかったかと頭をかきながらトラップの少し白髪の混じった頭を見た。 「トラップ先生もオッサンになったもんな」 「そりゃ、そうだけど」 「ウソだって。先生、いつもありがとう……」  エンドムーン街は浮浪児と娼婦、そして娼夫が多く住む街だ。そんな街でトラップは親のいない子どもたちを無償で診察する慈善活動をしている。 「あのさ、いつもタダで薬もらって悪いからさ……俺、セックスしかできねえけど、先生が嫌じゃなかったら、その……」 「子どもがそんなことを考えなくていいよ」  トラップの言うようにミネットは大きくなったが、まだトラップが考える大人ではないらしい。トラップの思う大人がどれくらいなのかは分からない。だからミネットは定期的にそんな提案を投げかけて自分が大人なのか子どもなのかを測っていた。  しかしトラップはいつもミネットの柔らかなブロンドの短髪をくしゃくしゃと撫でるだけで終るのだ。  甘えられるうちは甘えておこう。そう思い直してミネットは「ありがと先生」と伝えて病院をあとにした。  街灯のない夜道は星がよく見える。まるでその満天の星々が降ってきそうな夜空だ。  ミネットが家に帰るとジュンはすでに寝ていた。規則正しい呼吸と合わせてタオルケットが上下に動く。ミネットは自分の明るい髪とは正反対の黒く細い長めの髪を起こさないようそっと撫でる。 「ただいま、ジュン」  ジュンはミネットの弟だが血の繋がりはない。昔、自分が捨てられていた場所と同じごみ捨て場で喘息の発作を起こして倒れているジュンを拾ったのだ。  今よりもっと小さなジュンがひゅうひゅうと異様な呼吸を繰り返すので、慌てて浮浪児たちの間で噂になっていた慈善家のトラップの病院に連れていったのがふたりのはじまりだった。  エンドムーン街には浮浪児が多い。別の区画からこのエンドムーン街に子どもを捨てにやってきたり、客との間にできた子どもを産み落として捨てる娼婦がいるからだ。  そんなエンドムーン街に血の繋がった生活共同体はほとんどない。  寂しさから浮浪児が寄り固まって暮らしたり、ミネットのように誰かが誰かを拾ったり、産んだ子どもを棄てた娼婦が、自分が棄てた子どもと同じように捨てられている子どもを見つけて拾うこともある。なかには子どもを働かせて自分が楽をするために子どもを拾う人間ももちろんいる。  みんないつ死ぬか分からないような生活をしているからか、ほとんどの住人は誰かと生活したがるのだ。  ミネットがジュンを拾ったのも自分を拾った娼夫が死にひとりきりの寂しさに身が潰されそうな頃だった。昔の自分と同じように捨てられたジュンを見つけてその寂しさを埋めようとしたのである。 「お前がいるから、俺はがんばれるよ」  昔、ミネットを拾った娼夫も同じ思いだったのだろうか。ミネットのことをきれいだと言う、赤い髪の男だった。もう声は思い出せないが彼の燃えるような赤毛はやたら鮮明に覚えている。 「お前だけは、俺みたいになっちゃダメだよ。ジュン、かわいいジュン。愛してるよ」  ジュンにだけは自分が味わった悔しさも悲しさも知ってほしくない。  愛おしさにミネットはジュンの額と目元のほくろにキスをすると起こさないように隣のベッドに入った。  夜は嫌いだった。もちろん仕事をする時間帯だからというのもあるが、なにより夜の暗さが心に纏わりつくような不安を煽る。朝が恋しい。  疲れている体はベッドに入るとミネットの意思とは関係なく眠りを求める。目を瞑ればまるで意識を失うように眠りについた。

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