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第3話

 ジュウジュウと何かが焼ける音。皿を取り出す音。毎日待ち望む朝はいつもジュンの作る朝食の音で迎える。ミネットにとって朝の象徴はジュンだった。  夜型の仕事だからもう少し寝ていたい。それでも恋しい朝の訪れに不安に押し潰されそうだった心が一気に落ち着くのを感じる。  それらをベッドの中で聞いた後、トースターが跳び跳ねる歪な音が聞こえたところでミネットは観念してゆっくりとベッドから起きた。 「おはよう、お兄ちゃん!」 「おはよ、ジュン」  スクランブルエッグとウインナー。そしてトーストとミネット用のコーヒーが並ぶテーブル。ミネットがひとりなら朝からこんなに食べない。食に対してのこだわりがないのだ。そもそも朝は食べなくてもかまわないと思っている。 それでもジュンがどこで学んだのか朝を食べないとどうたらこうたらとうんちくをたれ、朝食ができあがるとミネットを叩き起こしてくるようになったため、仕方がなく……とはいえまんざらでもなくちゃんと起きてテーブルにつくのだ。  出された朝食を咀嚼しているとジュンが言った。 「お兄ちゃん、今日も仕事?」 「んー、仕事」 「……そっか」 「夕方からだから、昼まで寝とく」 「じゃあ、サンドイッチを置いておくからお昼に食べて」 「ありがとな」  恐らくいつもと同じピーナッツバターのサンドイッチとスクランブルエッグとウインナーをケチャップで味付けしたサンドイッチだろう。  いつものようにアルミホイルに包まれているものを眺めながら中身を予想しているとジュンがリュックを持って玄関へ向かう。ミネットは朝食を中断させるとジュンのあとを追いかけた。 「おいジュン、最近ここらのガキや動物が襲われてるって聞いたから、気をつけろよ」  以前事務所でイドリーの下っ端たちがそういうことをして遊んでいるという話をしながら盛り上がっているのを聞いてから、ミネットは毎朝ジュンが出掛ける前にその話をしていた。 「昨日も聞いたよ。じゃあ、いってきます」  そう言うと、いってきますのキスをジュンがする。 「ん、いってらっしゃい」  いってらっしゃいのキスをミネットが返すとジュンはニッコリと笑って家を出た。  寂しがり屋のジュンはいつもミネットにキスをねだる。少しブラコンに育ちすぎているような気もしたが、比較する人もないのでねだられるままにスキンシップとしてキスをしている。それでも愛しているジュンが望むのなら応えてやりたいと思うのだ。  玄関の鍵を閉め部屋に戻るとベッドに再びダイブする。出された朝食がまだ三分の一ほど残っているが、朝の残りはサンドイッチと一緒に食べることにした。まだ眠たい。  安い目覚まし時計がジリジリと音を立てる。午後三時。仕事へ行く時間だ。 横がへこんだケトルに水をマグカップ一杯分入れて火にかける。  インスタントコーヒーの粉をスプーン二杯。昔から使っている内側が茶色く変色したマグカップに投げ入れて適度に沸いたお湯を注ぐ。  インスタントコーヒーはいつも美味しいのか美味しくないのかよく分からない味がする。ただ朝と仕事前にこの苦味の強いインスタントコーヒーを飲むのが昔からの習慣だった。  ジュンの用意したサンドイッチと冷めた朝食の残りをコーヒーで胃に流し込むと、寝起きでぼんやりとしていた頭が冴えてくる。  バスタオルを引きずって狭いシャワー室へ入りカランを捻ると冷たい水が頭上のシャワーヘッドから勢い悪く降り注ぐ。ぶるりと震えていると次第に冷たい水は温くなり、ミネットの体をあたためた。  シャワーを浴び終えると家を出る予定時間が近づいていた。ドライヤーで髪を乾かしてミネットは干したままの服を引ったくるように取りそれに着替えると急いで家を出た。  今夜は三件。つまり三回セックスをする。一日の仕事は二、三件が限度だ。それ以上は体がもたない。正直に言うと三件だってキツイ。それでもジュンとふたりで暮らしていくのなら限界まで仕事をしなければいけないし、ジュンがいるのなら頑張れるのだった。  仕事を終えて今日の稼ぎを渡しに事務所へ向かうと、普段はいないイドリーが事務所にいた。昨日の今日で会いたくなかったが仕方がない。ミネットは何食わぬ顔で今日の稼ぎを男に渡した。 「よお、ミネットちゃん。今日も稼いだなあ」  イドリーはニタニタと笑いながらミネットの側にやってくると男に渡している金を見ながら言ってきた。 「珍しいですね、事務所にいるなんて」 「昨日は大丈夫だったか? ん?」 「おかげさまで……」 「お前のそのツンツンしたところ、可愛いって思ってるんだぜ? どうだ、もう俺のものにならないか?」  楽しい思いをさせてやる。そう言って愛玩動物でも愛でるように顔を撫でてくるイドリーの手をやんわりと払う。 「俺は誰のものにもなりませんよ。じゃあ、ちっちゃいのが待ってるんで」 「お前は俺のものになるさ」  嘲笑う声で事務所が満たされた。不愉快だったがそれを顔に出さないよう努めてミネットは事務所を出る。  外に出てみると夜空は曇り、月も見えない。暗い道を歩き続けてミネットが家に帰り着く頃には深夜0時を回っていた。  鍵を開けて部屋に入るといつもは点いている玄関前の明かりが消えている。電球が切れたかとスイッチを押すと簡単にオレンジ色の明かりが点く。  部屋中が静寂で満ちている。胸騒ぎがした。ベッドルームへ向かうとそこにはジュンの姿がなかった。おかしい。いつもならひとりでちゃんと留守番をしているのに。  ふとイドリーたちの嘲笑う顔と声が頭をよぎった。  嫌な予感にミネットは家を出て街中を探し回る。公園、学校、ジュンの行きそうな場所は全部探したがジュンの姿はどこにもない。諦めかけて普段はあまり行かないようにしているごみ捨て場の前を通った時、ゴミ袋が小さな音を立てた。その音を聞き逃さないように物音を立てずごみ捨て場の中を歩き回る。聞き間違いだったのかもしれない。そう思いながらもごみ捨て場の奥へ奥へと進んでいくと小さく動く何かがそこにいた。 「ジュン……!」  口と鼻から血を流し浅い呼吸を繰り返すジュンがまるでごみのひとつのように捨てられている。ミネットはジュンを抱えるとトラップの病院へ走った。いつもの誰もいない受付の前を走り、奥の診察室へ入る。 「先生、助けて……ジュンが!」  トラップもジュンの異常な怪我に驚きつつも落ち着いて処置をはじめた。 「おそらく内臓も傷ついている……うちには最低限の設備しかないから、もう少しちゃんとした病院に連れていく方がいいだろう」  最低限の金はあるが、病院へ連れていく金はなかった。ミネットは人気の娼夫だが高級娼夫ではない。日に二、三人の男に抱かれ日銭を稼ぐことで精一杯なのだ。  さすがに金銭的な面までトラップには頼れないだろう。ふと、なにかと自分に執着するイドリーの顔が浮かんだ。イドリーに頼めばもしかすると金を貸してくれるかもしれない。どれくらいか分からないが、しばらくタダ働きしたらいいだけのことだ。  イドリーは今日事務所にいた。まだいるかもしれない。  ジュンに怪我をさせたのはおそらくイドリーの下っ端だろう。しかし、今金を工面するためにはイドリーに頼るしかない。 「トラップ先生、ジュンを病院に連れて行って。金は、俺が何とかする」  ミネットはトラップにそう伝えると走って事務所へ向かう。

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