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41.探偵と刑事と暴威・一

 ベルジュラックが麻酔から目覚めたとき、そこにいたのはラクロワだった。  ベルジュラックの視界は、はじめはぼやけていたが、次第に映るものの形を成すようになる。目の前で自分の顔を覗きこむラクロワの表情を見て、ベルジュラックは微笑みを浮かべた。いつも冷静なその顔に浮かぶ苦痛や安堵の表情が、光を放っているように見える。 「大丈夫か、ジャン」  ラクロワがそっと尋ねると、ベルジュラックはうなずいた。 「ぼくは大丈夫だ」  声がかすれている。痛みは感じなかった。 「来てくれてありがとう、ヴィクトル」 「当然だろう」  ラクロワはベルジュラックの手を握る。 「でも、おれはすぐに出ていく。一人で静かに休めよ。……ストライカー警部が話を聞きたがってるけど、あとにするよう頼んでくるから」  閉じそうだったベルジュラックの目が開いた。ラクロワを見上げ、首を横に振る。 「ぼくは大丈夫だ。警部に入ってきてもらおう」 「だが……」 「平気だよ、ヴィクトル。ありがとう」  そう言って微笑む友人の顔をまじまじと見つめたあと、ラクロワはうなずいた。ベルジュラックの手をもう一度握り、椅子から腰を上げる。  戻ってきたときには、ストライカーを連れていた。警部は無表情だった。  ラクロワもストライカーも座らなかった。警部は無表情のまま、しげしげとベルジュラックを見て、尋ねた。 「具合はどうですか?」 「大丈夫です。痛み止めも効いていますし、医者から聞きましたが、致命傷ではない。しばらくおとなしくしていたら治るでしょう」 「では、しばらく事件のことをお尋ねしても?」 「かまいませんよ」  ここからしばらく、ストライカーが当時の状況を確認し、ベルジュラックがそれに一つひとつ答えることが繰り返された。すでに聞いていることを繰り返すストライカーに、確認は大事だと知りながらも、ラクロワはベルジュラックの負担になると思い何度か中断を頼みそうになった。  ベルジュラックは落ち着いていて、疲れていたが、淡々としていた。  ストライカーが尋ねた。 「刺されたんですね?」 「ええ」 「誰に刺されたか心当たりは?」 「おそらく、エクス・エクスかその部下かと」 「なぜそう思うのですか?」  ベルジュラックは唇にかすかな笑みを浮かべた。 「それ以外に思いつかないからですよ。ぼくの持ち物で盗られたものはないし、部屋も荒らされていない。だとすると、純粋にぼくを傷つけるか、殺したかったに違いない。手当たり次第の変質者かもしれません。だが……エクス・エクスが、彼のことをよく知るぼくを邪魔に思ったのかもしれない、という気がするんです。勘ですが」 「エクス・エクスはサー・ジャックの件の犯人だ。それで、あなたがヤードと協力していることを不安に思ったのかもしれない。あり得ることだ。エクス・エクスが怯えるような情報を、あなたは持っているのですか?」 「そのような情報は持っていない、と思うのですが」  ベルジュラックは静かに言った。ストライカーの鋭い視線が食い込んできても、彼はおかまいなしだった。 「重要な情報を持っているとは思えない、というわけか」ストライカーがつぶやいた。 「だが、刺された。そこは確信があるわけだな?」 「ぼくの思い違いかもしれない」  ベルジュラックはやんわりと言った。 「本当はただの変質者かもしれない。行方はわかっていないんでしょう?」 「ああ」 「探していただいてるんですよね?」  ストライカーの目が光る。 「それについて、あんたにちょっと訊きたいことがあるんだがね。あんたを刺したやつは、ほんとに――」 「ウィルクスさんは、今どこに?」  ベルジュラックが静かに尋ねた。ストライカーは目の前の、青白い顔をじっと見据えた。 「ウィルクスはミスター・ハイドの病室にいる。あんたと同じ、ここの病院だよ」 「呼んできていただけませんか?」 「なに?」 「伝えたいことがあるんです。呼んできてください」  警部はしばし黙り、そっけない口調で口を開いた。 「彼が顔を合わせたいと思うかな?」 「ぜひ来てほしいと伝えてください。大事な用事です。二人っきりにしてほしいとは言わない。あなたたちがいる前で会いますよ」  ストライカーの口がへの字に曲がる。だが、しばしぎょろぎょろした目で眼下の男を見下ろしたあと、「わかったよ」と言った。 「呼んでくる」  そう言って腰を上げると、ストライカーは部屋から出た。  ラクロワは閉まった扉を見つめたあと、友人のほうを振り向いた。 「ヴィクトル」とベルジュラックは言った。 「ウィルクスさんは、どんな様子だった?」 「え……? きみが刺されてからか?」 「ああ」 「なんだか少し動揺していたみたいだ。顔色が悪かった。でも」  ラクロワはむりに笑顔を見せた。 「ハイドさんのそばにいるから、今は少し落ち着いたかもしれない。きみも危ないことにはならなかったわけだし」 「そうだな」  ベルジュラックはうなずいて、目を半ば閉じた。  ウィルクスがストライカーに連れられて病室の中に入ってきた。傍目にもわかるほど青ざめて、苦しそうだった。それでも、いつもの凛々しい顔つきを保っている。ウィルクスは自制しているように見えた。  ラクロワは、動揺を押し殺して落ち着きをもとうと振る舞うウィルクスを見て、称賛する気持ちになった。勇敢な人だと思う。ラクロワは単に、ウィルクスがショックを受けているのは、「知人が自分の去ったあとに襲われたから」だと考えていた。ラクロワはウィルクスと知り合った当初から追い詰められている彼しか知らず、だからウィルクスがその程度で動揺するような人間ではないとは知らなかった。今度のことも、単に動揺しているだけだ、パートナーが傷つけられ、ベルジュラックが害されて、ショックを受けているんだというふうにとらえてしまったのだ。  ウィルクスはベルジュラックの前に立った。パーカーのジッパーをまた、胸まで上げている。「ベルジュラックさん」と名前を呼んだ声は、一見静かで落ち着いているようだった。 「具合はいかがですか?」 「大丈夫ですよ、ウィルクスさん。心配しないで大丈夫です」  ベルジュラックが意識して明るい声を作ったので、ウィルクスは騙された。心臓が飛び跳ねていたのが、少しおさまる。ベルジュラックに真実を告発されるかもしれないと思って怯えていた。だが、どうやら本当にその心配はいらないらしい。 「ウィルクスさんは、大丈夫ですか?」  ウィルクスは身じろぎした。思わず、背後にいるストライカーとラクロワのほうを振り向いて彼らの表情をうかがいたくなる。 「大丈夫って、なにがですか?」  そう尋ねると、ベルジュラックは気がかりそうな顔をした。

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