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4.探偵と刑事と武器△

「アラン・ドロンはやっぱりハンサムだなあ」  『太陽がいっぱい』を観ながら感心してつぶやくシドニー・C・ハイドの隣で、エドワード・ウィルクスはもじもじしていた。それに気がつき、ハイドはホット・ワインのカップを口から離して恋人の青年のほうを見た。 「トイレに行きたいなら、止めるよ」  リモコンに手を伸ばしながら言うと、ウィルクスは目を伏せて「違いますよ」とぶっきらぼうに答える。 「でも、そわそわというか、もじもじしてないか? もしかしてアラン・ドロンに嫉妬?」 「しませんってば」  つっかえすように答えてウィルクスもホット・ワインをあおった。そう、と微笑んで答え、ハイドももう一口飲む。映画は眩しい夏の海、二人の青年がヨットの上でカードの勝負をしている場面になっていた。ハイドはすでにもう何度もこの映画を観ていたが、それでもなおサスペンスの盛りあがりに惹きつけられる。彼は画面を注視した。ウィルクスは両手で包んだカップを揺すり、所在なげに一口飲んだ。 「……あの、ハイドさん」 「ん?」  映画から目を逸らさず答えるハイドのほうを向くと、ウィルクスは決然と口を開いた。 「あの……ば……バイブ、買おうと思うんですけど」  ハイドは隣を振り向き、まじまじとウィルクスの顔を見る。年下の恋人は眉を吊り上げ、耳まで赤くなっている。ハイドは首を傾げた。 「買ってどうするんだ?」  予想していなかった質問にウィルクスはますます赤くなり、ますます怒った顔になった。 「どうするって……つ、使うに決まってるじゃないですか」 「だれが?」 「あなたに使わせてくれるんですか?」  きみは好きじゃないと思ってたよ、と目を輝かせて言うハイドにウィルクスはだんだんいたたまれなくなってきた。年上の恋人の反応に、この人経験者だな……とひしひし感じる。ハイドは二十代の半ば過ぎで妻と別れて以降、つい最近ウィルクスとつきあうようになるまで女との性行為を絶っていたそうだ(彼は異性愛者なので男との行為もない)。しかし結婚より前となると(ウィルクスの察するところ)経験豊富なようである。十五年くらい前にも大人の玩具はあったのかな、とウィルクスはカップの中を覗きこみながら思った。 「どれを買うんだ?」  そう尋ねて急に身を乗りだし、もともとあまりない隣りあわせの隙間を埋めてくるハイドに、ウィルクスは妙に焦った。ソファの上に置いたスマートフォンを手探りで取り、ネットのページを開く。ハイドはリモコンで映画を一時停止させた。  あたりが無音になり、ますますいたたまれなくなりながらウィルクスはスマートフォンをおそるおそる差しだした。 「これ、どうですか?」 「どれ?」  ハイドはスマートフォンを受けとると、(老眼のため)目をこらして画面を見つめた。 「これ、バイブなのか? なんだか可愛い形だな」  感心したように言って、勝手に別の商品を調べはじめる。これは? とスマートフォンを差しだされ、覗きこんだウィルクスの表情がなくなった。 「……これ、形がモロじゃないですか……」 「いかがわしくていいかなと思うんだが」 「これを家に置きたくないです。あの、もうちょっと……その、おしゃれじゃなくてもいいですが、グロくないやつにしましょうよ」 「そうだなあ……。ところできみが選んだやつは、バックでも使えるのか?」  ウィルクスの目が泳ぎはじめた。 「はい。このサイト、ゲイ向けの商品ばっかり扱ってるので」 「なるほど、そういう店があるのか。それはそうだな。じゃあ、きみが欲しいやつを買おう。プレゼントするよ」 「い、いいですよ。そんなの」 「遠慮しないで。あとはなにがあるんだ? ……あ、これは? アナルプラグってなんだ?」 「……入れておいて、拡張とかに使うんじゃないですか? おれもよく知りませんよ。想像です」 「じゃあきみには必要ないな。もうじゅうぶん拡がってるから。……痛い痛い」  力を込めて頬をつねられながら、ハイドは恋人の頭を撫でた。ウィルクスの目はうるんでいる。ハイドの心の中の狼が舌なめずりしたが、彼本人はのんきに別のページを見ていた。 「この、ボールが繋がってるみたいな形のやつもバイブなのか? これも愉しそうだな。買おう」 「待ってください。使うのはおれなんですよ。見せてください」  ウィルクスが画面を覗きこむとハイドがさらにくっついて頭を寄せてきた。ふいに年上の恋人の匂いが漂い、ウィルクスは一瞬のあいだ朦朧となった。かすかに首を振って画面を見つめ、やはり表情をなくす。 「……こんなの体内に入れたらどうなるんですか?」 「でこぼこしてていいんじゃないか? きみは中にいっぱいポイントあるし。これもプレゼントするよ」 「プレゼントはいいです。そうやって外堀を埋められたら使わざるをえなくなるじゃないですか」 「いや、むりして使う必要はないんだよ。置いておいて、気が向いたら……これは?」 「ナース服なんて着ませんよ! ……ナース服を見たら思いだすんですよね。知り合いのナースが、自分の職業を言ったらコスプレ用のエロいナース服の話を頻繁に振られることにキレてましたよ。こっちはゲロ吐きかけられるのに冗談じゃないわよ、って言って」 「看護師さんは仕事大変だろうね。……エド、動揺してるのか?」  ウィルクスは隣を振り向き、睨みつけようとした。しかしハイドの顔が思っていた以上に近く、心臓が口から出そうなほど鼓動が跳ねた。ハイドはまじまじと彼を見返す。 「きみの口数が多くなってるときはたいてい動揺しているときだからね。じゃあ、ナース服はやめようか。こっちの下着は?」 「これ、ケツに穴開いてるじゃないですか……」 「日常的に着てほしいとは言わないから。……でもこれがあれば中にリモコン操作のバイブを入れて日中過ごしてもらうこともできる気がする……」 「しませんよ。AVみたいなこと考えないでください」 「そうだね、もういい歳だし」  あっさり言うと、ハイドはスマートフォンをウィルクスに返した。ウィルクスは受けとり、そこから視線を離しがたいかのように画面を見つめている。 「じゃ、じゃあ……」目を伏せたまま彼は低い声でつぶやいた。「買っておきますね」  うん、と優しい笑顔で答えた恋人にウィルクスは甘い殺意を覚えた。 「エド」  ふいに名前を呼ばれ、ウィルクスが我に返ると唇に柔らかな感触を感じた。キスされ、彼は目を閉じたが、ハイドが身を乗りだし舌先をすべりこませてこようとするので、思わず逞しい胸元を片手で押した。ウィルクスは目を伏せ、ごにょごにょ言った。 「だめですよ、まだ三時だし……」 「大丈夫、大丈夫」 「あなたの大丈夫はどこが大丈夫なのかよくわからないんですよ。映画の続き、観ましょうよ」  たしなめられ、明らかにしゅんとした年上の男にウィルクスの鼓動は高鳴る。頭の正常な部分は「甘やかしちゃだめだ」とつぶやく。もう一方で、この男に恋している彼の心がささやいている。もっと焦らしたい。ウィルクスはわざとなにも感じていないように、ハイドの飲みかけのカップを手に取った。 「お代わり、いりませんか?」 「ありがとう、もらうよ」  ウィルクスはうなずいてソファから立ちあがる。キッチンに向かう前にちらりとハイドのほうを振り向くと、年上の恋人は一時停止された映画の画面をぼんやりした目で見ていた。  鍋でホット・ワインを温め直し、グラスに注いで戻るとハイドはやはり同じように画面を見ていた。ウィルクスが隣に腰を下ろすと、ハイドは彼のほうを向いてにこっと笑った。 「大丈夫ですか?」  カップを渡しながらウィルクスが尋ねると、ハイドは微笑んで首を傾げる。 「大丈夫だよ。でも、なにが?」 「ハイドさんって」ウィルクスは目を細めて彼の目を見返した。「おれに『待て』されるの、慣れてないですよね」 「そうだな」あっさり認め、ハイドは湯気のたつ液体に息を吹きかけた。ウィルクスは微笑む。 「あなたは狼ですが、これからは厳しく躾けますからね」 「決して誰からも躾けられないのが狼の狼たるゆえんなんだがね」  そう言って笑ったハイドの目は欲情と寂寥に深く澄んでいた。ウィルクスは目を閉じ、男の唇にそっと口づけた。ハイドはワインをこぼさないように微動だにしなかった。息を止めて唇を押しつけたあと、ウィルクスは静かに離れた。 「自由なあなたが好きです」彼はささやいた。「しっぽ振ってついてきて、目を輝かせながら喉を噛み切るあなたが好きだ」 「じゃれてるだけだよ」 「いいえ。殺しましたよ」  ハイドが唇を押し当てるとウィルクスは目を閉じた。口を開け、触れあう二人の前で、映画はずっと同じ場面で止まっていた。 「これからうちに来ないか?」  ハイドが言うと、ウィルクスは彼が危なっかしく持っているホット・ワインのカップを取ってテーブルに置いた。 「うち、ローターあるんだ」  ウィルクスは目を丸くする。眉を吊り上げ、頬骨のあたりがうっすら赤くなった。 「なんで持ってるんですか」 「二年くらい前に依頼人から、とある事情でもらった。新品未開封だよ」 「まだ三時ですよ」 「映画の続きを観て、夕飯の買い物をしながら行けば夜だ」  怒った顔のままウィルクスは目を伏せる。ハイドが覗きこんでくる。彼は人差し指の関節で恋人の頬を撫でた。ウィルクスは目を伏せていたが、視線を上げた。濃い茶色の瞳でじっとハイドの目を見て言った。 「いいですよ。それまで我慢できるなら」  はめられたな、とウィルクスは思った。ハイドは首を傾げ、うれしそうに笑った。 「きみは我慢できる自信があるのか?」 「おれは我慢強い。きっとあなたより」 「そうだな。だが、快楽には弱い。けだものよりも」  無邪気に言ったハイドを睨み、しかしそれでもウィルクスは微笑みを浮かべる自分を抑えることはできなかった。唇の端が震えた。 「あなたは全然、そんなふうに見えませんよ。ときどき死にたくなることも、やらしいことをしてるあいだは、忘れてくれますよね?」  え? ハイドは問い返して笑った。  ウィルクスは目を細めて男の瞳を見つめ、バイブレーターはこの人を守るための武器なんだなと思った。その発見の滑稽さに気がついたとき、彼は思わず素直に笑い返していた。

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