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探偵と刑事と対の顔・二△

 ハイドはもう一度恋人の頭を撫でると、彼の脇腹を両手で抱えて膝立ちにさせた。ウィルクスが腰を伸ばすと、スウェットパンツの股間は下から押し上げられて、布が張っていた。ハイドは飢えた目でそれを見つめ、かすかに口角を上げて、パンツのウェストに手を掛けた。 「脱がせるよ。いいね?」  ウィルクスは壊れた人形のように首を一度縦に振った。刑事をしているときの凛々しい顔はとっくに崩れ去り、そこに浮かぶのは欲情でただれた無残な残骸だった。 「……すごく助平な顔してるよ、エド」  ハイドがささやくとウィルクスは眉を吊り上げようとした。しかし眉間に皺が寄り、彼は泣きそうな顔で「あなたも」と微笑んだ。年上の男の目が据わりはじめている。ウィルクスはそれを見ず、すぐ目を伏せた。ハイドはスウェットパンツと下着に手を掛け、ゆっくり引き下ろしていく。思ったとおり、昂ぶっているもののためにスムーズに下ろせない。丁寧に絡まった下着を伸ばし、ゆっくり下ろしていく。膝まで下ろすと、ハイドは外気にさらされた目の前の男の印をじっと見つめた。ハイドと関係をもつようになるまで、そしてなってからも、ウィルクスはその場所を道具として使ったことがない。若々しく、色がきれいで、ハイドは恋人の分身をじっと見つめた。見下ろすウィルクスの耳に血がのぼり、首筋まで赤くなる。ぴりぴりした欲情の痛みが皮膚を焼いた。 「きみのここは、ヴァージンなんだね」  低い声のささやきと眼差しに、ウィルクスの腰がかすかに揺れた。 「正直に言うと、意外だったよ。きみはバイセクシャルで、女性とはつきあったことがあると言っていた。すごくまじめで、すごく奥手だったんだね。可愛いよ、エド」  ハイドは静かにささやいて、目の前のそり返った性器の頭に口づけた。ウィルクスの腰と肩が跳ねる。ハイドが音を立てて湧き出る先走りを吸っても、蜜はあとからあとから溢れてきた。彼は口を離し、据わった目で微笑んだ。 「もう、玩具を使ってみるか? それとも、もうちょっとほかのところで気持ちよくなってからにしようか?」  ウィルクスはひたすら自分の勃起した性器を見下ろしていた。あらわに昂ぶり、次々と蜜が溢れだすそれを見ているのは苦痛だったが、恋人の目を見るよりはましだと思った。彼は変わってしまった肉体の一部を食い入るように見つめながら、かすれた低い声でつぶやいた。 「え?」  ハイドが尋ね返すと、ウィルクスは軽く首を横に振って、急にハイドの目を見つめた。焦げ茶色の瞳の予想以上の惨状に、ハイドは胸がむかつくほどの興奮に駆り立てられる。 「お、おれ……は……」ウィルクスは目を逸らして、すすり泣くようにつぶやいた。「お、おれの中、今日は、ちゃんときれいにしてるんです……」  飢えた眼差しとはかけ離れた微笑みを唇に浮かべ、ハイドは恋人の腰に両手を添えた。顔を見上げて、「しようか」と言った。ウィルクスはうなずいた。  彼の体をソファに横たえ、腰の下にクッションをあてがって、ハイドは玩具にローションを塗りたくった。淡い紫色が生々しく脂ぎったように光る。 「まず、慣らしたほうがいいかな」  ハイドがつぶやくと、ウィルクスはまだ上半身に身につけているスウェットの裾を両手で握りしめたまま、「もう、してあります」とつぶやいた。ハイドはにっこりする。 「さすが有能な刑事くんだ。準備がいい」 「やめてください」ウィルクスはなんとかハイドを睨みつけようと努力しながら、震える唇で言った。「おれは、今は淫乱なほうのエドなんです。……刑事のおれは、わ、忘れてください」 「そうだったね」ハイドはうれしそうだった。ローションを塗り終わったバイブレーターを手に持ち、先端で軽くウィルクスの閉じた後孔をつつく。「じゃあ、入れるよ。できたら、両脚を自分で抱えあげててくれないか? ……そう。いい子だね」  紫色の頭が秘所を擦り、ゆっくり門をこじ開けて中に踏みこんできた。ウィルクスは体から力を抜こうとするが、自分で膝の裏に手を入れて、両脚を抱えあげているためうまく力が緩められない。それでも、ハイドは待った。中に入っているものはまだ振動していないが、それでも咥えこみ、柔らかな感触が壁を拡げて襞に接しているというだけで、ウィルクスは腹の奥に熱と快楽が広がっていくのを感じる。  ハイドはゆっくり、少しずつ玩具を中に埋めていった。途中、枝のように別れたちいさなでっぱりがあり、それを押しこまれたときだけウィルクスはうめいた。あとは荒い息をつき、それでも声は立てないまま、ひたすら腹の奥を緩めるために力を抜こうとしていた。ハイドは挿入を進めながらウィルクスの頭を撫で、手に手を重ねた。キスも軽く触れるだけで、煽るよりも慰めるように愛撫をほどこしていく。  痛々しいまでの期待と恐怖で、ウィルクスの顔はこわばっていた。ハイドは玩具をむりのないところまで埋めると、両脚のあいだから恋人の顔を覗きこみ、両脚を律儀に抱え続けているままの彼の手に手を重ね、落ち着いた声で言い聞かせるようにささやいた。 「念のために、合図を決めておいたほうがいいと思うんだ。本当に嫌で、やめてほしいときに使う合図を。きみが嫌だとか、やめてと言ったら、ぼくはもちろんやめて、大丈夫かきみに訊く。でも、この言葉を口にしたら絶対にその場でやめる合図を決めておこう。『クリス』はどうかな。ぼくのミドル・ネームだ。それを言ってくれたら、どんなことをしていても必ずその場でやめる。……ぼくの言うこと、わかってくれたか?」  ウィルクスはぼんやりした目でうなずいた。すでに腹の中がいっぱいで、それだけでなく、小さなでっぱりが異物感と同時に快楽の芯をじわじわと刺激してくる。少し体を動かしただけで、孕んでいるものが流れだしそうになる感覚に圧倒され、ただひたすら同じ格好で固まっていることしかできなかった。  恋人のその様子に、ハイドはさらに慎重になることにした。今の時点でウィルクスがどんなに興奮しているのか、どれだけ危ういところで踏みとどまっているのかが、痛いほど感じとれた。期待に押し潰されそうになりながら、赤くなった頬と虚ろな目で天井を見上げているウィルクスが、ハイドの目にはすこし少年に見える。  恋人同士になって肉体を重ねていても、最初のうちはそんなことは思わなかった。ただ回数を重ね、ウィルクスのタガが緩んで彼が性悦に没頭しはじめたころから、ハイドはなんとなくウィルクスが行為のときだけ少年に退行しているように見える。思春期の夜、性に翻弄される頼りない少年のようだ。  怯えているくせに快楽でめちゃくちゃになりたいと望んで、助けてくれる誰かを待っている。もうどうなってもいいから、無条件に受け入れてほしい、甘えたいという切実な貪欲さが開花している。  それなら助けてあげるよとハイドは思う。 「じゃあ、スイッチを入れるよ。いちばん弱くするから、だめだったらすぐ言うんだよ」  ハイドが言ってもウィルクスは聞いているのかいないのか、あいかわらず天井を見上げたまま虚ろな目でうなずくだけだった。ハイドは彼の膝を軽く叩くと、そっとバイブレーターのスイッチを入れた。  かすかなモーター音が聞こえたと同時に、ウィルクスの体が跳ねた。バネが切れたように上半身がのけぞり、ハイドは一瞬あっけにとられた。ウィルクスは壊れた玩具のようにのけぞり、両足をつっぱって腰を一瞬だけ浮かせた。 「っひ、ひっ!」  短く声を漏らし、両手を握りしめる。振動が粘膜に伝わり、柔らかな壁に伝わり、それは狂った力となってウィルクスの腹の奥に突き刺さった。直腸全体が振動し、内臓が剥がれるような感覚に襲われる。しかしそれは苦しみと同時に、彼にとっては強烈な快感だった。性器は半ば昂ぶり、半ば萎え、泡が立ち糸を引いて愛液を垂れ流している。彼は脚を大きく開いた。 「うぁ、うぁ、うぁっ」  嬌声というより驚愕の悲鳴のような声を漏らし、ウィルクスは腹の奥を締めつけた。これ以上動いてほしくないためにとっさにそうしていたが、そのためによけい振動が腹に伝わった。ハイドはバイブレーターをつかみ、少しだけ手前に引いた。そのぶん腹の中の圧迫感がほんのかすかだけましになり、ウィルクスは少しだけ現世に戻ってくる。爪先をソファの座面につっぱり、腰を浮かせた。腹の中が震えるだけで、頭のてっぺんから爪先まで振動が伝わる。彼は涙をぼろぼろこぼし、目が上を向きかけていた。  手前に引きながら、ハイドは軽い力で中に埋められたでっぱりで、ここではないかと思うところをそっと押しあげてみた。案の定、ウィルクスの体が海老のように跳ねる。内腿が激しく痙攣し、腹の奥から噴出するオーガズムの波に叩きのめされて、彼はまた腰を浮かせた。 「ううう、うっ、うっ」  歯を食いしばっているが、急に口がだらりと開いて、彼は声帯を痙攣させるようにして喘ぎを漏らした。突起が震えながら急所に押しつけられるたび、一瞬一瞬の単位で意識が飛び、目の前が白くなる。死ぬ、とウィルクスは心の中で悲鳴をあげた。しかし、もしそうなったとしてもふしぎと怖くない気がした。のけぞるたびに、両脚のあいだで性器が跳ねるように揺れる。彼は咥えこんだものを締めつけ、締めつけるたびに腹の奥が快楽と固く絡まりあって、ひどく震えた。  ウィルクスが過呼吸になりそうなことに気がついて、ハイドはスイッチを切り、一度玩具を引き抜いた。秘所から透明の液体が漏れ出てくる。年下の男は真っ赤な顔で目を閉じて、長い睫毛が震えていた。口の端から唾液が垂れ、糸を引いている。ハイドがそっと覗きこむと、恋人の腹は白濁した液体で濡れていた。  それでも萎えていないことに、ハイドの胸に突き刺さるような愛おしさが兆す。同時に鋭い情欲が彼を刺した。刺激を与えることを心配してウィルクスに触れないように気をつけたまま、ハイドはささやいた。 「エド、すまない。苦しかったかな。もう、やめるか?」  ウィルクスはまぶたを開けると、情欲の熱で曇った目を恋人に向けた。彼の声はひどくかすれて静かだった。 「ま、ま、まだ……」ウィルクスは胸を上下させながら苦しげに言葉を漏らした。それでも目はハイドを見ようとしていた。「まだ……」 「バイブは、やめておくか? もうちょっとソフトな刺激にしておいたほうがいいかな」  ウィルクスの目はまた一瞬虚ろになったが、すぐに現世に戻ってきた。涙と唾液で濡れたまま、緩んだ表情で微笑む。それでもなにも言わなかった。  ハイドはしばらく年下の男の微笑を見つめ、汗ではりついた短い前髪を掻き上げて、彼の唇に口づけた。しばらくお互いに夢中になって相手の口の中を愛した。自分のものではない肉の塊に欲望を募らせ、飲みこむように交わりを深くする。口の中は熱く、熱は混じりあって、二人の口の中は同じ温度になる。そうなったように、ハイドもウィルクスも感じた。  かすかな音を立てて唇を離し、ハイドは恋人の髪を手で撫でる。欲情し、だらしなく緩んだウィルクスの顔がハイドにはとても淫らでいやらしく見えた。卑猥で美しく、どこか安らかだった。彼はウィルクスの頭を撫でて、やや上擦った、それでも穏やかな声でささやいた。 「土産があるんだ。バイブを買おうかって話していたときに、うちにはローターがあるんだと話したね。あれを持ってきたよ。小さいし、振動も強くないから、それをきみの望むところに当てようか。ゆっくり、きみのペースで大丈夫だから、いっしょに気持ちよくなろうね」  ウィルクスはまだ微笑んでいたが、やがて静かにうなずいた。 ○  結局、この日はハイドのものを挿入するには至らなかった。挿入しようとしても、少し埋めただけでウィルクスはいつも以上に過剰に反応した。呼吸が荒くなり心拍数が上がって、過呼吸どころか腹上死するのでは、と懸念されるほど興奮するので、ハイドは挿入を見合わせることにした。バイブレーターの刺激のせいで、ある意味挿入がトラウマになってしまったのではないかとハイドは心配になった。 (確かにその日はそうだったが、この日以降はウィルクスもまた挿入を受け入れられるようになり、最終的に、バイブレーターも刺激が強すぎなければ愉しめるようになった)  だからこの夜はなるべくゆっくり、刺激も強すぎない程度に愉しむことにして、二人はじゃれあうように愛しあった。場所も寝室に移し、ハイドが持ってきたローターをウィルクスの乳首に当てて(性器に当ててみたら、それでもやっぱり刺激が強すぎるようだったので)、キスをしながらお互いの男根を擦りあわせて、悦びを分けあった。  彼らは初めていっしょにベッドに入ったときのことを思いだしていた。ハイドはヘテロセクシャルで、男と性交渉をもったことがなかった。ウィルクスはバイセクシャルだったが、ハイドが初めての男の恋人だった。そのときは二人とも、知識もほとんどなく、女相手の行為が参考になるにしても、経験は皆無だった。だから挿入するかしないかはゆっくり考えようと言いあいながら、互いにそのときできる悦びを分けあおうとした。そのことを思いだして、二人はひどく懐かしく、自分たちが遠いところへ来たような気もし、しかしなにも変わっていない気にもなるのだった。 ○  やがて行為のあとの抑鬱もけだるさと眠気に紛れはじめたころ、ベッドに寝そべったウィルクスがつぶやいた。 「クリス」  ハイドはおどろいて恋人のほうに寝返りをうち、その顔をまじまじと見つめる。いつもは威圧感のあるウィルクスの凛々しい面立ちが、情事のあとは和らいで見える。ハイドはどちらの顔も好きだった。最中の、乱れきっているときのだらしない顔も好きだった。ふいにそのことを目の前の男に伝えたい衝動に駆られ、しかしハイドは黙って恋人を見つめた。 「クリス、って」ウィルクスは声をひそめてささやいた。「初めて呼びましたね」 「そうだね」ハイドは微笑みを浮かべる。「その名前を呼ぶ人間はめったにいない。というか、皆無だな。家族さえ呼ばないよ。親父が、男児はみんなミドル・ネームを持つべしという一族の伝統にのっとって、適当につけたんだ。たしか父方の曽祖父の、さらに父親がクリスというミドル・ネームだったらしいんだが」  あんまり興味はないんだよと言ったハイドに、ウィルクスはかすかに微笑む。毛布の中で手を伸ばして、同じように毛布の中にいるハイドの手をそっと握った。 「おれの中に二人のエドがいるとしたら、あなたにとって、クリスさんはどんな人なんですか?」  ハイドは考えるふりをしたが、答えは決まっていた。 「冷たくて、利己的で、邪悪で、一途な男だよ」  そう答えると、ウィルクスはしばらく虚空を見つめた。それから手を伸ばして、ハイドの頬に触れて言った。 「どんなおれでも絶対に嫌いにならないあなたはちょっと怖いけど、それは、きっとクリスさんなんですね」  そうだね、とハイドは言った。ウィルクスは目を細め、年上の男の唇に指先で触れてささやいた。 「おれは、シドもクリスも好きです」  ハイドは唇に触れる指を咥えた。舌で絡めとり、クリスになったつもりで、少しだけ力を込めて歯を立てる。かすかに顔を歪めたウィルクスの表情に肉体の芯が昂ぶった。ハイドは自分の中に、悪しき己の顔を感じる。  顔を歪めた恋人の目はいつもと違う輝きを放っている。それに気がついたとき、シドニーはクリスに感謝していた。

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