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9.探偵と刑事とバカンス△
「マンネリか?」
居間のソファに座ってスマートフォンのメールをチェックしていたエドワード・ウィルクスは、はじめ話しかけられたことに気がつかなかった。声がいつもよりさらに低くて、かすかだったのだ。しかし隣に腰を下ろす気配を感じて、彼は顔を上げた。
「はい?」
結婚相手である年上の男、シドニー・C・ハイドは両脚を伸ばしてソファの背もたれにもたれかかり、半ば目を閉じたままウィルクスのほうを向いて、「マンネリかな」ともう一度言った。
「なにがマンネリなんです?」
膝の上にスマートフォンを置いてウィルクスはハイドに向き直る。やや沈黙があった。ハイドは頬をかすかに赤く染め、うるんだ薄青い目でパートナーを見つめる。首を傾げて、「マンネリ……」とつぶやく。
「マンネリがどうしたんですか?」
街角で酔っぱらいを介抱するときのように、ウィルクス刑事は優しく尋ねた。ハイドはまた沈黙した。大きな両手を腹の上で組んで、虚空を見つめ、それからウィルクスのほうに視線を向け直す。
「ぼくと寝るの、もう飽きたかな」
ウィルクスは相手の顔を見つめたまま黙り、ややあって言った。
「歯磨きして眠ったほうがいいですよ、シド」
「ぼくとのセックス、マンネリだと思ってるか?」
思ってませんよ、と答えて、ウィルクスは水をもってくるため立ちあがろうとした。ハイドが彼の手首を握って引き留める。訴えるような目で年下の青年を見つめて、ぽそっと言った。
「さっき断った……」
ウィルクスは眉を吊り上げてソファに座り直し、ハイドの膝を手のひらで軽くたたく。
「風邪気味だからって、言ったでしょう?」
ウィルクスが優しく言い聞かせる口調で言うと、ハイドはこくっとうなずいた。しかし引かなかった。
「でも」力強くそう言って、彼は黒い眉をわずかに下げる。「同僚と飲みに行った……」
ウィルクスはぎくっとする。さすが私立探偵。なぜばれたんだろうと彼は思った。誘われたとき、ハイドも夜に約束があると言っていたから、連絡しなくていいだろうと思って(料理はハイドの担当なので、そういうときはいつも連絡していた)仕事帰りに刑事仲間四人でパブに行ったのだ。酒のにおいで気づかれたはずはない、とウィルクスは思う。なぜならハイドのほうがよっぽど酒臭いから。ウィルクスは風邪気味なのでビールを一杯しか飲まなかった。
探偵はアルコールの熱に支配された半眼のまま、「においが」と言った。
「ストライカーさんの煙草のにおいがする。きみと彼、職場のデスクは離れているが、パブで隣り同士だったんだろう?」
その事実からハイドが「同僚といっしょに飲みにいった」という結論を引き出してくれたことに、ウィルクスは密かに安堵を感じた。まさか浮気、と考えないところがハイドさんの明晰さだと、彼は心の中でのろける。探偵はパートナーの心のうちを知らず、膝に乗せられた手に熱い手を重ねた。
「同僚と飲みに行って、ぼくと寝るのは風邪気味だから断るっていうのは、マンネリ……」
ウィルクスはそっとハイドの手の下から自分の手を引き抜いた。明晰さと思ったが、本当に明晰な人間はそこからマンネリには行かない、と刑事は思う。彼はぐずる子どもをなだめるように優しく言った。
「マンネリなんて思ってないですよ。確かに同僚とは飲みに行きました。それもあってちょっと疲れたんです。今夜は早く眠って、風邪を治したいなと……」
「その気がないなら、もちろんむりにしなくていいんだよ」ハイドはもう一度ウィルクスの手をつかまえて熱弁した。「誰にだって、セックスを拒む自由も権利もあるんだから。マンネリじゃないなら、それでいい。ただ、ちょっと気になってしまってね。昼のテレビでセックスレスの原因について……」
「感化されたんですか?」ウィルクスは手をつかまれたまま呆れたように言った。「言っておきますが、おれたちは全然セックスレスじゃないですから。むしろ平均よりやってる気がします」
「そうかな」
ハイドは疑わし気につぶやいて、両手でウィルクスの両手を握った。それからパートナーの顔を見ると、焦点のぼやけた薄青い目を頑張って凝らそうとする。
「マンネリになったときは、ちょっと目先の変わったものを行為に入れるといいんだって」ハイドはテレビの内容を思いだしながら言う。「ソフトなSMに挑戦するとか。痛くないやつだよ。目隠ししたり体を縛ったり。あと、これは言ってなかったが、野外とかもいいと思うんだ。例えばベランダとか映画館とか……」
「はあ?」
頓狂な声を上げたパートナーに、ハイドはなぜかうれしそうな顔をした。ウィルクスは眉を吊り上げ、手を握られたまま「風紀を乱します」と言った。ハイドはにこにこしている。
「さすがお巡りさんだなあ」
感心したように言うので、ウィルクスはさらに眉を吊り上げた。
「お巡りさんであろうとなかろうと、しませんよ。周りの人間に動揺と不快感を与えますからね。猥褻罪です」
「きみのトロ顔が猥褻だとは思わないが……」
「惚れた欲目ですよ」
ウィルクスは怒った顔で言うと、ハイドの手から脱け出して彼の頬を軽くつねった。
「変なこと考えてないで、もうベッドへ行きなさい」
「きみも来てほしい」
「だめですよ、風邪が移りますから。おれは自分の部屋で寝ます。はい、立って」
腰をたたかれて、ハイドは立ちあがった。寂しそうな顔でウィルクスを見下ろし、「おやすみ」と言った。
部屋から出ていく大柄な背中を見送ったあと、ウィルクスはソファに寝転んだ。あのひとはときどき突拍子もない発想に頭がいくなと思いながら、ふと去り際の寂しそうな表情を思いだす。もしかしたら甘えたかったのかなと思ったが、まあいいかと考え直した。たまには厳しく接することも大切だ。ウィルクスはそう胸の中でうなずいてソファに横になったまま、目を閉じた。
ということで、彼はマンネリと野外という強烈な組み合わせの話をそれきり忘れてしまった。
けれども、ウィルクスが思う以上にその夜の酔っぱらいは感化されていたのだった。
○
車というのは個室だ、ということをウィルクスは午後二時過ぎの車内で発見した。その事実を意識したのは、運転席に座っているパートナーの存在を非常に近くに感じたからだった。ハイドは眼鏡をかけ、ギアを操作しながら片手でハンドルを握り、カラフルなショーウィンドウが並ぶ商業施設のあいだを縫って、ブライトンの街を走っていた。目指す場所は海岸のそばにある、ハイドの昔の依頼人がマナー・ハウスを改装して運営している豪奢なホテルだった。そのために朝から走っている。
運転席と助手席に並んで座って時間を過ごしていると、ウィルクスは隣にいる男の存在を痛烈に意識した。いつも残り香がしないように気をつけたうえで、ハイドがほのかにつけている香水のにおいを、彼がギアを操作するたびに感じる。そのにおいはハイドの肌のにおいと混ざりあい、冷えた空調のにおいと混ざりあい、ウィルクスを朦朧とさせた。カーオーディオからは彼がなんとなく聞いたことがある、ダークで官能的な曲調のヴィンテージ・ミュージックがかかっている。
「九月だが、まだ少し混んでるな」
サイドミラーを見ながらハイドが言うのを、ウィルクスはコーヒーショップでテイクアウトしたライム・ソーダを飲みながら聞いていた。氷はとっくに溶けて、水っぽくなっている。
「着いたら荷物を置いて、海を見に行こうか。パレス・ピアに行くのもいいね。遊園地なんか、もう二十年くらい行ってないよ」
ハイドはそう言いながらハンドルを切る。白いトイプードルを散歩させている、タンクトップとショートパンツにサングラスの若い女に道を譲り、車を停止させたあいだに、ウィルクスはハイドの肩をつつく。ハイドが振り向くと、ウィルクスは彼にブルーのセロファンにくるまれたミント・キャンディを手渡した。ハイドは菓子を口に入れ、ちらっと隣の席の青年を見た。
「ウィルクス君、車に酔ったか?」
「え?」
ウィルクスはつぶやいて微笑んだ。
「大丈夫です。ちょっと暑いから」
「日差しがきついな。エアコンの反応も悪くてね。今度、見てもらうよ」
そう言ったあと、ハイドは車を発進させる。ウィルクスは革を模した黒のシートに深くもたれかかった。本当は隣の男のにおいに酔っぱらいそうになっていた。体は溶けていきそうだった。触れていないのにハイドの体温を感じ、声の振動を感じ、呼吸を、気配を感じた。喉が上下する音すら聞いた気がして、身じろぎする。
ウィルクスはホテルに着いたあとのことを考える。海に行くのもいいし、パレス・ピアの遊園地もいい。それでもなににも増して彼の頭に浮かんだのは、広いベッドがある静かな部屋で新婚のパートナーと二人きりになれるという、魅惑的な光景だった。部屋はダブルで頼んだよ、とハイドは言っていた。結婚相手と行くと先方に言ってあるそうだ。世話になった私立探偵に向かって、オーナーは電話越しに上機嫌で祝いの言葉を口にした。
「さぞお美しい奥様でしょうなあ」
彼はハイドの結婚相手がやや強面の美男であることなど知らないのだ。
紹介してのお楽しみ、とハイドは気楽に言っていた。
ロンドンからは近場ですが、ハネムーンだと思って部屋は好きに使ってください、とホテルのオーナーは言ったらしい。それを聞かされたウィルクスは、ハイドよりも期待していた。
「ちょっと待っててくれるかな」
運転席から聞こえてきた声にウィルクスは我に返った。
ハイドは車を停めた。そこは灰色の石造りになった四階建ての建物の、裏手に面した駐車場で、他に二台、赤と黄色の車が停まっている。駐車場は半ば日陰になっており、ハイドの車も陰の中に停まっていた。駐車場の隣は淡いピンクがかった煉瓦造りの建物で、どうやら一階にベーカリーが、二階に古着とヴィンテージのアクセサリーを扱う店が入っているらしい。駐車場からほど近くに海岸が見えた。砂浜をそぞろ歩く、指先ほどのサイズの観光客やカラフルなビーチ・パラソルも見える。
「この駐車場の表側、灰色のこの建物だが、フランスの伝統菓子を売ってるケーキ屋なんだ。おみやげにシュークリームを買っていくよ。元依頼人のオーナーが好きだから」
そう言ってハイドはエンジンを切りかけ、助手席のほうを向く。ウィルクスは目を逸らしていた。
「エド?」
ハイドは尋ねて首を傾げ、青年の顔を覗きこむ。ウィルクスは目を逸らしたまま黙っていた。
「疲れたか?」
優しく尋ねられて、ウィルクスは首をのろのろと横に振った。ハイドは微笑んで言う。
「もうすぐホテルだから」
「はい」
「シュークリーム、きみのぶんも買うからね」
「はい」
「ホテルに着いたらどこへ行く? 決めておいてくれ。ブライトンは初めてだったかな?」
「いえ、前に仕事で、要請されて行きました」
「そうか。今回はプライベートだから、ゆっくり楽しんだらいいよ」
「はい」
「エド」
「はい」
「したいのか?」
ウィルクスはハイドの顔を見た。青い瞳とまともに目が合って、喉がおかしな音を立てる。ハイドは微笑んでいた。
「観察の結果、発見したんだが」手を伸ばし、ハイドはパートナーの左手をつかんだ。ウィルクスの顔を覗きこみ、静かに言う。「きみはしたくなるとぼくから目を逸らして、腕時計をいじりはじめるな」
ウィルクスは感電したように時計に触れていた右手を離した。その瞬間、ハイドの存在の厚みが爆発したようにウィルクスを圧倒した。声の響きと、熱と、においと、試すような瞳の輝きが見えないエネルギーとなって彼にのしかかってくる。ウィルクスは唇を結んで、抗うそぶりをした。ハイドが顔を寄せると、刑事は反射的に恋人の口を手で押さえた。しかし手のひらを舐められ、肩が跳ねてしまった。口を覆っていた手をハイドにつかまれ、ウィルクスはその手で自分が着ているグレーのパーカーの胸元をつかんだ。
ハイドにキスされて、ウィルクスは胸を波打たせる。彼の頭の中で、ちいさな陥落の音がした。中途半端に冷えた車内で、ハイドが助手席に身を乗りだす。ウィルクスは頭を反らしたが、結局受け入れた。もぐりこんできた舌に舌先を当てると柔らかく吸いついてくる。ハイドの舌はなめらかな草地を這う蛇のようだった。呼吸を奪われて朦朧となり、焼けるほどの快感がウィルクスの喉の奥から這いのぼってくる。下腹部が熱く痛んだ。
音を立ててウィルクスの舌を吸い、ハイドは彼の腿に片手を乗せる。その手の熱さに感じてしまい、ウィルクスは右のガラス窓に当たるほど後頭部を反らす。それでも、ハイドの胸を片手で押した。顔を離し、彼の顔をまともに見ないまま、自分のTシャツのみぞおちをつかむ。
「車だから……」
彼は目を逸らしたまま訴えたが、そのために、ハイドの目がどれだけ欲情に燃えているのかを見逃した。大丈夫だよ、と年上の男は優しくささやいた。ウィルクスは必死に拒んだつもりだった。
「あなたの大丈夫は、なにが大丈夫なのかよくわからないんですよ……」
そう言ったが、しかしハイドに手を脚のあいだにねじこまれて、言葉を失った。無遠慮に触られるたび、脚のあいだがぐつぐつ煮立つ。
「こんなに勃起してるのに?」
耳元でささやかれ、ウィルクスは身をよじる。いつの間にか、ハイドによってシートベルトが外されていた。脚のあいだを強く握られ、ウィルクスの膝が跳ねて持ちあがる。首筋にキスされ、熱い息と共に甘噛みされて、ウィルクスは自分の夫が狼であることを思いだした。発情した巨大な狼の気を逸らすすべがなく、ウィルクスは助手席の窓ガラスに体を押しつけて固まった。ハイドの手が執拗にチノ・パンツの上からデリケートな場所を撫でる。もっと強く激しく、いやらしく触ってほしい。ウィルクスは本心では、切なくなるほどそう望んでいる。しかしハイドから顔を反らし、フロント・ガラスから窓の外を見た。ビルの四階のベランダでは海のほうを見ながらビールを飲んでいる男がいた。
ウィルクスは首をすくめる。悪酔いしたように気分が悪くなり、強い快感が下腹部から喉にまでこみあげた。
ハイドが手を伸ばし、ウィルクスのシートを倒した。
「すごく、興奮してるな」
低い声でささやかれて、ウィルクスは夫の目を見た。青い目は限界値にまで達した欲情のために据わりかけている。それでも微笑んでいるハイドの顔が、ウィルクスには優しさでコーティングされたシリアル・キラーの笑みに見えた。空調が吐き出す冷気が腹を撫で、ウィルクスは視線を下に向ける。パーカーの下に着た白いTシャツの裾がめくられ、ハイドの手が中にすべりこもうとしていた。
「レイプになるかな」
ハイドのささやきにウィルクスは首を横に振った。それ以外にしようがなかった。がっしりした手が皮膚を這うと、ウィルクスはその内側にむず痒さを感じて唇を噛んだ。
「おれが、こ、興奮してるのは……」彼は涙を浮かべながら言った。「してるのは、お、おれが、い、淫乱だからです。そうなってしまうんです。しかたないじゃないですか。でも、ご、ごめんなさい」
真っ赤になった耳を噛まれ、ウィルクスは喉を鳴らして頭を反らした。Tシャツは胸板があらわになるまでめくられ、剥き出しになった両方の突起を柔らかくつままれる。彼は両腿を擦りあわせた。口をキスで塞がれるとされるがままに舌を絡め、蹂躙を受け入れる。好色な自分自身に対する失望と嫌悪、そしてそれを上回る興奮で全身が熱くなる。どこを触られても性器で熱と光が弾け、尻のあいだがむず痒くなった。
卑猥な音を立ててキスを繰り返しながら、ウィルクスは乳首をいじられる。軽くつままれ、指先でそっと擦りあわされて、痛みと共に小さな粒は硬く勃起した。夢中でキスをしているとハイドはいつのまにか唇を離して、ウィルクスの乳首を舌先で舐めていた。薄い色の乳輪をなぞり、軽く下の歯で引っ掻いて吸う。
刑事はびくびく跳ねた。
「す、す、吸わないでっ」
泣きそうになりながらそう訴える。だが、ウィルクスはもう後戻りできないほど欲情していた。カーキ色のチノ・パンツのボタンを外される。ハイドの手がそっと腰に触れ、下着と共にウエスト部分をつかむと、ウィルクスは腰を浮かせていた。一気に引きずり下ろされる。右足だけスニーカーを脱がされて、ハイドがパンツと下着を引き抜く。左足にはまだそれらを絡めたまま、両脚のあいだにハイドが入ってきた。覆いかぶさられてウィルクスが顔を上向けると、ベランダの男と目が合った気がした。
強い酒を一気にあおったように、全身が燃えるように熱くなる。意識が上滑りし、ウィルクスは朦朧となった。しかし膝が胸につくほど両脚を抱え上げられても、ベランダの男の目から目を逸らせなかった。
「シド……っ」ウィルクスは嗚咽を飲みこんだ。「シド、み、み、見られてる……っ」
「どこから?」
ハイドの声はうわずってはいたが、妙に冷静だった。ウィルクスはきつく目を閉じ、また開けて、ベランダの男が間違いなく自分たちを見ていることを確信する。開いた脚の奥で、彼の秘所はきつく収縮した。
「う、う、上から……っ」
体の底から突き上げられるような興奮に苛まれながら言うと、ハイドは落ち着いた声でパートナーにささやいた。
「それなら、ぼくの背中ときみの脚くらいしか見えていないよ」
「でも、目が……」
合うんです、と言いかけて、ウィルクスはキスで声を奪われた。口蓋を撫でる舌に彼の全身が跳ねる。顔を背けて右側の窓を向くと、黄色い車の持ち主である背の高い男が、彼らに背を向けて鍵を開けているところだった。ウィルクスは反対側を向く。尻のあいだに当たる逞しさに頭がおかしくなりそうだった。それはすでに濡れていて、ハイドが腰を動かすたび、秘所に当たってすべる。怖いほど大きくなっていた。ウィルクスは右のかかとでハイドの脇腹を蹴った。
「シ、シドっ、ケ、ケツは、ほ、掘らないでっ」
「じゃあ、どうする? ホテルまで我慢するか?」
それは脅しではないのに、ウィルクスは怯えた。ハイドの両肩を震える手でぎゅっとつかむ。
「我慢する?」
優しく尋ねられ、ウィルクスは夢中で首を横に振った。ハイドは右手を自分の怒張に添えると、昂ぶり肥大した頭を閉じた蕾に押し当てる。ウィルクスの呼吸が狂ったように乱れた。突如、どうなってもいいという思いが肉体の底から爆発し、欲情が噴きあがった。両脚をハイドの腰に絡め、ウィルクスはフロントガラスを見上げる。男が食い入るようにこちらを見ている。しかし、その像もハイドに口づけられて消えた。
横を向くと、黄色い車の持ち主は運転席にいて、サングラスの向こうから目を凝らして彼らのことを見ていた。
ウィルクスの腹の奥がきつく締まった。その瞬間、彼は自分の腹の上に熱を感じた。体が急速に弛緩する。糸が切れた人形のようにシートにくずおれ、ウィルクスは黄色い車の持ち主の顔を見たまま、羞恥のあまり呼吸を止めた。
まだなにもしていないのに射精したことを知られたら、きっと救いようのない淫乱で変態だと思われる。そう思った瞬間、ウィルクスはふたたび自分自身に対する激しい失望に身を焼かれた。泣きたくなって顔を右に向けたまま目をきつく閉じた瞬間、肉の塊が体内に食いこんだ。重い衝撃に襲われ、まぶたの裏で光がスパークする。ハイドが腰を進め、穿つように肉棒を押しこんでくる。ウィルクスは脚を彼の腰に絡めたまま、条件反射で筋肉の力を緩めていた。男根が押しこまれると自分の中が開くのがわかる。体内のものが放つ熱に、咥えている後孔から肉の筒まで痺れるような快感が駆け抜けた。
もういってしまったとは言えず、そのうえ次の波を感じて、ウィルクスは宙に浮かせた両足の爪先を反らせる。ゆっくりと深く抽送を繰り返され、熱い舌で勃ちあがった乳首を舐められ、ウィルクスは小刻みに跳ねながら顔を右に向ける。涙と唾液を垂れ流している弛緩した顔をそちらに向けると、黄色い車の主は黒いサングラスの奥から相変わらずこちらを凝視していた。車の中で男の手が上下し、視姦されていることを見せつけられて、ウィルクスは腹の奥をきつく締めていた。
がつがつ突きあげられるたび、彼の体は跳ね、内腿が痙攣しはじめた。奥を削るように何度も押しあげられ、痛みとともに強烈なエクスタシーが噴出する。
「んふっ、ふっ、ふぅっ」
食いしばった歯のあいだから喘ぎを漏らし、ウィルクスは男のサングラスの奥を見つめ続ける。男の喉が上下するのが、スローモーションのように目に映る。そのあいだもハイドは腰を振り、パートナーの腹の中を突き刺し、擦りあげ、隅々まで犯し尽くしていた。
ハイドが中で射精した瞬間、ウィルクスは吐精のない絶頂に身を海老のように反らせていた。オーガズムはなかなか終わらず、彼は何度ものけぞり、開いた口の端からだらだら唾液を垂らしていた。欲情でただれた目が上を向き、切れ切れの呻きのような喘ぎを垂れ流す。その顔を見て、サングラスの男は引き攣った笑みを口元に浮かべた。
ハイドが己を引き抜くと精液が糸を引いてシートに落ちた。ウィルクスの尻のあいだからは白濁が泡を立てながら漏れ出ている。車内は香水と肌のにおいと、エアコンの空気、それに精液のにおいで充満していた。ハイドは荒い息をつき、大柄な体を天井に押しつけて結婚相手を見下ろすと、低くかすれた声でささやいた。
「……すまない、中で出してしまった。……エド?」
ウィルクスは自分で乳首を触る手を止め、涙で濡れた目を開けてハイドを見た。
「……おれ、またひとつ……」ウィルクスが口を開けると唾液が頬に垂れた。彼は微笑んだ。「スキモノになってしまいました……」
タガが外れ、すべてを失うことによって解き放たれたような微笑みに、ハイドは蜜を大量に飲みこんだような胸苦しさを覚えた。
○
欲望と情熱のために一夜の過ちを犯してしまった男のように、ハイドはそのあとの旅程では反省しっぱなしだった。幸いウィルクスが腹を壊すことはなかったが、それでも腹痛は覚えたらしく、腹をしきりに手でさすっている。
ホテルの玄関で二人を出迎えたオーナーはそんなウィルクスを見て狼狽し、「熱中症ですかねえ」と心底心配した顔をしたので、ハイドは非常に申し訳ない気分になった。
ウィルクスはいまだにやや上気した顔とふだんは鋭い目をうるませたまま、それでもおとなしくうなずいていた。
制服を端正に着こなした小柄な黒人のポーターが二人の荷物を運んでいき、そのあとについて天井の高い廊下を歩きながら、ウィルクスは前を向いたままぽそっと言った。
「おれたち、おかずにされてましたよ」
「……ごめん」
「あなた以外の人におれのイキ顔、見られました」
「本当にすまない」
「あなたはもうちょっと枯れましょうね」
「はい」
息を吸い、ウィルクスはしょげた顔をして隣を歩く男を見上げた。
「マンネリなんて思ってませんから」
はい、と年上の男はつぶやいた。それから顔を上げ、ウィルクスの焦げ茶色の目を見つめる。
「ぼくらの部屋、寝室から海が見えるらしいよ。海を見ながらするのも、開放的でいいね」
ウィルクスは前を向いたまま沈黙する。ハイドはどきどきしながらそんなパートナーの反応を見守っていた。
ウィルクスは隣を向いて、言った。
「もう、海くらいじゃ怖くありませんよ」
凛々しい眼差しで言った恋人に、強い子に育ててしまったなとハイドは感慨深く思った。それでも世間的にはこの方向で正しいのか、二人はやっぱりわからない。
黒いオークでできた客室の扉を開けた二人の目に、バルコニーに続く大きなフランス窓越しの海が飛びこんできた。ハイドが窓を開けるとレースのカーテンが風になびき、その向こうでは青い空の下、海面は無数の星を宿したかのように白く輝いている。
淫乱でもいいか、とウィルクスは言った。
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