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探偵と刑事とすてきなデート・二△

 カフスを買いたいというハイドの希望で高級百貨店に入ったとき、ウィルクスはまだ怒っていた。いや、怒っているというよりは気が動転していると言ったほうが正しいのだろうとハイドは読んだが、口には出さなかった。刑事はむすっとした顔をして、それでもハイドの後ろからおとなしくついてきた。探偵は自分の撒いた種のことなどすっかり忘れた顔をしている。カフスを真剣に選びはじめた。 「どれがいいかな。ルークにするときみのナイトとお揃いになってすてきだが」  探偵はカフス選びに真剣になっていたので、ウィルクスのことをほとんど忘れていた。これにするよ、と言って振り向いたとき、初めてパートナーの様子がおかしいことに気がついた。ウィルクスは顔を真っ赤にして目を伏せていたが、ハイドに声を掛けられてびくっと顔を上げた。焦げ茶色の瞳がうるみ、彼は唇を噛みしめていた。 「あ、あの……」  ウィルクスは目を伏せると、両手を握りしめたままうなだれた。ハイドは驚き、大丈夫かと尋ねようとしたその瞬間、彼は力なくつぶやいた。 「トイレ、行ってきます……」  そう言うと背中を向け、ウィルクスはよろよろとその場をあとにした。ぽかんとしたあと、ハイドは気がついた。そしてことの次第に思い至ると猛烈な反省の念に襲われた。 ○  個室の扉の中で、ウィルクスは蓋をしたままの便器の上に腰を下ろしていた。背中を丸めてズボンの上から脚のあいだを撫でる。痛みに近い快感が走り、肩がびくっと跳ねる。一度触ってしまうと我慢することは不可能だった。  一口水を飲んでしまったばかりに喉の渇きが悪化するように、ウィルクスはパンツのジッパーを下ろすと、中に手を突っこんだ。濃いグレーのボクサーパンツの中から分身を探りだす。それはすでに身をもたげて、じわっと濡れていた。目尻から涙がこぼれた。あのひとが悪いんだ、と自分に言い聞かせながら彼は手を上下に動かした。羞恥と、それを燃料にして走る興奮のために呼吸がうわずりはじめる。手の中のものはますます力を得て硬く凝固した。  そのとき控えめなノックの音がした。ウィルクスは恐怖を覚えて扉を凝視する。 「エド、平気か?」  ハイドの低い声に安堵すると同時に、欲情の火がウィルクスの背骨を駆け抜けた。性器の根元がずきっと痛む。もう一度ノックの音がした。 「大丈夫か?」  ウィルクスはうなずき、それからなんとか「大丈夫です」と答えた。しかし声は上擦っている。  ハイドは瞬時にその意味するところを察し、「よかったら、開けてくれないか?」とささやいた。ウィルクスは躊躇したが、「誰もいないから」という言葉に、思わずすがりつくように腕を差しのべて鍵を外していた。  ハイドは素早く中に入ると後ろ手に扉を閉め、鍵を掛け直した。それからパートナーを見下ろす。ウィルクスは長い睫毛の奥で目を伏せているが、その目に燃える欲情の炎は隠しようがなかった。耳まで赤くなり、力を逞しくしている性器を剥きだしにしたまま呆然と便器の上に座っている青年に、ハイドの反省は募った。 「まさかきみがここまで反応するとは思わなかった」  その言葉を聞いて、ウィルクスは目を伏せたまま力なく怨嗟を吐いた。 「おれはあなたみたいに鈍感じゃないんだ。なんてことしてくれたんですか」 「すまない。責任とるよ」  ウィルクスが顔を上げると、真剣なまなざしをしている年上の男と目があった。青い瞳は険しく、ウィルクスは思わずすこしのけぞった。ハイドは彼の脚のあいだにひざまずくと(大柄な体のせいで扉と便器のあいだは狭く、難しかったが彼はなんとかそれをした)、すでに涎れを垂らしている恋人の頭に口づけた。ウィルクスの肩がびくっと跳ねる。 「え、責任って……いや、ちょっと待ってくださ……!」  ウィルクスが言い終わる前に、ハイドは彼の性器を口に含んでいた。激痛のような快感が男根から背骨を駆け抜け脳天に突き刺さる。ウィルクスはびくびく跳ねた。思わず口から声が漏れるとハイドは目だけ上げてそれを制した。ウィルクスはうなずき、両手を口に押し当てた。  ハイドは口淫を再開した。口に入れてゆっくり抽送し、袋を愛撫しながら勃ちあがったものの根元に舌を這わせる。若い牡のにおいと味が口の中に満ち、鼻に抜けた。ハイドの口の中はとろけるように柔らかく、ふしぎな弾力があり、舌はねっとり絡みついて自由に動く。ときどき歯が当たる。  彼は慰めているつもりだったが、ウィルクスには拷問だった。口の中の柔らかさを罰するように彼のものは硬く凝固し、際限なく先走りを漏らしている。ハイドは下着やパンツが汚れないようそれを舐めとりながら、内心ですごい量だなと思っていた。ふいにこの青年に対する愛おしさが彼の頭を殴りつけた。  ハイドは口の中にそれを押しこむと、頭を上下させ静かに喉の奥を締めた。ウィルクスの膝がびくっと跳ねる。ハイドは吐き気を覚えながらそれを繰り返し、性を剥きだしにしているパートナーを優しく嬲った。ウィルクスは口を押さえたまま喉を反らし、痙攣しはじめた。彼は服の下でびっしょり汗をかき、顔は病的に火照っていた。 「……きみほど痙攣する人を見たことがない」  ぼそっとハイドがつぶやくと、欲情と快楽でただれた焦げ茶色の目が彼を見下ろした。はあはあ喘ぎ、それでも真っ赤な顔で見つめるだけでなにも言わない。目からもカウパーが溢れてる。ハイドはぼんやりそんなことを思い、口淫に戻った。  音をなるべく立てないように、ゆっくり飲みこみ、口全体を使って出し入れする。まるで自分の口が性器であるかのように。ウィルクスは喉を反らし、靴の中で爪先をぎゅっと丸めて耐えていたが、しかし喉の奥から「くぅん」という声が漏れた。ハイドが口淫を止めると、ウィルクスは強く手の甲を噛んだ。目で夫にねだる。ハイドはまた責めに戻った。  そのとき足音が聞こえ、隣の個室の扉が開く音がした。  二人は青ざめて凍りついた。ハイドはゆっくり口の中からパートナーを引き抜くと、音がした個室のほうの壁を凝視する。やがて水が流れ扉が開く音がした。足音が遠ざかると二人はほっと息をついた。  ハイドはちらりとパートナーの脚のあいだを見た。いまも萎える気配がないそれに感心していると、ウィルクスが彼の耳をおずおずと引っぱった。ハイドが顔を上げると、ウィルクスは両脚をだらんと床に垂らしている。反対に脚のあいだは張り裂けそうなほど昂ぶっていた。先走りと唾液でどろどろになり、小さな穴から泡がぷくぷく立っている。彼は苦しげな顔をして、震えながら夫の耳に唇を押しつけた。 「して」  だらしないほど淫らな表情でささやくウィルクスをこの場で犯したいと切望しながら、ハイドは黙って口淫に戻った。犬のように貪るとウィルクスは脚を大きく開き、甲を噛む口のあいだからふうふう息を漏らした。しかしなかなか射精しない。どうやらまだ緊張しているからだと気がついて、ハイドは思いきったことをした。  口を離し、パンツと下着のウエスト部分をつかむ。汗ばみ、真っ赤な顔になっているウィルクスもこのときは青ざめた。それでも条件反射で腰を浮かせてしまう。ハイドはパンツと下着を一気に足首まで引きずり下ろし、引き抜いた。腿の裏から手を添え、両脚を抱えあげるとウィルクスはよろめいて後ろにもたれかかる。性器と秘所がハイドの目にあらわになっていることに気がつき、ウィルクスにも羞恥心が甦ってくる。しかし抗おうとしてもできずに涙をこらえた。うめくようなすすり泣きが口の端から少し漏れた。  ローションとコンドームを持ってきた、というハイドの言葉はほんとうで、彼は床に置いたトートバッグの中に手を入れると道具を取りだした。手早く利き手の人差し指と中指に避妊具をはめ、ローションをたっぷり塗りつけた。医者が簡単な縫合手術の前に手を消毒するかのように、そのしぐさは素早く手慣れていた。ウィルクスは脚のあいだからハイドの動きを見て、ひくひく震えている。  入り口にローションを塗りたくられたあと、中にそっと指が入ってくると、思わずきつく締めていた。 「怖くないよ、緊張しないで」  我ながらむりなことを言っている、とわかっていながらささやき、ハイドは手前を擦った。ウィルクスはそのあたりにも性感のポイントが多い。焦げ茶色の目が朦朧としてくると、それに乗じてハイドは指をもう少し奥に突き入れ、恋人を狂わせる場所を静かに擦り、押しあげた。ウィルクスの目の奥で火花が散り、彼は手洗いの天井に焦点の合わなくなった目を向け、喉を反らして痙攣した。 「うっうっ」と引き攣った声を漏らしたので、ハイドがすかさず片手でウィルクスの口を塞いだ。刑事はさらに痙攣し、後ろ手に便器の蓋に両腕をついて脚を開いていた。脚のあいだで性器は半ば萎え、だらだら愛液を垂らしている。それが点々と、糸を引きながらハイドの手首に落ちた。  とにかく早く着地点に到らなければとハイドは思った。彼は今できる限りで最後の道具を使った。片手で性器を愛撫し、もう片手で腹の奥を責めたてながら、覆いかぶさるようにして恋人の耳元にささやく。 「エド、いい子だね。いい子だから、出して。できるか?」  ウィルクスは痙攣し、焦点の合わない目でハイドを見た。 「目を閉じて。寝室だと思ってごらん」  巧妙に穏やかさを装った低いささやきに促され、ウィルクスは目を閉じた。目を閉じると刺激が何倍にも膨らんで彼の体を内側から殴打した。膝が跳ね、ハイドはさらに押した。 「愛してるよ、エド。ホテルに着いたらもっといいことしようね。そのときはたくさん声出していいから」  するとウィルクスは目を開いて、「キス……」とつぶやいた。  ハイドがじっと見つめると、ウィルクスは胸を波打たせながら、「キス」と繰り返す。ハイドが黙って唇を寄せると、ウィルクスは貪りついてきた。舌で唇を舐め、ハイドが顔を反らそうとしてもすがりついてくる。はあはあ熱い息を吐き、唇を舌で舐め、ハイドの舌が覗くと狂ったように絡みついてきた。熱くぬめる舌はまるで蛸の足のように執拗だった。それをかわし、中に埋めた指をぐっと折り曲げる。 「っひ……!」  ウィルクスの体がびくんと跳ねて、これで終わったはずだとハイドは思ったが、まだだった。焦げ茶色の目と目が合う。ウィルクスの凛々しい顔はだらしなく緩むどころか、無残に崩れ去っていた。その顔を目にした瞬間、ハイドは脚のあいだに痛みを覚えた。手が伸びてきて、彼のジャケットの内ポケットに触ろうとする。 「だめだよ、ぼくは飲まないからね」  穏やかな気性をかき集めて、ハイドがささやいた。それでもウィルクスはピルケースを取ろうとする。 「だめだよ、エド。トイレで抜くまでが、節度ある紳士が許されるぎりぎりのラインだ。やめなさい」  ウィルクスの寂しそうな顔にハイドの心がぐらりと揺れた。肉体も掻き乱されるが、やっぱりそれはだめだろうと思う。ふいに、エドはストレスが溜まって調子が悪くなってくると、セックス依存気味になるんだよな、と思いだす。泥酔したあの件の前後しばらく、夫婦の営みがなかったことも思いだす。溜まってるんだな、とハイドは納得した。 「でも、だめだよ。我慢しなさい」  ハイドがありったけの威厳を込め、耳元で低い声でささやくと、ウィルクスはぷるっと震えて彼にしがみついた。諦めたのか目を閉じ、快楽とハイドの手に身を委ねようとする。中をごりごり擦りあげられ、掻き回され、音を立てながら出し入れされて、快楽がウィルクスの中で爆発した。小刻みに痙攣しながら喉を反らし、なんとか声を出さないまま繰り返し絶頂を迎えたあと射精した。  ハイドは彼の胸に顔を押しつけて安堵と興奮のため息をこらえた。ホテルに戻ったら慰めてもらおうと思いながらパートナーを見ると、ウィルクスは肩を上下させながら涙に濡れた顔で放心していた。紅潮して緩んだ顔を目にして、ハイドはこのとき最もそそられた。ウィルクスは腰が抜けたかのようにしばらくその場から動けなかった。 「下着、ちょっと濡れたな。代わりを買ってくるよ」  小声でささやき、ハイドは体を起こして扉に背中を押しつけた。 「鍵、掛けるんだよ。いいね」  ハイドにそう言われてウィルクスはのろのろとうなずき、両手に顔をうずめた。  手洗いから外に出て下着の売り場を探しながら、彼はきっと恥ずかしさと罪悪感で悶絶しているだろうな、とハイドは心配したが、これでよかったのかもしれないと思い直した。  媚薬というのは完全なる嘘だった。錠剤はただの頭痛薬だ。呆れて怒って、少しでも元気を出してほしかった。  もし、薬は単なる頭痛薬だったという事実をエドが知ると、きまじめで潔癖な傾向のある彼は落ちこむを通り越して崖っぷちまで行くだろう。だから秘密にしておこう、とハイドは固く決心した。トイレで痴態を演じてしまったのは全面的にシドのせいだ、と思っていてもらおう。  ハイドはパートナーが好きそうな柄のボクサー・パンツをぼんやり選びながら、思った。  それにしても、才能があるなあと。  食事前になんとかホテルにたどりついた二人が盛りあがったのは、当然のことだった。  そしてお互いに幸せな情交はこの日を境に途絶えた。

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