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探偵と刑事と戒め・二△
ハイドの目の下に、老いた男のように皺が浮きあがっていた。彼は体を離して、初めて見る生き物のようにウィルクスを見つめた。そしてゆっくりと、言い聞かせるようにささやいた。
「ぼくはベルジュラックから脅迫を受けている。八年前にフランスで起こった殺人事件、バルドー事件。そのとき警察から犯人だと目されていた男を、ぼくが無罪だと証明してやった。ベルジュラックはその証明がでっちあげだという。本当は犯人なのに、ぼくが小細工をして男を逃がしてやったと言うんだ」
「それを新聞に書く気なんですか?」
「真実には価値がある。あらゆる意味でそうなんだ。そしてベルジュラックは公益よりも、正義よりも、自分の満足を追求する男だと思う」
「ベルジュラックの勤める新聞社は? 新聞社の他の人間たちも、ベルジュラックが追及している内容を知っているんですか?」
「もし知っていたら、ベルジュラックは個人的にぼくを強請ろうとしないはずだ。いや、たぶん他の人間は知らないよ。彼が勤めている新聞社の<アルバ紙>を読んだが、フランスではバルドー事件は謎のまま、忘れ去られているようだ。そんな事件の話は一言も出てこない」
「まだ水面下で、新聞社が調査中ということでは?」
「その可能性もある。……それにしても、ベルジュラックは強請りがうまいようだな。きみの写真のときもそうだが」
ウィルクスは胸が苦しくなった。両手を体の脇で握りしめ、とり憑かれたようにハイドを見つめた。
「おれがあのとき彼に出会っていなかったら、もっとちゃんと、しっかりしてたら」
「もう仕方のないことだ。……自責する必要はないよ」ハイドはウィルクスの頬骨に触れ、灰色の顔を見ながらささやいた。「きみはいつもちゃんとしてる。じゅうぶんしっかりしてるんだから」
一瞬、ウィルクスの顔が泣きそうなほどに歪んだ。
「お、おれはできていない。全然、できないんです。性欲で頭がいっぱいになって、セックスのことしか考えられなくなる。他のことを考えられるときもあるけど、でも悪くなってくるとそうなってしまう。ベルジュラックと初めて会ったときも、きっとそうだったんじゃないかと思う。今夜は完全に『そう』だった。セックスのことを考えていると、ヤってると、気が楽になるんです。だから……」
「今もしたいと?」
ハイドの声は静かで、優しくすらあった。彼は薄青い瞳でじっとウィルクスの目を見つめた。年上の男の長くがっしりした人差し指が唇に触れ、ウィルクスは必死で口の中を噛んでいた。
血よりも臭い味がした。
「してもいいよ」
ハイドが言った。ウィルクスは怯えた仔犬のように彼を見上げ、目を伏せた。長い睫毛が透きとおるように濡れていた。唇の端が震え、彼は我知らず笑みを浮かべていた。
「あ……、で、でも……おれの口、もう、汚くなったから……」
「きみの口は今もきれいだよ、エド」
はにかむように微笑み、ウィルクスは頬を染めた。血は耳までのぼり、貝のようなそのパーツを燃えるように赤くした。ハイドは赤い耳を見つめた。
ウィルクスは浴槽から出た。床が盛大に濡れ、水滴がぽたぽたと垂れる。彼は体を拭かないままひざまずき、ハイドのスラックスの前を開きはじめた。ボタンを外し、ジッパーを下ろすと、濡れた指のせいでスラックスが湿った。
怒っているつもりはなかった。ハイドは冷静に自分の心の動きを観察して、そこに怒りはないと思った。しかし、脚のあいだに顔を寄せるウィルクスを見て、とても冷めた心になっていると気がついていた。
ウィルクスは一生懸命スラックスの前を開き、下着をめくって、中から男根をとりだした。それはまだ萎えていて、風呂に入る前の湿った、生々しい性器のにおいがした。彼は先端にキスし、飲み込むようにハイドの男根を咥えて舌でもてあそんだ。それがまだくったりしているため、ウィルクスは脚のあいだに顔を埋めるような体勢になった。下から、樹になったぶどうの房を食べるように口の中に入れ、食む。袋を舌で愛撫し、竿をしゃぶりながら膝立ちになって、ハイドの腰を抱きかかえた。
探偵は自分の脚のあいだで性器に貪りついている男の顔を見た。目を閉じ、視覚以外のすべてで口淫に耽っている。口の端から泡がたち、痛々しいほど真っ赤だ。とても淫らで卑猥で、とてもかわいそうだと思った。
ハイドはパートナーの頭を両手で抱えると、力を込めて前後に動かした。
「んぐっ」
ウィルクスはうめいて、口の端から唾液を垂らす。目を白黒させ、鼻から唾液とカウパーが逆流した。思わず戻しそうになって肩がびくんと跳ねたが、ハイドはやめなかった。ウィルクスの耳を触りながら頭を抱え、前後にゆっくり動かす。じっとり濡れた舌と頬の肉に自らの肉茎を擦りつけ、奥へ押し込むと、ウィルクスは苦しそうにもがきながらそれでも喉をぎゅっと締めた。
「いい子だ、エド、うまいよ」
ハイドはささやきながらウィルクスの頭を前後させ、太い肉の塊で奥深くまで穿った。舌を強く圧迫され、口の中を容赦なく擦られて、ウィルクスは口の端から唾液をだらだら垂らす。心では深い安堵を覚えた。
むりやり口の中を犯されて、ウィルクスは今、自分がハイドのものになっていることを実感した。
口の中がそそり勃つ太い肉塊でいっぱいで、味とにおいで満たされ、どうやって自分が息をしていたのかさえウィルクスにはわからない。ハイドは口の中で吐き出した。ウィルクスは精液を飲みこんで、口からペニスが引き抜かれたあと静かに吐精した。
もう一度ハイドに顔を洗ってもらい、タオルで拭いてもらって、ウィルクスはボクサーパンツにパーカーだけ羽織った格好でよろよろと自分の寝室に向かった。ベッドに倒れこみ、ハイドにそばにいてもらっているあいだに眠りに落ちた。
ハイドは年下の男が眠っているのを確認すると、そっと部屋から出ていった。
◯
夜中の三時過ぎにウィルクスは飛び起きた。なぜこんな悲惨な夢を見てしまったんだろう? ハイドが大やけどを負って、叫びながらのたうちまわっている夢だった。
真っ暗な部屋のベッドの中で飛び起きて、しばらく動悸で胸が苦しかった。手探りでベッドサイドの灯りをつけて、そのときふと枕元に置いたスマートフォンに気がついた。パートナーがそこに置いてくれたらしい。着ていたTシャツとチノ・パンツは洗濯されたらしかった。
ウィルクスはスマートフォンを起動させる。白く眩しい光があたりを照らした。ベルジュラックからの電話はなかった。それで少しほっとした。
そう、あの男にはもう関わらないようにしよう。アリバイを確かめるという作業は、同僚に行ってもらおう……。
ウィルクスはそう決めた。ジャン・ベルジュラックにはもう近づかない。それで、すべてが過去のことになるはずだ。
本当は、ハイドがベルジュラックに苦しめられていることが許せなかった。悪魔のような男だと思った。だが、今夜はもうなにも考えずに眠りたかった。そこでキッチンに降り、冷蔵庫からペットボトルに入ったミネラル・ウォーターをとってくると、めったに飲まない睡眠薬を飲んで眠りについた。
翌朝七時前にウィルクスが起きたときハイドはまだ眠っていたが、出勤するころには彼も起きてきた。優しい笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってもらって、ウィルクスは泣きそうになるほどうれしかった。
そして夜中の三時に決意したことを実行するために、同僚にベルジュラックのアリバイを調べてもらおうと考えた。頭の中で何度も、その話をもちかけるための「いちばん望ましい言い方」を考える。ウィルクスはもう二度とベルジュラックには会いたくなかった。
しかしその日、ジャン・ベルジュラックはスコットランド・ヤードを訪れた。
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