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第三章 寒い朝
「早紀を……、ここで雇ってはいただけないでしょうか?」
突然の紀明の頼みに、衛は息を飲んだ。
しかし、沈黙を続けるわけにはいかない。
当然と言えば当然な疑問を、衛は紀明に返した。
「しかし早紀くんは、受験生でしょう? 今の一番大切な時期に、バイトなど」
「アルバイトではなく、正社員で。できれば住み込みで、働かせていただきたいのです」
衛は、混乱していた。
一流企業の社長が、一体なぜ?
家庭を大切にする父親が、どうして?
乱れた心を落ち着けるため、衛は黙ってコーヒーを淹れ始めた。
それを見ながら、紀明はぽつりぽつりとその理由を語った。
「実は、社内で背信がありまして。私は、社長の座を追われました」
ミルで豆を挽くと、香ばしいコーヒーの匂いが漂った。
「多額の借金まで背負わされ、万事休すです」
フラスコの湯が沸騰し、衛はロートにコーヒー粉を入れた。
「可哀想なことに、早紀の学費も、もう払えません」
火を消し、竹べらでさっと混ぜる。
「家も、手放しました。後は……」
コーヒーがフラスコに落ち、衛は手早くそれを温めたカップに移した。
そして、声をひそめた。
「後は、夜逃げ、ですか」
紀明にコーヒーを出すと、彼はうなだれたまま首を縦に振った。
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