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第十七章・7

「確かにメビウスは私の宝ですし、バリスタは天職です。ですが」  ですが。 「ですが、早紀くんのためなら、話は別です」  彼は、まだ若い。 「早紀くんには、この先も伸びやかに生きて欲しい。その未来を、可能性を摘んでしまうことだけは、避けたいのです」 「弓月さん……」  二人の大人は、いろいろな話をした。  過去のこと、現在のこと。  しかし、どうしても帰着してしまうのは、未来のことについてだった。  早紀の、ことだった。 「では、お世話になります。申し訳ございません」 「いいえ。あなたもまた、こんなところでくすぶっているような人じゃない」  早紀くんと一緒に、日の当たる場所で。  笑顔で暮らすべき人なのだ。  そう、衛は心から思った。 「間に弓月が入れば、暴力団まがいの連中も下手は打てません。ご安心を」 「何から何まで。本当に……」  湿った畳に額を擦り付けて土下座する紀明を、衛は慌てて起こした。 「よしてください、お父さん。早紀くんのため、ですから」 「ありがとうございます……!」  痩せて顔色は悪くなったが、紀明はまだ目が生きていた。  衛は、そのまなざしに安堵した。  彼は、早紀が大好きな父親のままでいてくれたのだ。 (早紀。私からのバレンタインデーのプレゼントは、お父さんだよ)  そして彼は、そのことにきっと喜んでくれる。  衛は、笑顔を作った。  心に、冷たい風が吹いた。

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