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第2話

 2  新堂と怜央が初めて出会ったのは一年前。ちょうど桜の蕾が開き始めた頃だった。  当時、タワー日本支部の経理部に勤めていた新堂は、その日ある人物に呼び出されタワーの最上階に位置するとある部屋にいた。 「SGSに異動? 俺……私がですか?」  ダークブラウンの壁に覆われた部屋。青藍の空をバックに悠々と椅子に腰掛けている男性――タワー日本支部長の久遠寺から告げられた言葉を確認するように新堂はそう口にした。  背後にスピリットアニマルである、豊かなたてがみを持ったライオンを従えながら久遠寺は静かに足を組み直す。逆光で久遠寺の顔はよく見えない。  そういえば、入社式のときに彼の顔を見たはずだが果たして我らが上司はどんな顔立ちをしていただろうか。思い出そうにも思い出せない新堂のことを置いて、久遠寺は話を続けた。 「君の過去の業績を本部に伝えたところ、是非SGSでセンチネルと共に現場に出て彼等を支えて欲しいとの声があってね。実際、草食系のスピリットアニマルを持つ子が多いガイドでスピリットアニマルが肉食系動物。その上、数々の武道経験もあり、輝かしい成績を残している程の肉体派は中々珍しい。今の事務業務に比べれば肉体労働になる分、きついところがあるかも知れないが給料も今の倍になるし、様々な手当が付く。君さえよければ、なのだが、どうだい」  勢いのある波のような言葉に新堂は直ぐに足を取られる。実際、今まで身体を動かす活動をしてきた新堂にとって、事務職はそこそこ苦痛であった。  外回りがある他の部署とは違って、新堂の所属する経理部は基本パソコンとのにらめっこだ。別の署への異動を希望しても空いている部署は同じような事務作業をする部署ばかりであった。  かといって収入が安定した公務員であるこのタワー職員を辞めて転職活動を行う気も起きず、どうしようかと悩んでいたところだ。  しかも給料もアップするという。新堂に断る理由はなかった。  強いて言えば、SGSは危険な任務にも従事する。その上、法律によって銃を所持することが許されている、タワーでも数少ない機関の一つだ。殉職者も過去には出ている。それが不安だった。  新堂はしばらく黙りこく。時計の秒針の音をうるさいと感じ始めた頃、新堂は静かに首を縦に振った。仮にもここは行政の機関だ。もし本当にダメだと思ったら申告すれば良い。それに、SGSの仕事には少しばかり興味がある。ならばこのチャンスを新堂は掴まずにはいられなかった。  久遠寺は新堂の反応に驚くことはなく、むしろ最初から頷くのがわかっていたように口元を緩めると「実は」と話を切り出した。 「SGS所属職員の中には、タワーの「秘密兵器」が居る」  突然投下された物騒な言葉に新堂は姿勢を正した。それに、久遠寺の物言いが気に入らない。 「……人に対して「兵器」というのはいかがなものかと」 「そう言う人間もいるが実際にあれは兵器もしくは猛獣に等しい。大人しくしていれば、害のない唯のセンチネルだがね」  センチネルなんて、みんなそうだろう。口に出かけたが新堂は黙って話しを聞いてみることにした。 「彼はSGSには長いこと所属をしているのだが、現場に出たことがなくてね。というのも、彼と相性の良いガイドが中々見つからなかったんだ。もし体力をかなり消耗し、精神もすり減らしてしまったら抑制剤よりガイディングを受けさせる方が効率がよいし、何より突然のゾーンにも備えられる。そのことを考え、彼にとって相性がよいガイドが見つかるまで、彼を現場に出さずにいたんだ」  センチネルとガイドには「相性」がある。これはガイドがセンチネルのゾーンや野生化の際に行うガイディングや、エネルギー補給を行う際、それが効率的且つ十分に行えるか否かを測ったものだ。エネルギー補給の部分についてだけいえば「身体の相性」が良いかどうかの指標でもある。  中でもセンチネルとガイドのマッチング率が七十パーセント以上のペアは珍しい「運命の番」とも呼ばれ、恋人となり、人生を共にする場合も多いという。  相性の話を持ち出された瞬間、新堂は何かの予感を察知し身構えた。 「だが、秘密兵器も、いつまでも秘密にしていたら勿体ないだろう。そう思っていたときに、君の登録データを見つけてね」 「……つまり、俺と彼の相性がよかった、と」 「向こうに行ったら君には彼と組んでもらうつもりだ。安心してくれ。いきなり二人きりで現場に投げるような真似はしない。訓練も行うし、現場には経験者を同行させる」  完全にこちらが真の目的だったのだろう。これでは職と同時にいきなりパートナー候補を紹介されてしまったようなものだ。しかも秘密兵器とはいわれているがかなり丁重に扱われていたようだ。もしかしたら重役のご子息かもしれない相手を紹介されてしまった。それがビジネスパートナーであったとしても、かなりのプレッシャーが新堂の上にのしかる。  四方八方を囲まれとても断れるような状態ではなくなってしまった。第一、一度頷いてからその話しを持ってくるのはいささか卑怯なのではないか。  言いたいことは山ほどあったが、結局上司相手に新堂は口を開けず、そのままその日のうちに挨拶という名目でセンチネル・ガイド保安組織「SGS」――「センチネル・ガイド・セキュリティー」へ向かうことになった。  タワーからSGS本部であるセンターまでは車で二十分ほどの距離であった。新堂は愛車である黒のボディを持った大型バイクで道路を駆け抜けていく。  途中、花見客で賑わう桜並木や新しくオープンした商業施設の横を通りながら、新堂はセンターに辿り着いた。「保安組織」という仰々しい肩書きとは裏腹に、クリーム色の外壁に丸みを帯びたチョコレート色の屋根をした四階建てのその建物の敷地内へと新堂はバイクを押し進める。広い駐車場を抜け、やっと駐輪場に辿り着くと、そこにバイクを止め、正面入口から建物の中へと入っていった。  オレンジ色の淡いライトで照らされるロビーには受付らしい場所はない。入って直ぐ正面にあった案内マップを見て、新堂はとりあえずロビーから一番近い部屋に入ってみることにした。  正面玄関から向かって右。「SGS」の三文字が並ぶ扉に近づくと中から人々の喧騒が聞こえてきた。動物たちの泣き声も聞こえる。働く場所が違えば賑やかさもここまで違うのか。そう思いつつ扉を開けた新堂の目に飛び込んできたのは何やら混乱のさなかにいる職員とスピリットアニマル達の姿だった。 「なにがあったんだ、一体!」 「それが、シミュレーション中に突然倒れて……ゾーンアウト手前の状態かと。抑制剤を投与しましたが、依然錯乱状態です」  職員一同は「ゾーンアウト」という言葉に騒然とする。それもそのはずゾーンアウトはセンチネルにとって命を脅かす危険な状態なのだ。  センチネルは能力使用に集中しすぎると様々な障害を引き起こしてしまう恐れがある。例えば遠くを見ることに集中しすぎて真隣にいる相手が拳を振り上げても気が付かない、遠くの音に集中しすぎて近くで車のクラクションが鳴ると前後不覚に陥る等だ。場合によっては混乱のまま暴走を引き起こすセンチネルもいる。  この状態をゾーンと呼ぶのだが、ゾーンアウトはそのゾーンが悪化した状態だ。心身への負担が精神錯乱や昏睡状態を引き起こし、最悪の場合センチネルの死亡へ繋がる。  この状態を緩和させる薬剤はあるが完全に意識を引き戻すことが出来るのはガイドだけといわれている。 「くそ、怜央にはパートナーのガイドがいないんだぞ! どうすれば……とにかく、今いるガイドでガイディングを行ってくれ。俺はタワーに連絡を、」 「あの、」  声を上げた瞬間、職員の視線が一斉に新堂の方へ向く。新堂はその視線を受け止め、まっすぐと声を放った。 「新堂景といいます。今度、こちらに配属されることになりまして、ご挨拶に伺ったのですが、もしかして、今ゾーンアウトしかけているのって」 「今すぐ来てくれ、新堂くん!」 「はい!」  どうやら、今ゾーンアウトしかけているというセンチネルは久遠寺から聞いていた「彼」らしい。まさか初対面が緊急事態とは思いもしなかった。  新堂は男性職員に連れられセンターの地下一階へと向かう。階段を駆け下りながら前を行く体格のよい男性はチラリと新堂の方を見た。 「こんな状況ですまない。私は鏑木。SGSの司令官をしている。彼の――怜央のことについてはどのくらい聞いている?」 「タワーの秘密「兵器」、「猛獣」だと、支部長が言っていました。彼と俺の相性が良いらしい。それくらいしかきいていません。名前も今知りました」 「「兵器」に「猛獣」か。あの人は相変わらずだな。話しによると、君と怜央くんは「運命の番」といえるほど――こう言ったら変な意味に聞こえるかも知れないが「身体の相性」がいい。つまり、ガイドである君がセンチネルの怜央くんに触れるだけで怜央くんは常に過敏な状態にある五感の機能を抑え、脳の処理を最低限に抑えることで心身の状態を平穏に保つことが出来る。ただし、普段の状態ならな」  今が普段の状態ではないことなど言うまでもない。広い廊下を駆け抜け新堂は口を開いた。やけに喉が渇く。 「彼は今、どういう状態なんですか」 「意識はある。だが何かに脅えるように部屋の隅にうずくまってこちらをずっと威嚇している。先ほど事務所で佐藤くん……オペレーターの男性がいただろう、彼はゾーンアウト「手前」といっていたが、限りなく危ない状態だろう。過去にガイディング経験は?」 「学生時代に街中で倒れているセンチネルの介抱をしたことが。あとは研修で何度か」 「そうか……着いた。この扉の先に怜央がいる」  「トレーニングルームA」と書かれたプレートが貼られた扉。一抹の不安を抱えたまま新堂はゆっくりとそれを開き、静かに部屋の中へ入った。鏑木も続けて入ろうとしたが新堂は黙って首を振る。複数名で迫ればセンチネルが混乱して攻撃してくる可能性があるのだ。鏑木も直ぐに新堂の考えをくみ取ったらしく、ゆっくりと扉を閉めた。  さて、と小さく声を漏らし新堂は部屋を見渡す。広く何もない空間。その隅で動く黒い影を見つけ、新堂は歩を進めた。  焦げ茶色の猫。初めて「兵器」だの「猛獣」だのいわれていた人物に新堂が抱いたのはそんな印象だった。背を丸くしうずくまりながら唸っているのは弱々しく、幼い青年。  まだ、高校生くらいなのではないか。込み上げてくる謎の焦りと庇護欲を沈めるように、新堂は怜央のそばに寄り、身を屈める。  自分を睨みつけながら様子を伺う彼の瞳は宝石のように美しく輝き、その瞳孔は猫のように細められていた。だがこちらを攻撃してくる様子はない。軽く肩に触れ、新堂は青年の名前を呼んだ。 「怜央」 「ひゃ!」 「あぁ、すまない。怖がらないでくれ」  新堂は優しく背中をさすり、少しでも外部からの刺激を減らそうと怜央の目を手で覆う。そして、触れた手から怜央の内側を見るように意識を集中させた。  瞬間、ガイドの能力である共感覚によって新堂の身体に怜央が感じているものと同じ感情が走り抜ける。強い電気が走るような激痛とともに感じるのは微かな恐怖。それと大きな自責の念だ。  怜央は自分がゾーンアウトした恐怖より、こんな状態に陥ってしまい職員に迷惑を掛けていることに対して申し訳なさを感じているのだ。怜央はずっと唸り声を上げ続けている。誰かに謝りながら。みんなに謝りながら。それが酷く、心苦しい。  新堂はゆっくりと怜央の背をさすりながら頭の中で怜央に語りかけた。 『怜央』  テレパスが届いたらしい。怜央は唸り声を止めると何かを探すように手を右往左往し始めた。新堂は彷徨う手を握りしめると怜央も手を強く握り返す。そのまま優しく続けた。 『初めてゾーンアウトして吃驚してしまったんだな。大丈夫。誰もお前のことを責めたりしない』  怜央から新堂へと伝わる感情の痛みが少しばかり和らぐ。 『五感を制御するのを手伝う。ゆっくり呼吸をして……』  怜央の身体を起こすと彼の身体は大きく揺れた後に新堂の身体へと倒れ込んだ。口元からは苦しそうな喘ぎ声が上がっている。 「――精神も体力も消耗しきってるな。初対面だけど、我慢してくれよ」  新堂はしっかりと怜央の頭を支える。怜央の虚ろな瞳を見つめながら、新堂は怜央の唇を塞いだ。怜央の開かれた唇の間から、舌先をゆるりと忍び込ませる。熱の中で逃げるように惑っていた舌を捕まえると、向こうからしがみつくように舌を絡められた。積極的というよりは、今の状況を見るに彼も生きるために必死なのだろう。新堂は堪らなく庇護欲をかき立てられていくのを感じざるを得なかった。  角度を変え、何度も息継ぎをしながら口付けを交わし合う。怜央の背中に浮いた骨を撫でてやると身体が震え上がり、握った手に力がこもった。  触れあった箇所から怜央が落ち着きを取り戻していることが感じられる。新堂は頭の中で怜央の心を包み込んでやるイメージをした。こうすることでセンチネルの五感を制御することが出来るのだ。エネルギー補給もした。あとは怜央が自力でシールドを再構築するのを待つだけだ。  唇を離し、精一杯身体を抱きしめてやる。すると次第に怜央の呼吸音が落ち着いていき、何やら柔らかいものに抱かれているような心地よさが新堂の身体に伝わってきた。  同時に感じる微かな懐かしさ。前にもこんな感覚に包まれたような気がする。それがいつであったかを思案していると怜央の身体が重くなった。倒れそうになり咄嗟に身体を支える。怜央の顔をのぞき込めば、瞼が閉じられ、口元も緩んでいるのがわかった。 「……寝た、か」  顔にあった苦痛も消えている。どうやらガイディングは成功したようだ。新堂は息を吐くと怜央の背を撫でる。  すると「ぬぁーおん」という声と共に怜央の背後から何かが現われた。猫にしては手も身体も大きい。虎か何かの子どもだろうか。 「お前が、こいつのスピリットアニマルか」  新堂の問いかけにその動物は「ぬぁう」と鳴いた。 「そうか。俺のスピリットアニマルと似てるな」  新堂がそう呟くと彼の背後から大きなヒョウが現われた。漆黒の身体をゆらりと動かす。クロヒョウだ。クロヒョウの姿を見た途端、怜央のスピリットアニマルは目を丸くし、クロヒョウに近づいていった。  通常、スピリットアニマルは自分の主人以外には懐かないはずなのだが、マッチング率が高いからか何やらシンパシーを感じているようだ。じゃれ合うネコ科の動物二匹は兄弟のようで何だか微笑ましい。 「俺は新堂景……一応、これからお前のご主人様の相棒になる予定の男だ。よろしくな」  新堂の声に応えるように茶色い子猫は新堂の側に寄ると彼に身体を擦りつける。想像以上の懐き具合に新堂が驚いていると部屋の扉が開いた。鏑木と、白衣を着た男性が部屋に入ってくる。SGSに勤務しているドクターだろうか。ネームプレートには「五十嵐」と書いてあった。 「終わったか?」 「はい。眠っています」 「そうか……君が来てくれてよかった。助かったよ」  鏑木が怜央を見る目は厄介者を見るとそれではなく、家族へ向ける眼差しだった。この少年は本当に大切にされているのだろう。それはバイタルを確認する五十嵐の手つきからもわかる。そこで改めて新堂は自分に任された仕事の重さを把握した。 「本当に相性が良いんだな。怜央のこんな穏やかな寝顔は初めて見た。お客人にこんなことを頼むのは失礼だが、彼を自室に運ぶのを手伝ってくれないか? どうやら君から離れないみたいだし」 「彼はここに住んでいるんですか?」 「あぁ。五年くらい前――高校生ぐらいの時からな」 「え、彼、今高校生なんじゃないんですか?」 「小柄で幼い顔立ちをしているけれど、彼は今年で二十歳だよ」  新堂は今一度自分に抱きついている怜央の顔を確認する。彼は自分と五つしか年が変わらないのか。新堂の驚きに呼応するように怜央は「んん」と声を上げ微笑む。その笑顔はやはり歳の割に幼くて、何だか愛おしささえ感じた。  鏑木に案内されるまま新堂は怜央を部屋へと運ぶ。ホテルの一室のような部屋のベッドに怜央を寝かし、中々手を離してくれない彼の手を、申し訳なさを感じつつ離してやっと新堂は事務所へと戻ってきた。  事務所に戻るなり、デスクで仕事をしていた職員二人が駆け寄ってくる。一人は柔和な笑顔が特徴的な男性。足下にいるうさぎは元気よく彼の足下を走り回っている。もう一人はトレーニングをしているのだろう。中々に体格の良い青年だ。背後にいる熊のせいで、若干の威圧感もあった。 「新堂くんだっけ? 挨拶しに来ただけなのにお仕事なんて大変だったね。俺は倉井。君とおんなじガイドだよ。こっちは俺の相棒のセンチネル宮下。わからないことがあったら先輩二人に頼ってね」 「……よろしくな」 「よろしくお願いします」 「えっと、こっちがセンチネルの佐藤さん。オペレーターで現場にいる俺達に色々指示してくれるサポート役だよ。スピリットアニマルのフクロウちゃんがとっても可愛い!」 「佐藤です。新堂さん、怜央くん、大丈夫ですか」 「はい。何とかゾーンから連れ出すことが出来ました」  見た目的にも自分と同じ歳か年下と思われる佐藤という男性は新堂の一言に安心したように笑顔を浮かべる。鏑木も新堂の肩を強く叩き改めて喜びの声を上げた。 「本当によかった。さすが運命の番」  運命。その言葉に新堂は乾いた笑いを漏らした。  遺伝子情報と数字によって導き出されただけの二文字に、周りが踊らされているような。何となくそんな気さえした。  先程の怜央や彼のスピリットアニマルの反応を見るに本当に自分たちは相性がよいのだろう。だが身体の相性がよかったとして、果たして心の相性はいかがなものなのだろうか。  早く、素面の怜央と対面したい。初対面があの状態であったせいか、新堂は強く思い始めていた。  しばらくSGSの勤務形態等についての説明を受けていると、事務所の扉が開き怜央が姿を現した。  彼は先程とは違いメガネを掛けており、先刻の脅えきった表情からは想像がつかないほどの無表情を浮かべている。こうしてみると少しばかりその顔立ちは大人びて見えた。怜央は部屋を見渡すと皆に一礼する。声が漏れそうなほど綺麗な礼だ。 「先ほどは、多大なるご迷惑とご心配をおかけし、申し訳ありませんでした」 「そんなこと気にしなくて良いよ。それより、体調は大丈夫?」 「はい。的確なガイディングを……」  言い終わらないうちに怜央は新堂の姿を見つけた。彼はしばらくその場で制止した後に、新堂の元へ近づく。歩行の格好まで姿勢良く、一定で新堂は思わず唾液を飲下した。  怜央はずいっと新堂に顔を寄せる。 「怜央と申します。先ほどは、ありがとうございました」 「し、新堂景だ。礼にはおよばねぇよ。久しぶりのガイディングだったから不安もあったが上手くいってよかっ、」 「早速で、申し訳ないのですが、」  言葉を切られ新堂は口を曲げる。だが、新堂のことは一切気にしない様子で、怜央は無表情のまま淡々と言葉を続けた。 「責任を取ってください」 「……は?」  思わず声が出てしまい新堂は周りを見渡す。これが怜央の通常運転なのだろうか。そう思ったがここにいる全員が新堂と同じ顔をして固まっていた。つまり、誰も怜央を止めはしない。 「キスをするのは婚姻を決めた相手のみと父からも言われています」 「おいおい、いつの時代の話しだよ。それに、あの状況、体液の摂取によるエネルギーの補給と沈静を行わなきゃ、お前をゾーンから連れ戻せなかった」 「それは承知しています。ただ、あなたは、僕の運命の番と聞いています。マッチング率百パーセントの」 「……らしいな」  運命とは言われていたがマッチング率が百パーセントだったのは初耳だ。百パーセントのマッチング率は隕石に当たる確率と同じぐらいではなかっただろうか。新堂は確かに今、隕石と衝突したときと同じ衝撃を受けていた。 「でしたら、僕とあなたは番うべきだと、そう思うのです」  表情は依然無のままだが怜央の目は真剣そのものであった。射貫かんといわんばかりの熱を感じ新堂は身体を震わせた。 「それは……いきなりすぎないか? 会って数時間だぞ」 「世の中には交際ゼロ日婚という言葉があると伺いました」 「悪いが、俺はちゃんと交際して相手の良いところも悪いところも全てを知り、お互いの好意と相性を確信した上で結婚をしたいタイプなんだ」 「身体の相性は恐らく良いと思うのですが」 「俺は体より心で通じ合いたい」 「ま、まあまあ、落ち着けよ、怜央。焦らなくても、新堂くんとはこれからバディを組んで行くわけだから、その中で仲を深めていけば良いじゃないか」  鏑木の制止にやっと怜央は一歩後ろに引く。新堂はやっと呼吸が出来たような心地さえした。  何故、ここまで迫られているのか。理由は明白であるが不明瞭であった。 「……すみません」 「いや、むしろ今後一緒に組んで仕事をする相手に嫌われていないようで良かったよ」 「どうして、助けてくださった相手を嫌わなければならないのでしょうか。僕は、本当にあなたに感謝しているんです。この度は、僕をゾーンから救ってくださりありがとうございました」 「そんなに畏まらなくても」 「怜央くんはこれが平常運転ですから。お気になさらず」 「それより、怜央くん。今日はゾーンの件もあるしゆっくり休んだ方が良いよ」 「はい、そうします。お気遣い感謝します」  「それでは」といい、お辞儀をすると怜央は事務所を出て行った。出る間際、ジッと新堂を見つめてから。 「吃驚した……」 「それは俺達もだよ。無口な怜央くんがあんなに怒濤の勢いで喋るの初めてじゃない?」 「……嬉しかったんだろうな」 「えぇ。それにしても研究所時代に比べて本当に表情豊かになりましたね、あの子も」 「研究所?」  あれでも表情が豊かになった方なのか、という疑問よりもさらに気になるワードが出てくる。首をかしげる新堂の肩を鏑木は優しく叩いた。 「これについては怜央本人から聞いた方が良い。多分あの様子だと直ぐに話してくれるさ」 「そう、ですか」 「……怜央をよろしく頼むよ。新堂くん」  やけに含みのある笑みを浮かべられ、新堂は黙って頷くしかなかった。  その後、新堂は二週間後に異動し研修を開始するスケジュールを鏑木と共に立て、SGSを後にした。  バイクに乗って春風の中に飛び込む。頭に思い浮かぶのは怜央のあの真剣な眼差しだった。 「不安だな」  信号待ちをしながら新堂の口からは思わずそんな言葉が漏れていた。  二週間後はあっという間にやってきた。  SGSに配属後、新堂は怒濤の日々を送ることになった。連続で入れられる研修と訓練。休む暇はほとんどなく、センターに寝泊まりする日も続いた。  その中で新堂が気付いた事が数点。  まず一つ目は怜央の身体能力の高さだ。訓練では対センチネルとの戦闘を想定して怜央との戦闘訓練を行う。その中で怜央は小柄なのにもかかわらず、武道経験者の新堂と互角にやり合って見せた。  射撃訓練は新堂が未経験だというのもあるが怜央の撃つ弾は百発百中で、新堂は怜央の能力に驚かされ続けた。さすがセンチネルといったところだろうか。  怜央は五感の中でも特に視覚の能力がずば抜けて良い。眼鏡と長い前髪は、能力抑制の為のものらしい。また、視覚の中でも動体視力が良く、トレーニング中も新堂の動きに素早く反応して見せた。  一方、他の能力はセンチネルの中では劣っていると怜央は自嘲していた。新堂はたいして感じなかったが、先輩陣曰く確かにその他の能力は宮下や佐藤に比べれば劣るらしい。それでもガイドやミュートよりは高い能力を誇っているのだが。  二つ目。怜央が想像以上に無口だということ。あの日、倉井達が話していた内容に今更ながら納得する。怜央は、訓練中は勿論、休憩中でさえ新堂と必要最低限の会話しかしないのだ。まるであれだけ迫ってきていたのが嘘のようだ。  センターに寝泊まりしていた間も、夜這いしてくるどころか顔を合わせれば直ぐに逃げていく程だ。  この一件であまりにも傷ついてしまったため倉井達に相談までした。だが、SGSのメンバーにとってやはり怜央はいつも通りにしか見えないらしい。 「心配しなくても大丈夫じゃないかな?」 「そのうち、向こうから話しかけてきますよ」 「……気を落とすな」  そんな意見を貰ったが、向こうから話しかけてくるような日は一向に来ない。  そうしてもう一つ。新堂には気が付いた事というか、気になっていることがある。  怜央はエネルギー補給の際、キスどころかハグさえも拒んでくるのだ。  明らかにセックスをするためのベッドが用意されている鍵つきのエネルギー補給用休憩室。その中で怜央はベッドに座って新堂の手を握り、しばらくしたら礼を言って一人休憩室から出て行ってしまう。試しにハグをしようと腕を伸ばすと持ち前の身体能力で躱されてしまった。  現場に出るようになってからもそれは相変わらずだ。いくら相性が良いとはいえ、握手程度で補えるエネルギー量はたかが知れている。だが、能力を使う回数も多く、疲労の色が見える怜央は頑なに手を握る以上の行為を拒み続けた。このままではまた初対面のあの日のようにゾーンに入ってしまうことが危惧される。  それに、新堂は納得がいかなかった。怜央が自分を避けることが。初日にはあんなに慕ってくれていた怜央がいざ離れると「やれやれ」という安堵よりも「何故だ」という不安と不満ばかり溜まっていくのだ。  その癖、スピリットアニマル同士の仲は良好なようで――ちなみに怜央のスピリットアニマルは「ムギ」という名前だそうだ。新堂の方はクロヒョウだから「クロ」である――いつも出会えばグルーミングを始める。今や新堂はそれが「羨ましい」と思うほどになってしまっていた。  このことも先輩方に相談したところ、新堂に返ってきたのは溜息と苦笑だった。 「新堂くん、実は結構怜央くんのこと好きだったりする?」 「どうして今の相談でそうなるんですか」 「ようは怜央くんが構ってくれなくて寂しいんでしょう? それに、スピリットアニマル同士が仲良いの見て嫉妬してるみたいだし」 「意外ですね。新堂さんは怜央くんの押しかけを迷惑と思っていると感じていたのですが」 「確かに、初日のあれは突然で困惑したけど、」 「満更でもなかったと」 「……満更でもなかったのか」 「新堂くん、自分を慕ってくれる年下に弱いんだねぇ」  結局茶化されるだけ茶化され、解決案は一切出てこなかった。  こうなったら、本人に聞くより他ない。 「どうしてキスを拒むんだ?」  ある現場から帰った後。耐えきれなくなった新堂は休憩室で、いつものように手しか握ってこない怜央に尋ねた。不意にそんな質問をされた怜央は一瞬新堂の顔を見て直ぐに顔を背ける。キスしようとする度に言っていた「父からの言いつけが」という言葉すらもう言い出してこない。  その反応に新堂は奥歯を噛みしめた。 「ガイドからの体液摂取はエネルギー補給によるセンチネルの体力回復や精神安定、それにシールド補修による五感抑制で脳への負担も減らしてゾーンを防ぐ効果がある」 「それは……わかっています」 「だったらどうしてキスをしたがらないんだ。手を繋ぐだけじゃ、エネルギー補給も、シールド補修も碌に出来ないだろ」 「それは……」 「俺とは婚姻してねぇからダメだってか? それとも、もしかして俺の事が嫌いに、」 「違います!」  休憩室に怜央の声が木霊する。声を上げた瞬間何かが切れたように怜央は目から大粒の雫を溢し始めた。琥珀色の瞳から生み出されるからだろうか。新堂は溢れるそれを「甘そうだな」等と考えていた。 「それは違います! 違うんです……僕……僕がいけなくて……新堂さんは、僕のことを思ってくれているってわかるのに……僕……」 「あー……問い詰めて悪かった、その、」 「悪いのは僕です。僕が……」 「わかった。わかったから、ちょっと落ち着け」  新堂は両腕で怜央の小さな身体を包み込む。久しぶりの感触に強く力を込めると怜央は驚いたような悲鳴を上げつつ新堂の腕から逃れようと暴れ始めた。 「こら、逃げんな。やっぱり嫌なんじゃねぇか」 「ち、違います! このままじゃ、」  新堂の腕から逃れると怜央は噛みついてくるのではないかと思うほどに口を開けて叫んだ。 「このままじゃ、心臓が壊れてしまいます!」  沈黙。反響した怜央の声が聞こえなくなった頃、新堂は静かに尋ねた。 「……心臓?」 「はい」 「壊れるのか?」 「……はい」  俯く怜央。彼は顔だけではなく耳まで真っ赤に染め上げ震えている。新堂は目の前の朱色を見て、確かに自分の心が満たされていくのを感じた。  同時にあることに気が付いてしまった。  ――こいつ、もしかして可愛いのでは?  思考がぼんやりとしてきてしまった新堂には気が付いていないようで、怜央は何やら自分の指を弄りながら独り言のように呟き始める。声は耳を澄ませないと聞こえないほどに小さくか弱い。 「あなたの、顔を見る度に、目が合う度に、胸の辺りがキュッと――言語化しづらい感覚に襲われて、心臓が壊れるのではないかと思うほどに伸縮を繰り返すのです。多分、このままだといずれ壊れます」 「心臓はそこまでやわじゃねぇよ」 「わかっていますが、壊れてしまう気がするのです。なにより、とてつもなく、苦しい。こんなの初めてで、どうしたら良いか、わからなくて……すみません。適切な、言葉が……出てこなくて」  怜央の話しを聞いて新堂も顔を赤くする。むず痒くはあったが、新堂自身満更でもなかった。 「お前が、俺の事が嫌でキスをしたくない訳じゃねぇのはわかった」 「それなら、良かったです。父の言いつけを言い訳にしてはいましたが、本当は、新堂さんとキスしたいのです。でも出来ないのです。触れるだけでこれだけ痛いのに、あなたの唾液を与えられればきっと苦しくて息も出来なくなってしまいますから」  新堂は目を見開く。脳内では怜央の「キスしたいのです」という言葉が木霊した。  袋の中に詰め込んでいた何かが爆発するような感覚。無意識のうちに新堂の手は怜央の方へと伸びていった。 「しかしながら、新堂さんのおっしゃるとおり手を握るだけでは十分にエネルギーの補充もシールドの補修も行えていないのが事実です。実はまだ抑制剤を服薬しているのです。でも、やはり一度ガイドの体液を摂取した経験があるせいか、薬の効きが悪くなっていて……何かしらの打開案を考えなければ、」 「打開案ならあるぜ」  何が「運命」なんて言葉に周りが踊らされているだ。 「キスをすればいい」 「――え」 「心臓が壊れる心配なんかする暇がないくらいのを、な」  これでは、一番踊っているのは自分ではないか。  忌々しささえも、どうしようもない熱情と一緒に混ぜ合わせて新堂は怜央の口を塞いだ。掴んだ肩が震えれば、咄嗟に身体を腕で拘束する。同時に無理矢理唇と歯の隙間をこじ開け、新堂は怜央の中へと入り込んだ。あの時と同じように逃げようとする舌を捕まえる。伊達に男女経験があるわけではない。戦闘技能は怜央の方が上だが、キスは自分の方が何枚も上手だな。新堂は謎の優越感に浸りながら怜央の口腔内を犯し続けた。  次第に怜央の口からは聞いたことがない艶めかしい声が溢れ始める。喉元からは何度も、二人のものが混ざり合った液を嚥下する音が聞こえた。 「どうだ? 心臓、壊れたか?」 「ん、あ……」  唇を解く頃には、怜央の目は熱に濡れ、蕩けきってしまっていた。まるで、とびきり甘いお菓子にでも出会ったかのように舌舐めずりをし、怜央は口を開き尖った犬歯を覗かせた。 「もっと……ください」  理性まで溶けてしまったらしい怜央の顔は、今まで見た新堂が見たどの表情よりも可愛らしかった。この表情をもっと早い段階で見ていれば、自分の心情にもっと正直になれていたのだろうか。 「いいぜ。いっぱい味わえよ」  新堂の言葉に怜央は微笑み自ら舌を出した。もう思考回路がまともに作動していないのだろう。いつもは頭の回転が速いはずの怜央の理性が壊れる様は新堂の官能を的確に刺激した。きっと、昔から怜央を知っている鏑木達も、こんな怜央の姿は知らないのだろう。そう思えばさらに熱が昂ぶった。  再び交された口付けは熱く濃厚なものになっていく。互いの唾液が卑猥に混ざり合う音を聞けば、互いに求めるように身体を重ね合い、指を絡め合った。  息継ぎのために口を離せば、濡れた怜央の瞳と目が合う。彼はしばらく新堂を見つめた後に急に冷静になったようで目を伏せた。 「ごめ……なさい、僕、こんなに……卑しく……」 「そんなことねぇよ。もっとあげたいくらいだ」 「ダメ、です……本当に、今日はもうキャパシティオーバーで……」 「そうだな。無理は良くねぇ。ゆっくり、慣れていこうな」 「は、はい」  そうしてその日は念願の怜央とキスをするというノルマを達成した新堂。そんな彼が怜央に次のステップを踏ませようと手を差し伸べた――というより手を出したのは早くも次の日だった。 「何で服を脱がせようとするのですか!」 「いや、お前いつでも上までぴっちりだからさ。息苦しいかと思って」  任務完了後の休憩室。エネルギー補給という名目での口付けを数回繰り返した後、怜央のシャツのボタンへ手をかけた新堂は怜央に綺麗な背負い投げを決められた。審判がいれば「一本」と高らかな声が上げられていただろう。  受け身をとらねば危なかったな。そう考え床に胡座をかいた新堂の頭には「軽率だったな」の「け」の字も浮かんでいなかった。 「お気遣い有り難うございます。ただ、そういった行動は変な勘違いをしてしまうので今後は慎んでいただけると助かります」 「勘違いって?」 「……僕の裸を見たいのかと」 「見たいって言ったら?」 「え、」  怜央が声を漏らすと、足下にいるムギが飛び上がった。本人の顔には出ていないがかなり驚いているようだ。しかし、直ぐ意を決したように服のボタンに手をかけた。 「嫌いにならないと約束してください」 「……え?」 「僕の裸を見て、僕を嫌いにならないって、約束してください」  新堂の返答を待たずに怜央は着ていたジャケットを脱ぎ、シャツの第一ボタンを外した。止めないでいると怜央は見る見るうちにボタンを外していく。ここで新堂はやっと踏むべき段を間違えていたことに気が付いた。  目先の欲にばかり囚われていた事を後悔しながら新堂は怜央に手を伸ばす。 「お、おい。そんな安々と裸を、」 「大丈夫です。いつか新堂さんにはお話ししなければならないことですし。むしろ、遅くなってすみません」 「何を言って――」  瞬間。新堂は息を呑んだ。  曝け出された身体に合ったのは無数の傷跡だった。切り傷のような痕もあれば鞭で打ったようなものもある。蛇が這うかの如く、怜央の身体には痕が刻まれていた。  それに右の鎖骨の辺りには何やら零が二つ並んだ刺青のようなもの見える。瞬間、新堂は以前――もう二ヶ月半ほど前に佐藤が言っていた「研究所時代」という言葉を思い出した。 「お前、それって――」 「醜いですよね。すみません。こんなものを晒してしまって。でも、バディのあなたにはちゃんと見て貰っておきたくて」  いつか同衾する日が来るかも知れませんし、と少し目を輝かせ怜央は自分の身体を撫でた。 「皆さんからお話を伺っているかも知れませんが、僕は幼少期からずっとタワーのとある研究機関いて身体に実験を施されてきました」 「実験……しかも人体実験って、そんな話し聞いたことがないぞ」 「新堂さんもタワーの支部長から伺ったんじゃないですか」  スッと目を細めた怜央の表情はいつになく冷たく見えた。 「僕は「秘密兵器」だって」  答えることもできず、唯新堂は怜央の眼を見つめる。いつの間にか彼は新堂の方へと距離をつめてきていた。 「秘密なので、新堂さんが知っているはずがないのです。それに、ある実験のせいでプロジェクト自体がなくなってしまいましたし」  遂に怜央は新堂の膝の上に乗り上げる。昨日までは「心臓が」等と言っていたのが嘘のようだ。言葉を話していると距離が掴めなくなるのだろうか。瞳孔が縮こまった怜央の瞳を見て、新堂はそんなことを考えていた。 「様々な実験を受けてきました。度重なる投薬や食事制限、人格矯正、人体実験。実験を行う内に、僕はどんどん五感も、身体能力も性格まで獣のそれに近づいていきました。そんな僕を見て、とある研究者が思いついたんです。「このまま、センチネルがガイドへの防衛反応無しに、野生化、もしくは同等の能力を発揮することが出来ないか」と。その実験のさなか、とある野生化誘導のための薬の投与のせいで、僕が、ダメになってしまって。脳が無意識に能力を抑制してしまったみたいで、凶暴性を封じ込めた代償に視覚以外の発達していた五感を失ってしまいました。今より大きかったムギ……僕のスピリットアニマルも、子どもの姿に戻ってしまいました。僕が使い物にならなくなった結果、プロジェクトは潰れ、僕は前から交流のあったSGSに。  ……だから、失敗作なのに、「兵器」としての危険性だけは有している。そんな誰にも望まれない存在なのです、僕は」 「そんな悲しいことを言うなよ。SGSのみんなだって、俺だって、お前の事を仲間だと思っている」 「でも、僕はいつ抑制している能力や凶暴性が爆発して「兵器」のように、「猛獣」のようになってしまうのか自分でもわからないのです。もしかしたら、ふとした瞬間に皆さんを傷つけてしまうかも知れない。この前のゾーンだって、何かの前触れかも知れないのです。そう思うと、怖くて」 「……お前が人との関わりを最小限に留めているのは、そう言う理由か」  きっと本当は今みたいにたくさん色んな事を、色んな人と話したいのだろう。それでも口を噤み、数年間共にいる仲間にも「無口」と評されるようになってしまったのは、痛いばかりの彼の優しさと不安から来るものだったのだ。考えるだけで、苦しく、新堂は服の上から胸を掴んだ。 「この体型も実験の後遺症で、どうやらこれ以上の成長は見込めないようなのです。いやですよね。こんな傷だらけで幼い身体なんて」  怜央は自分の鎖骨を、というより鎖骨の辺りに入れられた番号をなぞる。シリアルナンバーであろう零が二つ並んだそれが「れお」とも読める事に気が付き、新堂は無性に腹が立って怜央を抱きしめた。 「え、あの、新堂さ、」 「話してくれてありがとう。辛かったな」 「……ごめんなさい。もう、あの実験が辛かったのかどうかさえもわからなくて。今の僕の中にあるのは僕が被検体にされていたという過去だけなんです」 「でも、さっきからずっと、お前の声震えてるんだよ」  声だけではなく身体も震えている。新堂に指摘されてやっと自分の身体が、精神が平常ではないことに気が付いたらしい。怜央は唇を震わせついには声を上げて泣き始めた。 「何故でしょう。SGSの皆さんにも、同じ話をしたはずなのですけれど。どうして新堂さんに話すと、涙が出てくるのでしょう」 「何でだろうな。俺が特別だからか?」 「そうです。僕、タワーから運命の番――あなたのことを聞いて嬉しかったのです。僕は、父から運命の番となるガイド以外のガイドとの交流を規制されていましたから、もしかしたら自分にもパートナーが出来るかも知れないと、とても嬉しかったのです。でも、同時に凄く怖くて」 「傷つけてしまうかも知れないから?」 「それもありますが、それ以上に……」  怜央は新堂の首に頭を擦りつける。それは彼のスピリットアニマルが、よく新堂にしてくる行為だった。 「僕のことを知れば、あなたが僕のことを嫌いになってしまうのではないかと。そう思うと怖くて」  怜央の腕が新堂の背中へと回る。僅かに爪を立てられるのを感じ新堂は背筋を震わせた。 「新堂さん、新堂さん。いつ爆発するかも知れない、兵器のような、猛獣のような僕ですけど、僕のこと、嫌いにならないでください」  必死にしがんで来る怜央に新堂は頭を抱えた。こんなに健気に自分を思い慕ってくれる相手を、どうして嫌うことが出来るだろうか。 「嫌いになんてならねぇよ。むしろ、お前の事、護ってやりてぇって思ったよ」 「本当に? 嫌いにならない、ですか? 怖くないですか?」 「大丈夫だって。もしお前が暴走しても、俺が止めてやるから。だから、」  新堂はゆっくりと怜央の身体を床へと倒し、彼の耳へ唇を寄せる。 「もっと俺の事、求めて良いんだぜ」  その言葉に、怜央が抵抗することはなく、二人が横になる場所が床からベッドの上になるのにそう時間は要さなかった。 ========== 「いつかとは思っていましたが、こんなに早く同衾するとは思いませんでした」 「嫌だったか?」 「……よかったです」  いつもより遥かに長く休憩室を使ってしまったことを悪く思っているのか、怜央は目覚めて直ぐに慌てた様子で服を着込む。どれだけシャツのボタンを一番上まで閉めても、首元につけた赤い痕は隠すことが出来ない。新堂はほくそ笑み怜央に後ろから抱きつこうとする。だが、怜央がちょうど立ち上がり、新堂の腕は宙を抱いた。  トンチキな格好をしている新堂を特に気にすることもなく、怜央は頬を朱く染めると僅かに俯き自分の長い前髪を弄る。そして恥ずかしそうに唇を動かした。 「いつか、景さんとちゃんとした初夜を営む日が来るのでしょうか」 「……あれ、今日のは」 「今日のはエネルギー補給でしょう? それに、まだ僕たちはお付き合いをしていませんし。景さんがおっしゃったように、心で通じ合い、景さんに僕を番と認めていただけるよう精進しますね」  怜央は眼鏡をかけ、ビシッとジャケットを羽織ると惚れ惚れするほど姿勢の良い礼をして休憩室から出て行く。新堂は怜央の鈍感さと、今更、彼と出会った初日に一瞬でもノーサインを見せてしまった自分を恨むのだった。 「悩み事が解決したようでよかった」 「ご心配おかけしました。鏑木指令。まあ、新たな問題が発生しましたけど」 「いた環境が環境だ。もうちっと、付き合ってやってくれよ」  あらかたの事務作業を終わらせた後、新堂は鏑木から呼び出され司令官室へ向かった。どうやら倉井達に相談していたことは鏑木の耳にも入っていたらしい。報告も兼ねて新堂は鏑木との雑談に洒落込むこととした。 「早く、ムギとお揃いの首輪がつけられると良いな」  新堂の正面に腰を下ろしている鏑木はニコニコとしながら新堂の足下で丸くなるクロにそう話しかけた。センチネルとガイドは番になるとスピリットアニマルがお揃いの首輪をつける。それを心底楽しみにしているようで鏑木は相棒の鷹を撫でて鼻歌を歌い始めた。怜央に関する吉報が届いたからか今日はやけに上機嫌だ。 「それにしても、ガイドの君がセンチネルの怜央に積極的なのは意外だったよ。ガイドはセンチネルのことを「己を搾取する存在」としてみている事も多いと聞いたからな」 「俺もセンチネルにはあまり良いイメージを持ってませんでしたけど……怜央は「センチネルとして」ではなくて「怜央」として見てますから」 「……お前なら、怜央の良い番相手になると思うぜ。運命とか抜きにしてもな」 「期待されてますね」 「怜央があんなに人に懐いているのは初めて見たからな。あいつ、お前にふさわしいバディになるためにっていって、お前が帰った後に一人でトレーニングしているんだぞ」  鏑木の言葉に新堂は思わず声を上げる。そう言えば最中に怜央がやたら新堂のはっきりとした凹凸がある身体を眺めうっとりとしていたのを思い出す。自分を目指して頑張っているのだと思うと胸の中が焦がれるような気がした。  恥ずかしげにソファの背もたれで身体を擦る新堂に鏑木は大きく息をつくと、笑顔を絶やさぬまま口を開く。 「俺はな、お前なら怜央を連れ出してくれると思ってるんだ」 「連れ出すって、どこへ」 「タワーの外だよ。SGSも、あそこからは遠いが所詮タワーの中だからな」  鏑木の言葉に、新堂は制止する。何か返事を返そうと口を開いたところで司令官室の扉が開き慌てた様子の倉井が入ってきた。どうやら新堂の提出した書類にミスがあったらしく、至急直して欲しいとのことだ。新堂はソファから飛び上がると鏑木に一礼して司令官室を後にする。その一部始終を、鏑木は笑顔のままで見送った。 「運命の番が連れ出せば、さすがのあいつも怜央から手を引くと思うが――如何だろうな」  独り言を呟く鏑木の目線の先には、鏑木ともう一人、彼と同じ歳くらいの男が写った写真が飾られていた。

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