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第7話

 少し落ち着いた煜瑾を、文維は抱き起した。おそらくは、先ほど酒に混ぜて飲まされたであろう薬物の影響で、ふらつく煜瑾をしっかりと支え、文維は店員にエミリーへの伝言を頼んで、目立たぬようにパーティーを抜け出した。  上海が魔都と呼ばれた頃の、租界時代の建物をリノベーションしたビルから抜け出し、文維はバーを出る時にアプリで呼んでおいたタクシーを捕まえた。 「今も、兄上と自宅にいるのですか?」  文維が訊ねると、煜瑾は安心したのか眠りに落ちそうになりながら、素直にコクンと頷いた。そんな様子も無邪気で愛らしい。  文維は微笑ましく思いながら、高校時代から知る唐家の邸宅の住所をドライバーに告げた。  遠く清朝の満州貴族の血を引き、辛亥革命直前に欧州に亡命した唐家の祖は、その教養の高さと美貌、しかも当時欧州に流行していたシノワズリブームに乗って商才を発揮し、一代で大きな財を為した。それを元手に、代を重ねるごとに唐家は裕福になり、欧州にも盤石の基盤を築くことができた。  そして、唐家の分家となった煜瓔・煜瑾兄弟の父は先見の明があり、早くに母国に戻った。 発展途上の上海で大きな商売を始めると、すぐに成功を収め、2000年に2008年の北京オリンピック開催決定したのをきっかけに、その後の上海万博開催も後押しし、中国の景気が一気に活性化するとますます唐家は裕福になった。  血筋や家柄が良く、欧州に強いパイプを持ち、大富豪の唐家は上海でも尊敬を集めたが、20年前に唐夫妻は、イギリスに留学中の長男と、幼い次男を残して交通事故で急逝してしまう。  長男・煜瓔はすぐに帰国し、両親の事業を引き継ぎ、幼い弟の面倒を見るようになった。   弟・煜瑾が寂しい思いをしないようにと、兄・煜瓔は心を砕いてきたが、それが結果として弟を溺愛し、過保護になってしまった。  包文維の一学年後輩である唐煜瑾は、文維の従弟である羽小敏と同い年の29歳であるはずだが、自身は欧州への留学経験を持ちながら、兄の煜瓔は弟に留学は許さず、海外旅行も常に兄と一緒と決められていた。  また、事あるごとに話題になる美貌に、幾度となく芸能界から煜瑾に声が掛かったが、煜瓔は厳しく監視し、煜瑾にスキャンダルが近寄らないよう警戒していた。  そのため、社交界にも煜瑾が顔出すことはほとんど無く、大きな邸宅の奥にしまい込まれた「宝物」だ、「深窓の王子」だと噂されるようになったのだ。  元来、大人しく人見知りがちな煜瑾には、兄からの干渉は、それほどには苦痛では無かったが、小敏と同じ大学を卒業後、新しい友人を作ることや新しい経験をすることが減ってしまったことは、すこし寂しいと思っていた。  大学卒業後、煜瑾は、兄から家業を手伝うように言われたが、与えられた仕事は、実質、兄の煜瓔が安心して仕事が出来るように、目の届くところにいるように、という、まるでペットか美術品のような役割しか与えられなかった。  29歳で、才能も豊かで、聡明な煜瑾には、少し物足りない毎日ではあったが、それでも、それが普通だと思っていた。それ以上の冒険を望むつもりはなかった。  いや、自分は今以上の幸せを望んではいけない。望むことは恐ろしい事なのだと、なぜか煜瑾は思い込んでいるところがあった。

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