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第8話

「着きましたよ、煜瑾(いくきん)」  タクシーが、租界時代の洋館を模した大きな邸宅の、玄関の車寄せに停まった。  やはり眠り込んでいた煜瑾を、文維(ぶんい)は驚かせることの無いように、ソッと声を掛けた。  眠っていた煜瑾を抱きかかえるようにしてタクシーを降り、ドアを閉めた時だった。 「煜瑾!」  (とう)家の玄関が開き、すらりとした長身の男性が飛び出してきた。  ぐっと大人びてはいるが、煜瑾と似通った美貌を持つ紳士は、唐家の現当主であり、煜瑾を溺愛する兄である唐煜瓔(とう・いくえい)だった。唐家の兄弟は「才色兼備兄弟」として上海では知られている。 「どうした、煜瑾。何があったんだ!」  車の停まった音に、弟の帰りが遅い事を心配していた兄・煜瓔は急いで玄関に迎えに出た。  そこには、大事な弟である煜瑾が、見知らぬ男に抱かれて、まるで口づけを交わしているようにして立っていたのだ。黙っておられるはずが無かった。  顔色を変え、男と煜瑾の間に割り込み、奪うように弟を腕の中に取り戻す。すると煜瑾はぐったりとして、顔色も悪かった。 「唐煜瓔兄さん。ご無沙汰しております。唐煜瑾くんとは同じ高校だった包文維です」  深く落ち着いた声に、煜瓔も冷静になって振り返った。  そこに居たのは、確かに見覚えのある包家の令息だ。 「弟に…、煜瑾に何があった?」  ぐったりと弱った様子の煜瑾を抱き上げ、煜瓔は文維を促して邸内に戻る。  ドアの前には、文維の記憶通りであれば、イギリスの名門バトラースクール出身だと言う、本物の執事がいる。この邸宅には、執事やらメイドやら庭師など時代錯誤な使用人が、まだ存在しているのだ。  有能な執事の指示で、屈強な下男の1人が「王子」を受け取り、寝室へ運んで行く。その後ろを、メイドより上級の家政婦が、世話をするために追いかけていくのを、文維は目で追った。 「包家の文維だったね。確か今は、医者になったとか?」  理性を取り戻した唐煜瓔は、穏やかな息遣いに戻り、静かな口調で文維に話し掛けた。  そして、文維は玄関の脇にある、洗練されたインテリアの並ぶ部屋に案内された。訪問者を一時的に待たせるためだけの客間らしい。  貴族的なアンティークのソファを勧められ、文維は腰を下ろした。  中国人富裕層の間で、やれロココ調だ、アールヌーボー様式だと西洋アンティークを模した家具が人気だが、この唐家にある物だけは、「アンティーク風」ではなく、本物の海外貴族から買い取った貴重な骨董品ばかりだ。  さすがに、唐家は風格が違うと文維も感心していたところ、先ほどの香港人の執事がメイドを伴って入ってきた。

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