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第9話

「お時間が遅いので、温かいハーブティーをご用意させていただきました」  執事の言葉と同時に訓練されたメイドが、澱みない動きで包文維(ほう・ぶんい)の前に熱いハーブティーを注いだカップをソーサーごと置いた。  その向かいに唐煜瓔(とう・いくえい)も座り、メイドにお茶をサーブされるのを待った。 「煜瑾(いくきん)お坊ちゃまは、かなりお酒を召しておられるようでしたので、ミント水を多めにお飲みいただき、お休みいただきました」  執事が丁寧に報告すると、煜瓔は閑雅で美しい態度で頷いた。 「安定剤などのお薬は飲ませていないでしょうね」  ふと思いついて、医師である文維は執事に確かめた。 「はい。お酒の量が心配でしたので、ミントの葉を入れた白湯だけでございます」  突然の訪問者である文維に対してまで、執事は礼儀正しく答えた。 「下がりなさい」  煜瓔が使用人たちを退出させた。  その執事が「時間が遅い」と言っていたのが気になって、文維が高級なスイスの腕時計で確認すると、まだ10時過ぎだ。  一般的な29歳の男が、外に遊びに出て帰宅するには十分早い時間だと言える。それすらも、唐家の「深窓の王子」には許されないのだな、と文維は思った。 「それで、煜瑾に何があったのか、君は説明できるのかね?」  唐煜瓔は、弟の煜瑾同様に、爪の先まで綺麗に整えた手で文維にお茶を勧めながら質問をした。 「煜瑾が、エミリー・シューの誕生日パーティーに行ったのは御承知の上の事ですか?」 「ああ。彼女から、ぜひ煜瑾に顔を出して欲しいと言われた。彼女には、逆らえないからね」  苦い笑みを浮かべて唐煜瓔は言った。 「私も、彼女直々に電話を貰って、急にパーティーに出ることになりました。その会場で、煜瑾が酔わされて、知らない客に絡まれていたところに遭遇したので、引き離し、介抱して、ここまでお連れしただけです」  決して、煜瑾を救い出したことが、自慢げや恩着せがましく聞こえないように配慮しつつ、文維はありのままに唐家の主人に述べた。 「ただ…」  最後に言いにくい事を、文維は言い添えた。 「おそらくはレイプドラッグの(たぐい)を盛られたと思います。意識障害が出ていました」 「!」  余りのショックに、唐煜瓔は普段から心掛けている上品さも忘れ、大きな音を立てて、手にしたカップをソーサーに戻した。1客が600元(約1万円)ほどもする、有名ブランドのティーカップが欠けたのも、唐煜瓔は意に介さない。むしろ唐家の持ち物の中では、安価なものだからだろうか。 「レイプ…ドラッグ…。そんなものを煜瑾に…」  愕然とした表情でさえも、端整で美しい唐煜瓔は、青ざめたまま救いを求めるように文維を見た。 「いいえ。取り返しのつかないことになる前に、煜瑾は、私と医務室に逃れました」  すぐに文維は唐煜瓔の望む答えを与えた。

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