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第10話

「そうか…。良かった…。無事なのだね、あの子は…」  ホッとした表情の唐煜瓔(とう・いくえい)に、文維(ぶんい)はもう一度しっかりと頷いた。  そして、29歳にもなる弟を、この男性はまだ「あの子」だと認識しているのだ、と文維は確信した。  そう言うことなのだ。  だから夜は10時までに帰らないと心配するし、文維が送って来た時も動揺したのだろう。煜瑾が何歳になろうと、唐煜瓔には関係が無い。いつまでも自分の庇護を必要とする小さな可愛い存在なのだ。そうあって欲しい、そうでなければならないと、信じ込んでいるようだ。 「ありがとう、包文維。君がいてくれて、本当に助かった。感謝する。お礼も、何でも言ってくれていい」 「お礼だなんて、とんでもありません。煜瑾は、私にとっても後輩ですから」  謙虚な態度で文維が言うと、唐煜瓔は満足そうに微笑んだ。 「ですが…」  文維は柔らかな態度を切り替えるように、真剣な医師の表情になって唐煜瓔を正面から見つめた。 「ですが、煜瑾はパニック発作を起こすようですね」 「!…今夜も、何か?」 「過呼吸を起こしました。すぐに発作は収まりましたが…。原因は分かっていますか?」  医師として信頼のおける態度の包文維に、唐煜瓔も心を開いたのか、ホッとした表情を見せながらも、不安な目の色を隠さなかった。 「そうか…。また、過呼吸発作を…」  唐煜瓔は、弟と同じく黒く深い瞳を曇らせて呟いた。 「どうか、そのことは伏せて欲しい。あの子を追い詰めたくはない」  文維は深く頷いた。 「承知しています。私は、今、心理的なストレスを持つ人向けのクリニックを開業しています。もし、よろしければ、私に煜瑾を診察させていただきたいのですが」  その一言に、伏し目がちだった唐煜瓔が、ハッと顔を上げた。やはり、煜瑾と通じた侵し難い気品のある美貌だ。文維はそれを冷静に見つめた。 「実は、煜瑾には何度かカウンセリングを受けさせたことがある。だが、誰もパニック発作の治療はもとより、原因さえ究明出来ずに終わっている。しかし、煜瑾と君は昔からの友人だ。なにか別のアプローチから治療できるかもしれない」 「お約束は出来ませんが、私としても、苦しんでいる煜瑾を放ってはおけないので」  唐煜瑾はスッと、その感心するほど美しい手を文維に差し出した。 「包先生。弟のこと、よろしくお願いします」  文維は誠実に、しっかりとその眼を見ながら握手をした。 「では、明日、煜瑾と相談の上、私のクリニックに予約をお願いします」  そう言って文維は内ポケットから名刺入れを取り出し、唐煜瓔に差し出した。 「お待ちしております」  文維が立ち上がり、一礼すると、唐煜瓔は笑顔で会釈を返した。

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