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第13話
「適当に座っててよ」
小敏 は1人暮らしだ。
このアパートは単身者用だが、2LDKの広々としたもので、もちろん人民解放軍の幹部である父親のコネで購入した優良物件だった。
玄関を入って短い廊下を行くと突き当りがリビング。
そこに並ぶソファのどれかに座るように言われ、向かって右手のほうにあるキッチンが見渡せるほうのソファに腰を下ろした。
玄紀 が思った通りに、小敏はキッチンへ向かい、グラスを出し、冷蔵庫から日本製だという100%果汁の高級な林檎ジュースを注いだ。
その後ろ姿を見ながら、玄紀は切なくなる。
いつも、この背中ばかり見ているような気がする。大好きな笑顔や、甘い考えの多い玄紀を親身になって心配してくれる真剣な顔など、ちゃんと小敏はこっちを見てくれていると分かっているけれど、なぜか気が付くと玄紀は小敏の背中ばかり見ている。
こっちを見て欲しい。自分だけを見て欲しい。いつもそんな風に思っているせいなのだろうか。
できれば、この背中を抱き締めたいとさえ思っている。そんな玄紀の気持ちに、小敏は気付いているのだろうか。
「それで、ドイツに試合に行ってたんだっけ?」
ようやく思い出したのか、林檎ジュースを差し出しながら小敏は微笑み、玄紀の向かいに座った。
「そうです。ウチのスポンサーと同列企業がドイツのチームを買収したから、親善試合に呼ばれたんです」
申玄紀 は、大学時代からナショナルチームのユースメンバーとして選抜され、卒業後は大連の強豪チームにいきなりレギュラーとして入った。
今では必勝選手としてチームの花形スターであり、どこか寂し気な表情が似合う端整な見た目も話題となって、広告契約も数多く、あっと言う間に天文学的な収入を得るようになった。
しかし、玄紀自身、元々が有名な食品メーカーの御曹司であり、サッカー以外に特に趣味も無かったので、莫大な収入の内から多額な寄付なども行い、社会的評価も高まっていた。
そんな、人気、実力共に有する申玄紀だが、元々が純粋な性格だからか、奢るようなこともなく、ファンに対しても気さくに応じることで知られ、サッカーに興味がない女性ファンも多かった。
28歳の人気スター選手でありながら、申玄紀がスキャンダルにも巻き込まれずに済んでいるのは、本人が慎重であるとされているが、その本当の原因は、この羽小敏にあるのだとは、本人以外に誰も知らない。
高校時代から心惹かれている羽小敏 に嫌われたくない、誤解されたくない、などと思い続け、そのために行動が慎重だと見られるようになっただけだった。
「そうだったねえ。ボク、ついつい玄紀が有名なサッカー選手だってことを忘れちゃうんだ」
「別に、小敏とはサッカー選手として会ってるわけじゃありませんからね」
優しい小敏の笑顔を観るのが2週間ぶりであることを思い出し、じっと見つめられた玄紀は、急に胸がドキドキして、慌ててグラスを手にすると、ゴクゴクと音を立てて飲み干した。
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