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第17話
水曜日の午前10時。
案の定、唐煜瑾 は兄、煜瓔 に付き添われて、静安寺地区のビジネス街にある、オフィスビル内の、包文維 ドクターのクリニックに現れた。
淡いミントグリーンを帯びたマオカラーのジャケットは、相変わらず最上級のシルクで作られている。唐家の深窓の王子様である、煜瑾が着るには相応しい逸品だろう。しかし、縁取りの鮮やかな緑や、胸元の草花の刺繍は見事だが、色白の煜瑾には少し顔色を悪く見せるようで、文維は残念に思った。
文維の顔を見た煜瑾は、緊張した様子だったが、それでも薄く微笑んだ。
(いつ見ても、キレイな子だなあ)
こちらもいつも通りの感想を抱き、文維は煜瑾を見つめた。
気品に溢れ、端整な顔立ちは、さすがに兄弟だけあって良く似ている。
だが、自信に満ち、高貴なものとしての威厳さえ感じる兄の煜瓔に比べ、煜瑾はどこか不安そうで頼りげない。そう言うところが、あの夜のような下卑た男たちに隙を与えてしまうのかもしれない。
「ようこそ、煜瑾。今日は初回ですから、リラックスして下さいね」
そう言って出迎えた文維は煜瑾の手を取って、待合室の落ち着いた花柄のソファに座らせた。
「簡単な問診票にご記入していただきます」
そう言って張女史が用紙を差し出すと、それを当然のように兄・煜瓔が受け取った。
「身分証と、医療保険の番号は私が記入しておこう」
そう言って、1本5000元(約8万5千円)もするボールペンを、高級なカシミアウールのスーツジャケットの胸ポケットから取り出して、煜瓔は弟の問診票に記入しようとした。
「いえ!」
それを動じた様子も見せずに、手早く取り上げた張女史は、ニッコリと微笑み、丁重に断わった。
「カウンセリングの一環ですので、ご本人の自筆以外はお断りしております」
そう言って張女史は、煜瑾に、近所で買った5元(約85円)のボールペンと共に、兄から取り上げた問診票を手渡した。
「では、こちらの待合室は、いつ次のご相談者が来られるか分かりませんので、ご相談者以外はお引き取り下さい」
丁寧というよりは、どちらかと言えば慇懃無礼な態度で、張女史は唐煜瓔に迫った。
「しかし…」
不服そうな兄に対して、煜瑾は従順な、それでいてハッキリとした口調で言った。
「お兄様、私のことならご心配はいりません。帰りも、迎えは無用です。1人で帰れますから」
「煜瑾…しかし…」
納得のいかない顔で、味方を求めるように煜瓔は文維の方を見た。
「もし、よろしければ、煜瑾のカウンセリングの後は昼休憩になりますので、昼食を兼ねて、私がお送りしますよ」
それは煜瓔の求める答えでは無かったが、それでも煜瑾をカウンセリングの後で1人にすることを思えばマシな選択だと思った煜瓔は、渋々それを受け入れることにした。
「いいだろう。煜瑾も文維先生と昼食をお相伴して来なさい。私はオフィスで待っているから、必ず午後には顔を見せるのだよ」
「はい、お兄様」
まさに後ろ髪を引かれるように、何度も振り返りながらクリニックを後にする唐煜瓔を見送って、残った3人は、揃ってホーッと大げさな溜息をついたのだった。
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