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第22話
カウチに座っていた煜瑾 だったが、急に文維 が近付いたことで、反射的に身を引いてしまった。
「あっ!」
その弾みにカップの中のミルクティーが少しこぼれてしまう。
「煜瑾!大丈夫ですか」
文維は慌ててソーサーごとカップを受け取り、煜瑾の手を取った。
熱い紅茶を用意した文維は、煜瑾の綺麗な指先が火傷 でもしていないか心配で、慌てて確認する。
「ご、ごめんなさい、文維…。私は…」
「ああ、少し赤くなっていますね。すぐに冷やしましょう。…こちらへ」
真剣な顔をしている文維に逆らうわけにもいかず、煜瑾はその手を取られたまま、立ち上がった。
文維は部屋の隅へ煜瑾を誘導すると、目立たないドアを開いた。
そこは意外にバスルームになっていて、手前に洗面台があり、奥にはトイレとガラス張りのシャワーブースがある。
心理的なカウンセリングルームに、なぜシャワー室が必要なのか、煜瑾は疑問に思ったが、それよりも火傷を気遣う文維に、煜瑾は心から申し訳ない気持ちになる。
「ね、文維…。これくらい、私は何でもないから…」
そう言って、強く握られた手を引こうとするのだが、文維は頑として放さない。
洗面台の蛇口から冷たい水を出すと、ソッと煜瑾の手をその流水の中へ差し入れた。
「痛いですか?」
水の冷たさにビクリとした煜瑾に配慮して、文維は密やかな声で訊いて来る。それに、煜瑾は黙って首を横に振った。
「申し訳ありません。つい昔のつもりで気安く動いてしまって…。驚かせてしまいましたね」
煜瑾が責任を感じないよう、文維は自分に非があるように言った。
「いいえ…。私が悪いのです。大げさに驚いたりして…。ごめんなさい」
そんな素直な煜瑾に、文維はスイと目を細めた。
高校時代の煜瑾は、気位が高すぎて、人に謝るということを知らない子だった。気に入らないと黙り込んで1人離れた場所で、ふっくらとした可愛い唇をそっと噛んでいる…、そんな気難しい子だった。
それが、無邪気で明るい羽小敏と友人になることで、気さくに「ゴメン」ということを覚え、煜瑾のように高貴で美しい子が「ゴメン」と言えば大抵の事は許されるのだ、ということも知った。
けれど今は、「ごめんなさい」と言っても文維は許してくれそうにない。しっかりと煜瑾の手を握り、自分も冷たいだろうに、じっと流水の中で我慢している。
それだけならまだしも、まるでその胸の中に抱き留めるような距離で寄り添ってくれているので、煜瑾のドキドキはさらに激しくなる。
(文維に…聞こえてしまう…)
大きな心音が文維に不審がられるのではないかと、煜瑾は気が気でない。
少しでも自分の心臓を落ち着かせようと、煜瑾はスッと大きく息を吸って深呼吸をした。
(あ…)
その時、文維から煜瑾の大好きな匂いがした。先ほど口に入れたキャラメルキャンディの香りが、文維の息遣いと共に密接している煜瑾に届いた。
思わず、煜瑾は文維の口元を見てしまう。
先日の夜、エミリー・シュ―の誕生日パーティーで、無理やりにお酒とドラッグを盛られた煜瑾が朦朧としたところを文維に助けられた。その後パニック発作から過呼吸になった煜瑾に水を飲ませてくれた光景が頭に浮かんだ瞬間、煜瑾の白い顔が、火が点いたようになった。
今、目の前にある甘い香りのする唇が、煜瑾のそれを塞いでいたことを、やけに鮮明に思い出したのだ。
「どうしました?」
そんな煜瑾に気付きもしないのか、文維は優しく穏やかな声で囁きかける。その声と呼気の甘さに、煜瑾はますます動揺してしまう。
(ダメだ…いけない…。私は、文維を好きになってはいけない…)
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