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第34話

 親しみやすく安全な食品メーカーとしてのブランドイメージを持ち、お菓子を始め、冷凍食品や缶詰、最近では離乳食や介護食など、時代を先取りした幅広いビジネスを展開する玄紀(げんき)の父・申軒撰(しん・けんせん)は、冷徹なビジネス視点を持つ、クールでシビアな紳士だ。確かに商売人として人を逸らさぬ愛想の良さはあるが、根は頑迷で気難しいところがあった。  後継者であるはずの玄紀が、プロのサッカー選手を目指すと言い出した時も、かなり厳しい態度だったが、これは物になると確信した途端に、大いに後押しし、あっと言う間に玄紀をスターに伸し上げるきっかけとなったのだ。  世間的には息子可愛さの美談ということになっているが、実はビジネス上の勝算を見越しての冷静な判断だった。 「今日は、新製品の冷凍食品の試食会らしいです」  不承不承といった感じで玄紀が言った。 「あ、冷凍ピザのポスターを見たよ。玄紀が大きな口を開けてピザを食べようとしている写真の…」  ハッと思い出した小敏(しょうびん)が言うのを、玄紀は少し嬉しそうに笑った。  小敏がどんな形であれ、自分を見てくれたことだけで、玄紀は嬉しいのだ。 「試食会ってことは、あのピザも食べられるのかなあ?」  小敏が、ちょっとおねだりするように、玄紀を甘い上目遣いで見た。それだけで、玄紀の頬に朱が上り、頭もポーっとなっている。 (何をやっているんだか…)  隣で文維(ぶんい)は呆れているが、顔には出さない。けれど、この2人の関係が気になるのも確かだった。それは好奇心というよりも、心配に近い。  催事場に到着すると、悲鳴のような歓声が上がった。確かに思いの外に来場者は少なかったが、それらのほとんどは、新発売の食品よりもスター・サッカー選手である申玄紀に興味がある女性たちだった。  デパート側のスタッフに守られ、玄紀は魅力的なイメージキャラクターとして壇上に案内されて行く。それを見守りながら、小敏と文維は少し離れた場所に立った。 「申玄紀に、少し冷たいんじゃないのか、小敏」  小声で、顔を見ようともせずにサラリと文維が言うと、小敏は珍しく大人っぽい表情で笑った。 「期待、持たせちゃ悪いからね」  思いがけない分別のある答えに、文維はふと小敏の横顔を見た。  そこにはいつもの人の良い、無邪気な笑顔ではなく、老成した、疲れを感じさせる、ほんの少し哀しそうな顔をした従弟がいた。 「小敏、悩みがあるなら、私に話してしまいなさい」  駐車場で言った言葉を、文維はもう一度繰り返した。長年の付き合いで、この羽小敏の心に何かが痞えているのは間違い無かった。 「イヤだよ。精神科医に相談するの、なんて」  冗談めかして文維を振り返る小敏は、いつもと同じ素直で明るい笑顔に戻っていた。

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