35 / 201

第35話

 SNSの力もあってか、申玄紀(しん・げんき)が現れたという情報が広がると、デパート中の人間が集まったのではないか、というほど催事場は人であふれた。さらに、多くの人が高島屋を目指して集まっているという。  居場所に困っていた羽小敏(う・しょうびん)包文維(ほう・げんき)に気付いた申玄紀の父が、秘書に言いつけて、2人をバックヤードに案内させた。 「久しぶりだね、2人とも。今日は玄紀の応援に来てくれたのかね?」  相変わらず一部の隙も無いダンディな姿の玄紀の父に、さすがの小敏や文維も圧倒される。身なりの良さだけでなく、大企業のオーナーとしてのカリスマ性や有能なビジネスマンとしての冷徹な眼差しに気後れするのだ。 「ある物で悪いが、我が社の新製品だ。君たちの意見も聴かせて欲しいな」  そう言って申社長が用意させたのは、小敏が楽しみにしていた、冷凍ピザとミネラルウォーターだった。 「羽小敏は、日本の食べ物の味を知っているからね。ぜひ試食して、アドバイスを貰いたいね」  冷凍食品やレトルト食品などの生産量は圧倒的に中国が伸びているが、技術としてはどうしても日本の後追いとなるので、申社長の目標は日本製品を越えること、になる。 「いただきます!」  小敏が遠慮なく手を出すと、珍しく申社長も相好を崩し、文維にも、熱いうちに食べるよう勧めた。 「あ、美味しい…。日本のコンビニの冷凍ピザが美味しくて、たまに食べるのを楽しみにしていたんだけど、そんな感じ。生地の香りまで良くて、トッピングのトマトやバジルもフレッシュな感じがしますね」  小敏が出された一切れを食べてしまい、ちょっと物足りない顔をすると、それに気付いた秘書がすぐに残りを切って差し出した。仕事に厳格な申社長の秘書ともなると、これくらいの気遣いは当然なのだろう。 「確かに、バジルも新鮮さがありますし、チーズもマイルドながら、深い味わいがします」  アメリカでピザのデリバリーを飽きるほど食べた文維が、感心するほどの上質なピザだ。その辺の怪しいイタリアンレストランで食べるよりは、よほど本格的な味わいがする。 「チーズは、今回の冷凍ピザ開発のために、自社農場で新たに研究開発させたものなんだ。分かって貰えるとは嬉しいね」  渋くてダンディな申社長だが、仕事に対しては一途で、正当な評価をされると嬉しくてならないようだ。 「トマトやバジルの鮮度も、日本の最新技術を導入した我が社だけのもので…」  悦に入って説明を始めた申社長だったが、そこへ玄紀が先ほどの笑顔も忘れたように、疲れた顔をしてスタッフに庇われながらバックヤードに戻って来た。 「お疲れ様、玄紀」  なんのわだかまりも無い文維は、そう言って玄紀を迎えるが、何かが気に入らない様子の玄紀は返事もせずに、小敏の隣にドカリと座り込んだ。 「ありがとうね。玄紀のおかげで、美味しいピザが食べられたよ」  小敏が嬉しそうに言うが、それさえも玄紀は耳に入らないほど疲れているようだった。

ともだちにシェアしよう!