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第44話

 金曜日の午後、包文維(ほう・ぶんい)は意外な人物からの誘いに驚いたものの、断る理由もなく、その日の夕食の約束をして、クリニックにかかって来た電話を切った。 「いいんですか?」  半笑いで、からかうように、医療秘書の張春梅(ちょう・しゅんばい)が文維に尋ねた。 「何が、ですか?」  意味が分からない様子で、文維は仕事の時にしか付けないメガネを、クイッと持ち上げた。 「(とう)家の王子様の知らないところで、他の人とデートだなんて」 「デートじゃありませんよ。単に、従弟(いとこ)との夕食です」 「それでも…」  ニヤニヤと意味ありげに笑う張女史に、文維は妙なプレッシャーを感じてしまった。 「30分後に次の患者が来ますから、それまで、診察室にいます」  言い訳するように、文維は張女史のいる待合室から逃げるように、隣の部屋へ急いだ。 (煜瑾(いくきん)が、小敏(しょうびん)とのことで本気で嫉妬するようになれば、本物だけどねえ)  思わずそんなことを考えてしまう自分に慌てて、文維は診察室の隅にあるデスクに座って次の患者のカルテを読み始めた。 (しかし…、小敏も最近何かに悩んでいるようでもあるし、もっと早くにこちらから声を掛けるべきだったかもしれないな)  気が付くと、文維は小敏の事ばかり考えてしまい、次の患者に集中できなくなっていた。 (こんなことでは、プロのカウンセラー失格だぞ、しっかりしろ!)  文維は自分で自分を励まし、一度席を立って自分で紅茶を用意した。  それは、煜瑾のお気に入りのアールグレイで、今度は唐煜瑾のことを考えて心が乱される。 (煜瑾のトラウマには、「大人の男」「飲酒」「強引な性的な接触」が関係している…。次は、煜瑾がこれらの要因に、いつ、どこで接触したのか、ということだが…。ここからが難しいな)  今では煜瑾は文維をすっかり信用して、心を開き、明るくなった。しかし、ここから先は信用している相手だからこそ、「真実」を口にするのは煜瑾にとって苦痛となるだろう。しかしそれを引き出し、受け入れることで、本当の意味での傷が塞がるのだ。 「ウィニー!また会いに来てあげたよ~!」  突然に診察室のドアが開いて、陽気な上海セレブが現れた。 「ようこそ、ジミー。エミリーの誕生日パーティー以来じゃないかな?3回ほど、予約をキャンセルしていますね」  相変わらず医療用マリファナの匂いをさせたジミー・ヤオを、カウチソファに座らせると、ちょうどいいタイミングで、張女史がドアをノックする。  彼女が差し入れた、1階のカフェから運ばれたカップを2つ受け取り、文維は頷いた。 「さあ、お待たせしました。いつもの物ですよ、どうぞ」

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