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第52話
そこまでで、文維 には十分だった。
「落ち着いて、煜瑾 。私です、包文維 ですよ」
優しくそう囁きながら、打って変わったように文維は、押さえつけていた力を緩め、煜瑾を自由にした上で、改めてソッと抱き寄せた。
「もう大丈夫。君は、もう安全です。ここにいるのは君と、私だけです。心配しないでいいですよ」
だが、煜瑾は脱力状態のまま、泣きじゃくるばかりだ。
「イヤです…。助けて、お兄様…。怖い…。痛い…、苦しい…」
煜瑾は、トラウマとなった事件の記憶にすっかり溺れていた。早く引き上げなければ、また過呼吸を起こし、危険な状況にならないとも限らない。
「煜瑾…、私ですよ。唐煜瑾 、しっかりして下さい」
先ほどとは別人のような優しさで、文維は、煜瑾の頬を温めるように、大きな掌を当てた。
「煜瑾!もう大丈夫です。私が助けますよ。何も怖くありませんからね」
「…文維?…文維なのですか…?」
朦朧としながら、少しずつ煜瑾は文維が分かるようになってきた。
「煜瑾!」
そうなると、文維はしっかりと煜瑾を抱き寄せ、落ち着くように、ゆっくり背中を撫でた。
「落ち着いて、煜瑾…。大丈夫…、もう君は安全ですよ…」
「文維…、文維…」
煜瑾はもがくように、文維の服を掴み、胸に縋り、泣き続けた。
「知られたく…、無かった。…あなたには、知られたくなかったのに…」
「煜瑾…」
文維は我に返って、なお泣きじゃくる煜瑾を包み込むように抱きしめた。
「心配しないでいいんです。過去に何があったとしても、私の、君への気持ちは変わりませんからね」
「ウソです…。こんな、こんな私は…」
煜瑾は震えながら、文維の腕の中から逃れようとした。
「騙していてゴメンなさい。こんな私は、文維に優しくされる資格なんて無いのです」
「そんなことを言わないで下さい、煜瑾」
文維のほうは、ひたすら狼狽する煜瑾を引き留めようと胸に抱き、耳元で囁き続ける。
「私には分かっています。煜瑾に、非はありません。煜瑾は、何も悪くないんですよ」
文維は何度も繰り返し、煜瑾に納得させようと試みた。
「煜瑾は悪くない…。何も悪くないんです。怖い目にあったでしょうが、もう大丈夫。これからは、私がずっと守りますからね」
そして、煜瑾を怯えさせないように気を付けながら、文維は、誠意の込められたキスを、その額にソッと落とした。
「もう、大丈夫です。煜瑾に、もう恐ろしい事は起きませんからね」
「文維…、でも…、でも…私は…」
不安な煜瑾は、混乱しているのか、体を硬直させ、文維の優しさにも身を任せようとはしない。
「私を、信じて下さい…煜瑾」
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