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第53話

 煜瑾(いくきん)が目を覚ますと、そこは見慣れない天井だった。  不安になって頭を巡らせると、ベッドの端に浅く腰を掛けてこちらを見詰めている包文維(ほう・ぶんい)と目が合った。  そこでようやく、ここが自分1人の力で作り上げた小さな世界である、アパートの寝室であるのだと、煜瑾は気付いた。 「…文維…?」  夢かと思い、煜瑾は1度、重そうなほどの睫毛を下げて、再び目を開けた。 「目が、覚めましたか?」  その気持ちを安らげるような穏やかな声に、煜瑾はこれが夢では無いのだと確信した。 「どう…して…?」  驚くほど声が枯れていて、煜瑾自身、訳が分からず、文維を問うように見返してしまう。 「今、温かい飲み物を持ってきましょうね」  見慣れた柔和な笑顔にホッとした一方で、煜瑾は自分の身に何が起きたかを思い出した。  文維によって、過去の記憶を引き出され、泣いて、泣き崩れて、そして、そのまま泣き疲れて眠ってしまったようだった。 (文維に…、知られた…)  その瞬間、煜瑾は無心で叫んでいた。 「行かないで、文維!」  忌まわしい過去を、好きな人に知られたことで、嫌われ、見捨てられるのが、煜瑾は怖かった。 「どうしました?」  キングサイズのベッドの真ん中で眠っていた煜瑾だったが、立ち去ろうとする文維に追いすがるようにベッドの端に手を伸ばした。  それに気付いた文維は、イヤな顔1つせず、すぐに煜瑾の傍に戻ると、その心細げな手を取り、引き寄せると、温かな胸に抱き寄せた。 「何も、怖い事などありませんよ。煜瑾のことは、私が守りますからね」  優しい声で囁かれ、煜瑾はホッとしたはずなのだが、どこか不安が拭えない。 「リビングで、一緒に温かい飲み物をいただきましょうか?」  文維の提案に、煜瑾は素直に頷いた。  煜瑾にとって不安の匂いに満ちた寝室を出て、2人はリビングのクリーム色のソファに並んで座った。  煜瑾は、すっかり委縮してしまい、自分の両腕で自分の肩を抱きかかえるようにして俯いている。 「ホットミルクにしましょうか」  文維の声に、深い思いやりを感じながら、煜瑾は小さく首を縦に振った。  それを確かめ、文維は立ち上がりキッチンへ向かった。  僅か数分のことであるのに、煜瑾は文維がキッチンから戻るまでの間、孤独で震えた。  過去の、あのおぞましい「事件」のことは、兄である唐煜瓔も知らない。誰も知らない、煜瑾1人が抱える秘密だった。  それを、一番知られたくないはずの相手に暴かれ、知られてしまったのだ。煜瑾が絶望しても当然のことだと言える。  そして、湯気の上がるマグカップを2つ持った文維が戻った。  その笑顔に、もうこの男無しでは、自分は生きてはいけないのだ、と、煜瑾は、心臓が締め付けられた。

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