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第60話
「文維 は、煜瑾 を運んであげてよ。僕は玄紀 に掛ける物を探してくる」
小敏 に言われて、文維は立ち上がった。
文維を帰したくないとゴネたままに、眉間に皺を寄せ、ほんのちょっと、長く黒々とした印象的な睫毛を濡らして、煜瑾は眠っている。
それが本当に純粋無垢に見えて、文維は胸が締め付けられるような愛しさを感じた。
そして、起こさないように注意をして、煜瑾を抱き上げると、スース―という穏やかな寝息を確かめながら、主寝室のベッドに運んで行った。
シルクのシーツに、高級な羽毛掛布団のカバーもシルクだ。その間に、スルリと滑り込ませるように煜瑾を寝かせ、文維は離れようとした。
「え?」
だが、気が付くと、煜瑾は文維のイギリスブランドのセーターの胸をしっかり握っていた。
ソッと手を添えて、引き離そうと試みる文維だが、煜瑾は固く握って離さない。眠っているはずなのに、そこに居るのが大好きな文維だと知っているようだ。
(ええっと…。どうしたものか…)
動くこともままならず、困った文維はしばらく煜瑾の横に添い寝するように体を並べ、キレイな寝顔をジッと見ていた。
「深窓の王子」だけあって、白く透明感のある滑らかな肌。どんな手入れをしているのか、シミやホクロでさえ見かけない、まさに傷一つない芸術品のようだ。眠っているせいで長く濃い睫毛がよく目立つ。スッと通った鼻筋が上品で、今は薄く開いた唇はふっくらして甘い事を文維は知っている。
(キレイな子だな、本当に…。でも…それだけでなく、可愛らしくて、愛おしいなんて…)
自分の感情に文維は戸惑う。
患者相手に、あってはならない感情のはずなのに、気が付けば、ここまで来てしまっていた、という感じだ。
「なんだ、やっぱり一緒に寝るんだ…」
そっと忍び込んで来た小敏が、煜瑾の寝顔を覗き込みながら、文維の耳元で小さな声で言った。
「戻りたくても、戻れない…」
そう言って文維はしっかり握った煜瑾の手を指さした。
「うわ、カワイイ」
小敏までが思わずそう言ってしまう。まるで、何も知らない赤子が心から信じ切っているような純真さに、汚れたオトナの心は痛みさえ覚える。
「本当に、好かれているんだね、文維。こんなキレイな心の煜瑾に好かれて、幸せだと思わなきゃね」
「……」
光栄だと、幸運だというのは文維も認める。
だが、正しいのかというと、それは難しい。あくまでもまだ、治療は始まったばかりだ。ようやくトラウマの内容が見えてきただけで、乗り越えるべき具体的な物もまだこれからだ。
つまりまだ、医師と患者の関係は続けなければならない。
「ねえ、文維だって煜瑾の事、好きでしょう?」
文維の態度を不審に思ったのか、小敏が真剣な顔つきで訊いて来る。
「……」
その答えに、即答できない文維が居た。
「ボクだって文維の事は好きだし、尊敬もしているけど、煜瑾みたいなイイ子を泣かせないで欲しいな」
まるで自分のことのように、小敏は哀しそうに言った。
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