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第87話
結局、申玄紀 は午後から大連に戻ったとのことで、午後6時に唐煜瑾 の部屋に集まったのは、煜瑾、羽小敏 、そして包文維 の3人だった。
出迎えた茅 執事は、慇懃な態度で来客をリビングに案内し、すぐに飲物の用意をして歓迎した。
「玄紀は残念だったけど…、文維は来てくれてありがとうございます」
小敏と文維には大きな4人掛けのソファを勧め、自分は手前の1人掛けのソファに煜瑾は座った。
「今朝、茅さんに連絡したのは私だけど…。何かあったらしいですね」
紳士的な態度を崩さず、文維はチラリと小敏に視線を送りながらも、静かに茅執事が用意した飲物を口にした。それはさっぱりとしたグレープフルーツが香る、口当たりの良いカクテルだった。もちろん、煜瑾の好きな飲物でもある。
「包文維さまから、ご連絡をいただけて、本当にありがとうございました。にも拘わらず、今朝は、わたくしの浅慮から、羽小敏さまにはご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」
そう言って茅執事は深々と頭を下げた。
それを、文維は穏やかに、小敏は素知らぬ顔で、煜瑾は戸惑うように見守っていた。
「あれから、北京にご出張中の唐煜瓔 さまにも、ご連絡させていただきましたが…」
その言葉に、煜瑾の顔に動揺が走る。煜瑾は、常に兄の顔色を窺っている小さな子供のようだ。
「煜瓔さまは、羽小敏さまに絶大な信頼をお持ちですので、羽小敏さまと御一緒であれば、今日一日は煜瑾さまのご随意に、とおっしゃられました」
煜瑾の兄、唐煜瓔は、高校時代から明るく素直で、弟に良い影響を与えた羽小敏のことを、なぜか手放しで信用していた。
「ただ、明日は、煜瓔さまが上海にお戻りになりますので、宝山 のお屋敷の方へお戻りになるように、とのお言伝 でございます」
「はい…」
素直に煜瑾は返事をした。
それを見て、何かを言いかけた小敏に、文維が鋭い視線で制した。仕方なく口を閉じた小敏だったが、不満そうにカクテルを一息に飲み干した。
用意された食事は、茅執事が作ったものではなく、高級な広東料理店から取り寄せたものがメインだった。
緑の美しい翡翠餃子や、細工の細かい金魚餃子、大きくプリプリしたエビがギッシリと入った腸粉 、甘い焼豚がタップリ入った包子 など、小食の煜瑾が少しずつ何種類も食べられるよう、見た目も楽しい点心が、いくつも、いくつも並んでいる。
どれも丁寧に味付けされ、調理された逸品なのだが、なんとなく小敏には素直に喜べなかった。
「小敏、目で楽しんでいないで、早くいただきなさい」
小敏の様子に気付いた文維が、遠回しに注意した。
「……は~い」
不服そうに返事をして、小敏は箸を手にした。
その様子を心配そうに見ていた煜瑾だったが、食べ始めた小敏が笑顔になると、安堵して文維に、お気に入りの葱餅を勧めた。
「包文維さま、お飲み物は?」
上海の名物料理でもある、紅焼肉 (豚肉の甘辛煮込み)を運んできた茅執事が、文維に声を掛けた。
「いえ、車で帰りますので、お酒は結構です」
その言葉に、煜瑾はハッと顔を上げる。そのせいで、箸で摘まみ上げていた揚げ春巻きを、取り皿に落してしまった。
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