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第92話

「良かったね、文維(ぶんい)に、おやすみのキスができて。あ、してもらえて、か」  サラリと言う小敏(しょうびん)に、はにかみながらも煜瑾(いくきん)はクスクス笑う。  文維を見送った後、2人は仲良く肩を組んでリビングに戻り、並んでソファに座っていた。 「ま、ボクのアドバイスとは、違ったけど…」  先ほど同じソファの上で、小敏が煜瑾に耳打ちしていたのは、煜瑾の気持ちを後押しするアドバイスだった。 「もうすぐ、文維が帰っちゃうよ…?」  キッチンの後片付けの音が止んだことに気付いて、小敏が煜瑾に囁いた。 「そ、そうですね…」  少しでも好きな人の近くに居たいと思う煜瑾は、文維と離れてしまう時間が近付くことが寂しくて、その澄んだ黒瞳を曇らせる。  そんな健気な煜瑾に、いつものようにカワイイと思う小敏だったが、ちょっと悪戯心が芽生えてしまった。 「だから、ね…」  ピッタリと身を寄せた小敏は、煜瑾の耳元にちょっとしたアドバイスを囁いた。 「好きなら、たまには自分から積極的に行かなきゃ。そういうの、文維もキライじゃないよ」 「積極的…って…?」  不安そうな煜瑾に、小敏は安心させるように笑いかける。 「文維が帰る前に、煜瑾の方から、キス、迫っちゃうんだよ」 「そ、そんなこと出来ません!」 「出来るよ!好きなんでしょ?」  決めつけられて、煜瑾は焦ってしまう。 「文維が帰ったら寂しい、ってこと、ちゃんと伝えるべきだよ。煜瑾がそう思ってる、って分かるだけで、きっと文維も嬉しいよ」 「そ、そうでしょうか…」 「そうだよ。だって、文維のこと好きでしょう?」  何度も繰り返され、煜瑾の瞳と心は揺れていた。  面と向かって小敏に問われ、煜瑾は一瞬口にすることをためらったが、それでも迷うことなく大きく頷いた。 「なら、はっきり文維に伝えてあげなきゃ。帰る前に、煜瑾から『大好きな』文維に、『おやすみなさい』って、キスしておいでよ!」  小敏に言われて、煜瑾は、確かにもっと自分から文維に気持ちを伝えたい、と思ったのだった。 「文維、カッコ良かったね」  少し強引なキスに、文維の本気が感じられて、煜瑾は陶酔感を全身で感じた。それを見ていた小敏が、煜瑾を挑発するように笑いながら言う。  煜瑾と小敏は、親友同士、快適なソファの上で、体を寄せ合うようにして話していた。 「文維は…いつでも、カッコイイです」 「はい、はい。ボクが文維を紹介した瞬間、恋に落ちたんでしょう?」  そう言ってから、(ぼう)執事が気を利かせてテーブルの上に用意してくれた、果物やお菓子の入ったバスケットから、小敏は個包装のクッキーを手に取った。真似をして、煜瑾もチョコスナックを選んだ。 「でも、小敏には負けました」  ちょっと寂しそうではあるけれど、それでも屈託なく煜瑾は笑う。  高校時代、文維が、声も掛けられないような自分ではなく、小敏を選んだのは残念ではあるが、仕方が無いと煜瑾も分かっていた。

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