94 / 201

第94話

 煜瑾(いくきん)が、淡く清らかな想いを抱く相手を、小敏(しょうびん)は恋人としてしまった。  多分、すでに親友であった煜瑾の気持ちに気付いていたはずなのに…。  けれど、それを、小敏は謝ってはいけないと思った。  煜瑾に謝るということは、あの時の自分の純粋な気持ちにも、自分を選んだ文維(ぶんい)にも、そして、何も言い出せなかった煜瑾に対しても、なんだか失礼だと小敏は思ったからだ。  あの頃、例え煜瑾の文維への気持ちに気付いていても、それでも小敏は余計な駆け引きなど無い、真っ直ぐな気持ちで文維を求めていたことに間違いは無かった。  その純粋さを、今の小敏が否定してはいけないのだと自分自身で分かっていた。 「…あの時、文維が、小敏を選んだことは間違いでは無いと思います。私では子供過ぎて、文維に選んでもらうのに相応しくなかった。だから、小敏が謝るのは間違いですよ」  聡明な煜瑾も、あの頃の純真さ、そして若さゆえの愚かさを否定できないことを知っていた。 「…でも、ま、ボクの方が、文維とは付き合いが長いんだから、ボクからスタートするのは仕方ないよね」  小敏が、急におどけたように言った。 「スタート?」 「そう。で、もうゴールしちゃったし、次の、煜瑾との恋がスタートするのは当然じゃないかな?」  冗談めかしているが、小敏の眼差しは優しく、真剣だった。 「次の…、恋?」  煜瑾はボンヤリと言葉を繰り返した。 「そうだよ。文維にとって、煜瑾との恋がスタートしたんだよ。転んだり、途中棄権しないように、頑張ってよね!」  そう言って小敏はいつものように明るく笑いかけ、つられるように煜瑾も微笑んだ。 「それにしても…あの執事は邪魔だなあ」  不意に思い出したように、小敏が口を尖らせて言った。 「(ぼう)さんに、何か無礼がありましたか?」  煜瑾は、(とう)家の完璧な執事に何か落ち度があったのかと、心配そうに小敏に訊ねた。 「はあ?今朝、あんなにハッキリ言ったのに、まだ煜瑾のことを子供扱いしてるんだよ?なんかバカにされているようで、ムカつく!」  人の良さそうな柔らかな笑顔が似合う、素直で明るい羽小敏、というのが大半の人間の共通認識ではあるが、親友として近くにいる煜瑾は、小敏が軍人家系の出身というだけあって、案外、正義感が強く、白黒はっきりしたことを好んで、気が荒いところがある、ということも知っている。 「『ムカつく』だなんて…」  乱暴な言葉を使う小敏を(いさ)める煜瑾だが、自分のことを思っての事だと分かっているだけに複雑だ。 「煜瑾のご機嫌を取るために、好きな飲物や食べ物を用意したり、文維に取り入ったり、しまいには文維がコッソリ泊まったりしないよう見張ってるんだよ?いちいち周到というか、老獪というか…、やり方が遠回り過ぎて苛立たしいよ」  煜瑾も、言われてようやく、茅執事が自分を甘やかせ、子供扱いしすぎることに、ほんのちょっと苛立った。

ともだちにシェアしよう!