97 / 201

第97話

「はい。その前の日も、友人たちが泊りに来てくれて。あ、昨日はお休みをいただいて、申し訳ありませんでした」 「いいえ。煜瑾(いくきん)さまは、私用でお休みを取られたことがございませんから、お具合が悪いのかと心配はいたしましたが、そうでは無いと(ぼう)執事から連絡があって安心しました」  ベテランの()秘書には、煜瑾だけでなく煜瓔(いくえい)も信頼を置いている。 「とても楽しいお休みでした」  幸せそうな煜瑾に、呉秘書も嬉しそうだ。  これほど若く、美しく、聡明な唐煜瑾であるのに、いつも自信無さげに兄の後ろに隠れるようにして毎日を送っていることを、呉秘書も惜しいと思っていた。  この年齢であれば、もっと楽しいことはいっぱいあるはずなのに、この美青年は青春を謳歌するということを知らないのだ。そんな煜瑾に、実は同情する社員は多かった。 「たまには、お1人でお休みをお取りになるといいですわ。気分転換にもなるし、新しい発想が浮かんだりして、お仕事の役にも立ちますし」 「そう、でしょうか?」  煜瑾は期待を込めた目で、呉秘書を見詰めた。  呉秘書は、この煜瑾がこんなに活き活きした目をするのは珍しいと思った。そして、もっとこんな表情を見せてくれるようになって欲しいと思ったのだった。  呉秘書が下がると、真面目な煜瑾は、兄の煜瓔が戻るまで、与えられた仕事を黙々とこなした。  途中、羽小敏からのメッセージが煜瑾のスマホに入った。 (来週の金曜日か、土曜日に、泊まりに来ないか…ですか…)  小敏のアパートに泊りに行く約束を、確かに楽しみにしている煜瑾だが、条件が1つだけある。 (文維が、来られる日がいいな…)  1人、これまで誰も見たことが無いような、明るく、誇らしい、晴れやかな笑顔を浮かべる煜瑾に、呉秘書も気付いた。 (あんなにステキな表情が出来る子だったのね)  当家の御曹司の美貌は、もちろん誰しもが認めていたが、それがこれほどに輝いて見えたのは初めてだった。  深窓の煜瑾王子が変わった…。  そんな噂が、社内に広まるのに、それほどの時間は掛からなかった。  4時少し前に、兄の唐煜瓔が戻り、煜瑾も嬉しそうに出迎えた。 「お兄様、お疲れ様でした」 「ただいま、煜瑾。お土産があるから、今夜は宝山の屋敷に一緒に帰りなさい」 「はい」  いつもと同じく素直な弟に、煜瓔は満足していた。  そのまま、会議室へ移動し、北京での報告がなされるが、煜瑾はあまりよく分からない。ただ、真剣に第1秘書の宣格の話を聞き、書類を読み、分からない所には印をつけるだけだった。分からない所は、後で、宣秘書か呉秘書に質問し、時々は兄に教えを乞うこともあった。  お行儀が良く、物分かりがいい煜瑾を、社内の幹部たちも暖かく見守ってくれているのは、ただ煜瓔が溺愛しているということだけでなく、純粋で誠実な煜瑾の性格が愛されているのも理由だった。

ともだちにシェアしよう!