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第104話

 クリニックを終え、1人で夕飯でも食べてから帰ろうかと思った包文維(ほう・ぶんい)だったが、従弟の羽小敏からもらった、日本の冷凍寿司が残っているのを思い出し、珍しく真っ直ぐに帰って来た。  愛車のレクサスを停め、アパートの入口のセキュリティを解除しようとした時、目の前にタクシーが停まった。  なんとなく気になった文維は、その乗客を見て驚いた。 「煜瑾(いくきん)!」 「文維!」  勢いで文維のアパートまで来てしまった煜瑾だったが、急に押しかけることが怖かった。もし、文維に拒まれたら…。そのことが不安で、タクシーを降りることも逡巡していたのだが、そこに思いも寄らず文維がいたことで、慌てて下車して駆け寄った。 「ちょっと!」  未払いに苛立つドライバーに、文維は慌ててスマホを取り出し決済する。  そのまま去っていくタクシーを見送っていたが、心細げに隣に立つ煜瑾に戸惑っていた。 「とにかく、私の部屋へ」  文維は不安げな煜瑾の肩を抱いて、急いでアパートの自室へ戻った。  自室に入り、明かりを点けて、改めて煜瑾を見て、文維は驚く。  煜瑾は、赤い頬を押さえて、涙ぐんでいた。 「どうしたのですか、その頬は?」 「何でもありません。お兄様が悪いのです」  それだけを言って、子供のように泣きべそをかく煜瑾を抱き寄せ、文維はソファに座らせた。  自分は、すぐに立ってキッチンに向かうとアイスバッグに氷と水を入れ、濡れたタオルも用意した。  リビングに戻ると、煜瑾はようやく泣き止んではいたが、哀しそうに俯いている。  そんな様子が儚げで、やはり放ってはおけない。  文維は近付くと煜瑾の手を取り、濡れたタオルで泣き顔を拭いた。それから冷たいアイスバッグを、ソッと煜瑾の赤くなった頬に押し当てた。 「煜瑾…、これはお兄様に?お兄様とケンカをしたのですか?」 「お兄様が悪いのです。文維の悪口をおっしゃったのです」  まだ怒りと悲しみで興奮している煜瑾を、落ち着かせるために、文維は優しく肩を抱き寄せた。 「原因は、私ですか…」  責任を感じて、文維は眉を寄せる。 「文維は悪くありません!お兄様が…」  慌てて否定をした煜瑾だが、悔しくて泣き出してしまった。 「だって…お兄様は、もう文維に会ってはいけないと…。私はもう、文維には会わせてもらえないのです…」  思い詰める煜瑾の純真さが微笑ましい、と文維は思った。 「なぜ?今も、私たちはこうして会っています。大切なのは、煜瑾がどうしたいか、常にそれだけです。お兄様が何と言おうと、私は、君を諦めたりしない」  そう言って文維は煜瑾を胸に抱き、微笑みかけるとその頬に手を伸ばし、引き寄せて口づけをした。 「痛い?」 「いいえ」  陶然となった煜瑾は潤んだ瞳で答えた。 「なら、もう一度…」  唇を重ねながら、文維は今夜の煜瑾の扱いに少し不安を覚えていた。

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