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第106話

「夜分失礼します、包文維(ほう・ぶんい)です。(ぼう)執事ですか」  いくらケンカをして飛び出してきたとはいえ、自分の許に煜瑾が来た以上、知らぬ顔は出来ないだろうと文維は考えたのだ。 「茅でございます、包先生。この度は、煜瑾(いくきん)さまがご迷惑をお掛けしました。間もなくお迎えに上がりますので、今しばらく煜瑾さまをよろしくお願いいたします」  いきなり茅執事にそう言われ、文維は驚いた。まさか煜瑾が、行先をわざわざ茅執事に伝えてから家出をしてきたとは想像もしていなかったからだ。 「なぜ、煜瑾がここだと?」  どうしても気になって文維は質問してしまう。 「はい。煜瑾さまのスマホにはGPSの追跡機能が付いております」  ようするに子供用の迷子追跡が出来るということだ。まさか、そこまで29歳にもなった煜瑾を幼児扱いしているとは文維も驚く。 「唐家の大切なご子弟だけに、誘拐の心配もございますので」  文維の驚きを察したのか、茅執事は卒なくそう言い足した。  そう言われれば、文維も納得する。 「先ほど、そのスマートフォンの電源が切れましたので、只今よりお迎えに上がるところでした」 「え?電源が?」  これには文維も気付かなかった。 「あ、いや、お待ちください。必要とあれば、電源は入れさせます。ただ、今夜は煜瑾もまだ興奮状態で、自宅に連れ戻すのは尚早かと思います」 「ですが…」 「いえ、落ち着くまで煜瑾は私がお預かりします」  そう言ってから、文維はわずかに眉を寄せる。  あれほど頼りなげで、可愛らしくて、愛しい煜瑾を目の当たりにして、自分の医者としての使命を貫き通せるか、少し自信が無い。 「包文維先生。わたくしどもは、本当に先生をご信頼してよろしいのでしょうか」  そこに、冷徹な声でそう言われ、文維の気持ちも改めて引き締まる。 「お信じいただけないかもしれませんが、今夜は煜瑾とは別の部屋で休みます。こんな口約束でご納得いただけるかどうか分かりませんが」 「いえ、唐家のご子弟が不名誉なことにならぬよう、包先生を信じるばかりです」  海千山千の茅執事を相手に、まだまだ文維が立ち向かえるはずが無かった。ここは彼の狙い通りに煜瑾に指一本触れずに一晩明かす外はない。 「ご信頼にお答えできるよう、努力いたします」  何とか返答はするが、強烈な唐家の執事はそれでは納得できないようだった。 「努力ではなく、結果だけが大事ですので」  最後の止めを刺されたように、文維は感じた。 「承知しました」  ようやくそれだけを言って、文維は電話を切った。 (無理だ…。小敏を呼ぼう)  煜瑾と2人きりになり、過ちを犯すことを怖れた文維は、敗北感を胸に、即座に従弟へメッセージを送った。 (なんだって?)  小敏からの返事は、今夜は無理なので明日の朝行く、とのことだった。 (今夜は眠れそうにない…)  悩ましい文維は、ホーっと深いため息をついた。

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