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第111話
無邪気に微笑む煜瑾 に、文維 は確かに欲望を覚えた。
潤んだ、黒く澄んだ瞳。薄く染まった頬。濡れて、艶やかな唇。ほんの少し緊張して震える肩…。どれも煜瑾自身は無自覚だが、文維からすれば誘惑的で、今すぐにでも自分の物にしたいと思う。
その独善的な支配欲が、知らぬ間に視線に現れてしまっていた。その本能に駆られた、思い詰めた文維の眼 に、その意味を知らない煜瑾が怯えている。
「煜瑾…」
「ごめんなさい…。私の身勝手な行動で、文維に迷惑を…」
泣きそうになる煜瑾の可憐さと、その向こうにある官能に、文維は堪え切れず、強引に煜瑾を抱き寄せ、唇を塞ぎ、体を弄る。
…だが、それは幻想だった。今の文維には、煜瑾に指一本触れることが出来ない。
(欲しい…。この人の全てが、欲しい…)
心の底からそう熱望しながらも、文維にはそれが出来ない。煜瑾からの信頼を裏切るわけにはいかないのだ。
「いいえ。今夜、煜瑾が来てくれたことは幸いだったかもしれません」
苦しい胸の内を隠し、文維は医師らしい柔和な笑みで言った。
「でも…」
哀しい顔をして俯く煜瑾の横顔に、文維は魅せられた。
(私は、本当にこの人を愛してしまった…)
改めてそのことを自覚した文維は、喜びとも悲しみともつかない複雑な感情に襲われる。
「今から、とても大事なお話をするので、聞いてください」
「…はい…」
文維の穏やかな声と、真剣な眼差しに、煜瑾は憂いの浮かぶ美貌で頷いた。
「これから、煜瑾にとって、少し辛くなる話をします。…今夜は、決して邪魔が入らないと分かっているので、煜瑾の心の中を私に全て見せて下さい」
この魅惑的な美しい青年を、これからさらに傷つけるかもしれないと思うと、文維も心が痛む。だが、これは避けては通れない事だった。
「!」
煜瑾は、反射的に文維が過去の出来事を掘り返そうとしているのだと気付いた。
ずっと煜瑾が忘れてしまいたいと思っていたこと。文維にだけは知られたくないと思っていたこと。それを文維は、煜瑾の目の前へ暴き出そうとしているのだった。
「それは、思い出すのも辛く、恐ろしい事でした。なので、煜瑾はそれを心の中の箱に閉まって固く蓋をしてしまったのですね」
そうかもしれない、と煜瑾は思う。どれほど忘れたい、忘れようとしても、あの「出来事」は、煜瑾の心の奥底でいつまでも燻っている。
「そして、誰も知らない、心の中のその箱の存在を時々思い出しては、煜瑾は恐ろしくなって体調を崩してしまう…」
傷つけられたとはいえ、いつまでも乗り越えられない心弱い自分を指摘されたようで、煜瑾はやりきれなくなる。
「もう言わないで下さい、文維。…本当に、思い出したくありません」
辛くて、苦しくて、胸が押し潰されるようで、煜瑾は文維の言及を拒んだ。
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