118 / 201
第118話
放心状態の煜瑾に、文維は何を言っても無駄だとは思ったが、黙ってはいられなかった。
「苦しかったでしょう。辛かったでしょう、煜瑾」
そう言って文維は煜瑾を抱きかかえ、その顔を正面から見据えた。
「けれど、これだけは忘れないで下さい。君が受けたのは野蛮な暴力であって、決して性行為ではありません。君の体は決して穢れていない…」
「文維…。私…私は…」
「君は、身も心も清らかで美しい存在です。どうか、自信を持って下さい」
そう言って、文維は煜瑾の髪に触れ、整え、優しく微笑みかけた。
「私がなぜ、煜瑾が言いたくない過去の事を無理に話させたか分かりますか?」
今さらの文維の言葉に、煜瑾は不思議そうに見返す。
「…いつまでも過去の事を気に病んで、発作を起こしたりするので、その治療のためでしょう?」
「もちろん、それもありますが、それはむしろお兄様への建前です」
「建前?」
そして文維は、煜瑾が怖いと思った、本気の男の強い視線になった。もう、文維は隠そうとは思わなかった。
この唐煜瑾を、可愛いと、守ってあげたいという気持ちに偽りはない。だが、それ以上に、成人男性としての当たり前の感情として、煜瑾を愛したいと思っていた。それはすなわち、包文維の欲望の対象として唐煜瑾を見るということだった。
「ええ、本当は…。私が、煜瑾を抱きたいと思っているからです」
「え?」
煜瑾は、ハッキリと文維が求めているものを理解した。それを自分もまた考えないわけではなかったが、過去の忌まわしい記憶のせいで、先に進むのが怖かった。
「私は、欲望を持つ男として、煜瑾が欲しいのです。いけないことだと言うのは分かっています。それでも、君が愛しくて…」
そこまで言った文維だったが、煜瑾がますます青ざめ、怯えた表情になっていることに気付いた。
おそらく煜瑾は、あの男がしたようなことを、文維にされるのだと思っているに違いない。
文維は、少し哀し気に見える顔をして、ソッと煜瑾の頬に手を伸ばした。
「怖がらないくていいんですよ。私は、煜瑾が許してくれるまでは、決して何もしません。煜瑾が嫌がるようなことは、絶対にしたくありません。けれど、忘れて欲しくないのは…あの男のしたことは暴力です。私が煜瑾に求めるのは、愛し合うことです」
「違う…のですか」
色の無い乾いた唇で、ようやく煜瑾が口を開いた。
「違いますよ、明瞭にね」
真剣な文維に、煜瑾は何と言っていいのか分からない。
「…私は…」
「心配しないでいいのです。いつか、煜瑾にも分かりますから。今は誰かに触れられるのも怖いでしょう。けれど、いつか、きっと、煜瑾にも触れ合うという意味が分かるようになります」
「私には…自信がありません」
そのままジッと文維を見つめる煜瑾の、穢れを知らない黒い瞳が潤んで揺れた。
「焦らなくていいのです。私はいつまでも君の傍で待てますからね」
「文維…」
優しく微笑む文維に、煜瑾は心から愛されていると実感し、自分もまたその気持ちに応えたいと思った。
ともだちにシェアしよう!