124 / 201

第124話

「お兄様の、おっしゃる通りでした…」  もはや泣きもせず、青ざめた顔色で表情もなく、煜瑾(いくきん)(とう)家の屋敷に戻った。  玄関で出迎えた(ぼう)執事にそれだけを言うと、煜瑾は急に感情が迫って来たのか、誰からも愛される、あの美貌を歪め、階段を駆け上がった。 「煜瑾坊ちゃま!」  心配した茅執事の声を振り切って、煜瑾は、自室に飛び込むと、本物の王子のような天蓋の付いた大きなベッドに倒れ込み、そのまま大泣きしてしまった。  階下でしばらく様子を見ていた茅執事だったが、奥のリビングにいる当主である唐煜瓔(とう・いくえい)に報告に行った。 「煜瑾が戻ったのか?」  豪華な租界時代の貴重なアンティークのソファで寛ぎ、昼食までの時間を潰すために英字雑誌を(めく)っていた唐煜瓔が、茅執事が声を掛ける前に、先んじて言った。 「はい。何かあったご様子で、泣きながらお部屋に戻られました」  煜瑾のことで心痛している様子の茅執事に対し、煜瓔は当然のことのように受け止め、フッと口元を緩めただけだった。 「包文維(ほう・ぶんい)に何か言われたのだろう。気が済むまで泣かせておきなさい」  泰然として雑誌に視線を戻した、煜瓔の満足そうな横顔を見て、茅執事はそれ以上何も言わずに頭を下げた。 「ああ、コーヒーをもう一杯いただこうか」 「承知いたしました」  命じられたことを厨房へ伝え、メイドに届けるように命じた。茅執事当人は、ホームメイドのパイナップルジュースを手に、様子を見るために煜瑾の部屋へ向かった。  煜瑾の部屋の前で茅執事はノックをした、 「煜瑾坊ちゃま?」 「来ないで下さい!誰にも会いたくありません!」  煜瑾は即答するが、煜瑾の自室は兄の意向で籠城出来ないように、幼い頃から鍵が外されていた。  それを知る茅執事は、煜瑾の言葉を無視して、ドアを開け、部屋に入った。予想していた煜瑾も、それ以上は拒絶しない。 「煜瑾さま。あまりお泣きになると、お体に障りますよ」  子を案じる親のような憂えた声で、茅執事は煜瑾に言った。 「構いません…。もう文維に会えないなら、病気になってもいいのです」  そう言って、煜瑾はまた子供のように枕に顔を埋めてシクシクと泣き出した。  そんな(いとけな)い煜瑾を傷ましそうに見つめながら、茅執事はベッドサイドの椅子を引き寄せ腰を掛けた。 「さあ、お好きなパイナップルジュースをお持ちしましたよ。お泣きになるのはおやめになって、少しは元気をお出し下さいませ…」  そう言ってジュースの入ったグラスを差し出す茅執事に、煜瑾はヒステリックに叫んだ。 「私はもう、ジュースなんかで誤魔化されるような年齢ではありません!いつまでも子供扱いしないで下さい!」  涙に濡れた眼で睨みつける煜瑾に、茅執事はハッキリと変化を感じた。  確かに、煜瑾はこれまでのただの扱いやすい子供ではなく、恋を知り、愛に目覚め、欲望を求める大人になろうとしていた。

ともだちにシェアしよう!