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第127話

「いいえ、それは誤解です!」  その時、毅然とした文維(ぶんい)の声に、小敏(しょうびん)はハッとして我に返った。 「私は、医師として煜瑾(いくきん)の治療にあたっています。決して淫らな感情で、煜瑾を誘惑するなどということはしていません」 (どうかな?)  煜瑾を担当する精神科医として、誠実な態度で、煜瑾の兄・唐煜瓔(とう・いくえい)に対応している文維医師だが、その素顔を知る羽小敏としては、文維がそこに存在しているだけで、煜瑾は充分に誘惑されているのでなかろうかと、想像してしまう。 「煜瑾が、私を『恋人』だと思い込んでいる理由は、きちんとご説明出来ます」 (え?そうなの?)  煜瑾が、文維に恋人になって欲しいと言っていたのを聞いている小敏だったが、文維の口から「思い込み」と言われると、違和感がある。 「治療の一環として、より深い信頼関係を得る必要がありました。そのため、煜瑾の前で、誰よりも信頼できる恋人のような存在として、役割を演じてきたことは確かです」 (は?「演じてきた」ってどういう意味?)  まるで煜瑾を騙してきたような言い方に、小敏は思わずキッチンから飛び出すが、すぐに気付いた文維が手で制した。  何事も無いように、冷静な声で文維は煜瑾の兄との会話を続ける。 「今では煜瑾は、私を特別な存在だと思うことで、心を開いてくれました。治療の一番難しいところは、この手法で乗り越えたと思います」  小敏は、可愛い唇を尖らせ、拗ねた様子を見せつけながら、静かに文維の座るリビングのソファの隣に腰を下ろした。 「言ってみれば、腹を裂き、リスクの大きな開腹手術を行い、成功しました。あとは縫合し、回復を待つだけなのです」  文維の言わんとするところは、小敏にも分からなくもない。  カウンセリングの大事なところは、まず患者が向き合いたくない扉を、信頼するカウンセラーと共に開くことだ。そこまでの信頼を築くことだけでも時間を要する。  実際に、文維のカウンセリングを受けた小敏には、文維の手法は正しいと実感している。  だが、その大切な信頼関係を得るために、煜瑾を騙したというのだろうか? 「ただ、ここからが時間がかかる作業となります。醜い傷跡と痛みを共感できる者と一緒になって、それを乗り越えてこそ、煜瑾の傷は癒え、本来の明るさと自信を取り戻すことが出来ると断言できます」  小敏も、煜瑾の傍でそれをするのは包文維しかないと思うのに、話を聞いていると、その信頼を文維は裏切ろうとしているように聞こえる。それがだんだんと小敏を不安にする。 「ここまできて、煜瑾を、本来の彼に戻すことは、今は私しかいないと自負しています。それを、煜瑾の理解しやすい関係にすると『恋人』という表現になるかもしれません。ですが」  ここで、もう一度文維は居住いを整え、声に真剣みが増した。 「ですが、私はあくまでも医師であり、煜瑾の恋人ではありません。彼を誘惑し、淫らな関係を求めることは決してしません」

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