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第135話

 ここ数日、食事も摂らずベッドからも出ようとしなかった煜瑾(いくきん)は、とうとう気を失ったところを(ぼう)執事に発見された。  すぐに主治医が呼ばれ、点滴を与えられ、臨時の看護師が雇われた。  青ざめ、痩せこけてなお、煜瑾は楚々として美しく、それが一層哀れを誘った。  兄の唐煜瓔(とう・いくえい)は、弱り切った煜瑾を一目見るなり傷ましく思い、それ以来、煜瑾の部屋にも来なくなった。それは煜瑾を見捨てたということではなく、自責の念から煜瑾に会うのがつらいのだった。 「煜瑾ぼっちゃま…」  その代わりに、茅執事は家事の一切を部下に任せ、自分は煜瑾に付きっ切りとなり、それこそ寝食も忘れるほどに熱心に世話をした。  脱水症状で意識は朦朧としていたが、点滴でなんとか持ち直し、それでも煜瑾は眠ったままだった。  清潔なガーゼに包んだ氷を、そっと煜瑾の唇に当て、少しでも口から水分を摂取するよう、茅執事は繰り返していた。  次に髪の乱れを直し、顔を拭こうとした茅執事は、煜瑾の目尻が傷ついたように赤くなっていることに気付いた。泣きすぎて、涙でこすれて炎症を起こしたのだ。瞼も腫れぼったく、煜瑾がこの数日で、どれほど泣き暮れたのか、自分の想像以上だったことに茅執事は胸を痛めた。 「…それほどに、包文維(ほう・ぶんい)をお慕いなのですか?」  聞こえているとは思わなかったが、茅執事は眠る煜瑾に静かに語り掛けた。 「煜瑾さま。私は本当の事を知りたく思います。本当に煜瑾坊ちゃまと包文維が愛し合っておられるのか。それとも旦那さまがおっしゃるように、坊ちゃまが騙されておいでなのか」  美しく、清純で、まさに天使のような唐煜瑾が、命を危険にさらすほど、1人の男に心を奪われる日が来ようとは、長年、煜瑾に仕える茅執事も想像することすら無かった。  それでも、ただ兄に庇護されるだけの人形のようだった煜瑾が、自分から誰かを愛するという気持ちを芽生えさせたのは、その成長を感じて茅執事も嬉しく思う。 「本当に、大人になられましたね」  まだほんの子供だった頃の煜瑾を思い出しながら、茅執事は髪を撫で、頬に触れ、まるで本当に自分の子供のように煜瑾を愛し気に見守った。 「これほどに思い詰めておられたとは…。まさに『真の恋の道は、茨の道』ですね」  英国のバトラースクール出身の茅執事は、シェイクスピアの言葉を引用した。 「けれどね、煜瑾坊ちゃま。私も、旦那様も、坊ちゃまに『茨の道』を歩いていただきたくはないのですよ」  茅執事は、悲しい顔をして、眠る煜瑾に話し掛けた。 「忘れておしまいなさいませ。茨の道など、煜瑾坊ちゃまにはお似合いになりませんよ」  何度も煜瑾の髪を撫でながら、茅執事は繰り返し呟いた。

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