150 / 201

第150話

「体が十分に回復するまでは、煜瑾(いくきん)の気に入るような、絵か音楽の先生を呼ぶのも良いだろう。それか、いつもの古美術商に煜瑾の好きなミニチュアを持って来させても良い。煜瑾、欲しいものがあれば、なんでも注文しなさい」  相変わらず弟に甘い唐煜瓔(とう・いくえい)だが、煜瑾は何も答えず、優美な微笑みを浮かべているだけだった。 「今日はお医者様が来るなら、大人しくしていなさい。明日は気晴らしに、(ぼう)執事と買い物にでも行ったらどうだろう。それか、もっと若い使用人とディズニーランドはどうかな?私も一度行ってみようか」  ずっと気鬱の病に臥せっていた弟が心配で、いたたまれない思いでいた唐煜瓔だったが、ここ数日、煜瑾が元気そうな顔が見られて満足だった。 「お兄さまや茅執事に、ご心配をお掛けしてごめんなさい。でも、別に気晴らしに行きたいとは思いません」  申玄紀が見舞いに来て以来、彼に励まされたのか煜瑾はベッドで泣き暮れることをやめ、こんな風に煜瓔や茅執事を気遣うようになった。 「今度、浦東地区に出来た大きなショッピングモールに、日本の人気ケーキ店が開店したそうですよ。誰かに煜瑾坊ちゃまが好きそうなケーキを買いに行かせましょう」  煜瑾は、茅執事を振り返り、ニッコリと愛くるしいまでの笑顔を浮かべるが、特に何も言わない。 「その店のケーキが美味しいようでしたら、クリスマスケーキを注文いたしましょうか」 「クリスマス?」  思いも掛けなかったという態度で、煜瑾が呟いた。 「そうですよ、煜瑾ぼっちゃま。もうすぐクリスマスです。坊ちゃまの欲しい物を、お兄さまにおねだりなさっては?」 (私が欲しいのは、文維だけなのに…)  そんな本心を、決して口にも、表情にも出すことなく、煜瑾は茅執事に頷いて、今度は兄の方を振り仰いだ。 「何か欲しいものがあるのかい、煜瑾?」 「はい。会社のクリスマスパーティーに来ていく、新しいお洋服が欲しいです、お兄さま」  その答えに、唐煜瓔はほんの少し眉を寄せた。 「クリスマスパーティー…か」 「今年も開催なさるのでしょう?」  何の屈託もなく、無心な瞳で聞き返す煜瑾に、兄の煜瓔も拒めない。 「お前の体調を心配して出席は見送ろうと思っていたのだが、煜瑾がそれほど楽しみにしているのなら、お前の名前も参加者名簿に載せるよう言っておくよ」 「それと、お兄さま!もしよければ、申玄紀(しん・げんき)も招待したいのですけれど…」  ちょっと遠慮がちに言う煜瑾が、不憫に見えて、唐煜瓔は病気のせいで気兼ねをするようになった弟を痛々しく思った。 「今度の事で、申玄紀には世話になったことだし、彼の都合さえよければ招待状を用意させよう」 「お兄さま、ありがとうございます」  そう言って煜瑾が微笑むと、唐煜瓔は安心して食卓から立ち上がった。 「もうご出勤のお時間ですか?」  そう言いながら、煜瑾も兄を見送るために立ち上がった。 「ああ、煜瑾はゆっくり朝食を続けなさい。見送りはいらないよ」 「はい、お兄さま。行ってらっしゃい」

ともだちにシェアしよう!