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第159話

 煜瑾(いくきん)は、今すぐに通話ボタンを押したかった。包文維(ほう・ぶんい)の声が聞きたかった。  けれど、この静かな屋敷の中で、煜瑾の声がどこかに聞こえてしまうのが怖くて躊躇してしまう。  泣きながら、煜瑾はただスマホを握りしめた。 (お願いだから、無理だけはしないで下さい) (分かりました。文維は心配しないで下さい)  伝えたいのは、こんな言葉ではないことを、煜瑾も文維も分かっている。 「文維…」  思わず声に出してしまい、煜瑾は慌てて唇を噛んだ。  愛しくて、慕わしくて、恋しかった。  例え、自分と同じ熱量で愛されていないのだとしても、そんなことは問題では無いことを、会えない日々で痛感した煜瑾だった。  ただ、煜瑾が胸を焦がし、一途に想い続けてきたことだけが大事だった。  愛されてなくてもいい。騙されていたとしてもいい。  それでも、唐煜瑾は、包文維が好きで、その気持ちだけは誰にも嘘をつけないピュアなもので、誰からも奪われることのない美しく大切なものだと、煜瑾は気付いた。  煜瑾は、文維に心配を掛けまいと、震える指でメッセージを打った。 (おやすみなさい)  すぐに既読のマークは付いたが煜瑾はその先を確かめず、全てのメッセージを消去した。 ***  翌朝も煜瑾は機嫌よく起きて、(ぼう)執事を安心させ、兄とも朝食を共にした。 「随分とご機嫌だね、煜瑾」 「はい。今夜のクリスマスパーティーが楽しみなのです。お兄さまのおかげで、とても素敵なお洋服も買っていただいたし、靴やネクタイも全て揃えていただいて、とっても嬉しいです」  実際に、茅執事と共に店舗へ行き、選び、注文したのは煜瑾自身だが、全てが兄の支払いだということに、煜瑾は感謝を忘れなかった。 「それほどに煜瑾が今夜のパーティーを楽しみにしているとはね。新しい服は、まだ私も見ていないし、私も今夜を楽しみにしているよ」  そう言って唐煜瓔(とう・いくえい)も、稀に見る上機嫌で出社し、煜瑾は明るい笑顔で見送った。 「煜瑾坊ちゃま、10時には理容師が参りますよ。お支度をされませんと」 「はい」  茅執事に言われた通りに、煜瑾はメイドと共に自室に戻る。  支度と言ってもこれと言って何も無いのだが、特に今日の煜瑾は茅執事に逆らわないように慎重に行動していた。  メイドがテーブルの手前の床にシートを敷いて、そこに椅子を置く。テーブルには鏡を置いた。これで急ごしらえの理容室の出来上がりだ。  これまでは、唐家が長年指名しているホテル内の理容室へ月に一度通っていた煜瑾だったが、今日は外出する時間が無いと茅執事が屋敷に呼んだのだった。  髪を整え、ほとんど髭のない顔を当たり、爪までキレイに磨いてもらうと、煜瑾の貴公子ぶりはさらに上がった。ほんの数週間前まで、あれほど病み(やつ)れていたとは思えないような健康的な明るい美貌だ。 「パーティーでのご馳走がいただけなくなるから」  そう恥ずかしそうに言って煜瑾は昼食も控えめにした。実際には、緊張のあまりに食事が喉を通らなかったのだが、それを気取られないように、いかにも無邪気に振舞った。  夕方になり、約束の6時より少し早めに申玄紀が自身の愛車で、唐家に乗り付けた。

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