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第180話
名前を呼ばれて、包文維 は緊張気味に短く答えた。
「はい」
決して険悪ではなく、むしろ温かな眼差しで、唐煜瓔 は文維に言った。
「私の大切な弟だ。私がしたのと同じか、それ以上に大切にしてやって欲しい」
「もちろんです。お約束します」
反射的に、文維はそう答えていた。
「大切に育てすぎて、世間知らずで、君を困らせることもあるだろう。しかし、この子は決して人を憎んだり、妬んだり、貶めたりすることがない。穢れの無い、美しい心の持ち主だ」
そう言って、煜瓔は弟の素直な髪を優しく撫でた。
「悪い心を、教えないで欲しい。泣かせることの無いようにして欲しい…。出来得ることなら、ひたすら心穏やかに過ごさせてやって欲しい」
煜瓔の想いの重さと深さに、言葉にならず、文維は大きく頷くことしか出来なかった。
それを見て、唐兄弟はもう一度、強く抱き合い、煜瑾 は立ち上がった。
「お兄さまに、お願いがあります」
誇り高く、威厳さえ感じる風格で煜瑾は兄に対した。
それを穏やかな視線で、煜瓔は受け止める。
「私は、今日から静安寺のアパートで、1人で暮らします。しばらくは、まだお兄さまのお世話になることになってしまいますが、必ず、独り立ちして、お兄さまに褒めていただけるよう努力します」
煜瓔は、少し皮肉っぽく口元を歪めた。
「文維のアパートではなく?」
それを悠然と受け止めて、煜瑾はニッコリと微笑んだ。
「いつかは、そうなるかもしれません。…けれど、私はまず、文維に相応しい人間になれるよう、努力したいのです」
そして、煜瑾は恥ずかしそうに文維を見た。
「それには、文維の手助けが必要な時があるかもしれませんが…」
何も言わずに、文維は煜瑾の肩を抱いた。
「私は、お兄さまが誇りに思っていただけるような人生を見つけたいのです。文維がいれば、それができます」
唐煜瓔は、諦めたように肩を落とし、薄く笑って頷いた。
「好きなようにしなさい。困ったら、いつでも戻って来てもいいし、茅執事や胡娘に頼っても構わない」
「はい。ありがとうございます、お兄さま」
軽く頭を下げ、煜瑾と文維は並んで唐煜瓔の書斎を出ようとした。
「煜瑾!」
呼び止めた兄を振り返る弟の美しさに、煜瓔は息を呑んだ。そして、満足そうに微笑んで言った。
「お茶の用意をして待っているだろう。出て行くのは、その後にしてあげなさい」
「はい」
明るい笑顔で答えて、煜瑾は文維と共に、唐煜瓔の前から去って行った。
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